(聖書箇所:箴言6:28-29)
[ また人が、熱い火を踏んで、その足が焼けないだろうか。隣の人の妻と姦通する者は、これと同じこと、その女に触れた者はだれでも罰を免れない。]
危ないことを知っていながら いたずらすることほど危険なことはありません。
罪とは自分を縛るロープのようなものです。私たちは自分で罪を収めることができると思いますが、実際は罪の支配を受けます。
火遊びのつもりが 後に自分自身が火傷を負ってしまいます。
イスラム教では姦通した者たちが見つかった時には、公衆の面前で鞭打ち刑になって叩かれます。そのような場面をテレビで見ました。
家族から見放され、恥をかき、精神的にも 肉体的にもダメージがとても大きいです。火遊びで火傷を負ったようなものです。
罪の代価を試そうとするならば、結局はその代価を自分で払わないといけないです。
罪によって自分が受け取るものは良いものではなく辛いものです。
罪には自分がまだわかっていない 大きな危険がありますので気をつけましょう。
(マタイの福音書5:27-28 -- 『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。 )
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