落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第32話 姉と弟

2014-11-08 12:57:38 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第32話 姉と弟



 
 佳つ乃(かつの)の言葉に、路上似顔絵師が軽い落胆を覚える。
数分前まで、佳つ乃(かつの)の美しい横顔に恋心を抱き、ときめいていた自分が
急に、年端のいかない子供のように思えてくる。
恋心にふくらみかけていた気持ちが、あっというまに胸の中で撃沈していく。


 「あらら。見事に落胆していますねぇ。
 うふふ。別にあんたのことを男として、認めておりませんという意味じゃおまへん。
 東男に京女は、昔から相性がええと言います。瓢箪から駒が出るかもしれへんなぁ。
 でもウチはもう30を過ぎてます。
 ほんでもええのならという条件付きどすが」


 消沈しかけていた恋心が、ギリギリ、路上似顔絵師の胸によみがえって来た!。
「でもなぁ。なんぼなんでも、いきなって恋人同士は無理やでぇ。
そうやなぁ・・・歳の離れた遠い親戚の男の子という設定なら無理がないやろ。
それとも、腹違いの弟かな。とりあえずは、そないな関係からどないやす?」
佳つ乃(かつの)の悪戯そうな瞳が、間近から路上似顔絵師を見つめる。



 「かすかに、恋愛に発展する可能性も、残っているという意味ですか?」と、
路上似顔絵師が上目使いに、佳つ乃(かつの)の顔を覗く。
「うん。すべてはあんたの心がけ次第や。ただし見た目以上におばちゃんやで、ウチは」
うふふと鼻の頭に小じわを寄せて、佳つ乃(かつの)が笑って見せる。


 「歳の離れた弟からでも結構です。なにとぞ、よろしくお願いをします!」
路上似顔絵師が椅子を激しく後ろに倒し、必死の表情で立ち上がる。
「よろしい。ウチのほうから恥ずかしさをこらえて、告白をした甲斐がおます。
ウチこそ、よろしうに。歳の離れた弟くん」
仲良くやりましょうねと佳つ乃(かつの)が、ワイングラスを持ち上げる。



 (歳の離れた弟か・・・相手は高嶺の花だ。これ以上の不平を言ったら、罰が当たる)
乾杯のために、路上似顔絵師もワイングラスを持ち上げる。
だがその場の勢いで佳つ乃(かつの)の提案に賛同したものの路上似顔絵師の心の中に、
もうひとつのわだかまりが残っている。
(全力で応援してあげる)と言い出されたことに、似顔絵師は疑問を持っている。
(祇園の売れっ子芸妓に、単に暇つぶしと、面白ずくで遊ばれているのかな、俺は)
そんな想いが路上似顔絵師の脳裏を、チラリとかすめていく。


 「ふふふ。あんたもわかりやすい人やなぁ。
 やっぱり不満なんやろ。弟という設定では?」


 「い、いいえ。決して、そういう意味ではないのですが・・・」


 「口ごもっとるといること自体が、不満を持っとる明らかな証拠や。
 ウチを誰だと思うねん。
 泣く子も黙る祇園甲部の売れっ子芸妓、佳つ乃(かつの)やで。
 ウチに逢いたいために、日本中から、大金持ちがわんさとお座敷にやって来る。
 指輪やら、バッグやら、いらんというにのたくはんのお土産まで持ってやって来る。
 けどなぁ。お金持ちに限って根本的に祇園を理解しておらん。
 だいいち花街と遊郭の区別がついておらん。
 お金さえあれば何でも自由にでけると、最初から誤解しとる。
 祇園はええ女を見に来る場所やおへん。お座敷で古典芸能を楽しむ世界や。
 お客はんも、興が乗れば端唄か小唄のひとつを披露する。
 ふふふ。あんたに日頃の仕事の愚痴をこぼしてもはじまらへんな。
 偽物と本物は、出会った瞬間に感性でわかります。
 あんたが書いた清乃の絵。
 どこぞに一流になれる可能性が潜んでおった。
 日本画家の東山魁夷を見に行った時の感動を、ふと、思い出したんや。
 けど。あんたが一流になれるかどうかの確証はまるっきしあらへん。
 そういう匂いを感じた、というだけの話や。
 未知数の画家を芸妓が応援しとるとなると、なにかと花街では角が立つ。
 けど姉が弟を応援するのは、当たり前のことや。
 そう思うてあんたに、応援すると言ってみただけのことや」



 油絵の世界を夢見て精進してきた路上似顔絵師が、強い衝撃を覚える。
東山 魁夷(ひがしやま かいい)といえば、昭和を代表する日本画の名画伯だ。
白い馬シリーズのひとつ、「春を呼ぶ丘」という作品を、どこかで見た覚えが有る。
もうすぐ訪れようとする春の様子を描いた作品だ。
色彩のささやきの中、白い馬が水辺に佇んでいる構図の、ちょっと不思議な作品だ。
だが見る人の胸に、なぜか新しい日本画の誕生を感じさせるものが有る。
しか、しひたすら洋画を目指してきた似顔絵師にしてみれば、佳つ乃(かつの)の言う
日本画の世界は、まったくの関心外の世界だ。


 (日本画なら、僕にも可能性が有るという、ことなのか?。)
路上似顔絵師の背中で、なにかがゾクリと音をたてて静かに動きはじめた。



第33話につづく

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