ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

眼閃

2018-06-16 21:17:47 | Office
キュピーン!

という擬音が正しいだろうか?

早朝坐禅の際に気づいた。

「儲けよう!」


といっても他人から搾取するのは好かない。

与えて、頂く。

という取引の基本をしっかりとやろうと。


会社を辞めてからもうそろそろ1年経つわけです。

なんで適当にやって儲かると思うのか、不思議に思う人をたくさん見ましたし会いました。

手を抜いたらそこからどんどん負債が発生し、一発で赤字転換する。

そんな悲劇の歴史を山ほど見ているはずなのに。

もちろん、ちゃんとやっている人は安心なので、放っておいても問題ないんです。

自分で修正していけるから。


で、まあ自分自身どうなのかというとこで、いいかげん動かないといけないわけです。

そこで稼ごう。
法律守ってね。

大体「稼ぐ」という言葉に、なんでわざわざ「非合法に」を付けるんだろう?

それやったら一発でお縄です。
人生が終わります。

THE END OF HUMAN LIFE
ですよ?大切なのでバイリンガルで。


お金というのは人が作り出した概念です。
その割に結構な力を持つ。

ゲームと同じように、そこには厳密なルールがないと、簡単に裏技ができてしまう。

そのルールとは、消費者保護法だったり、労働基準法だったり、金融取引法だったり、金融法だったり、それはもうたくさんの法律でがんじがらめですよ。

でも、単純に遵法しようという概念が欠落している気がします。

法律というのはレギュレーションなので、法に反するのはアウトなんです。

でも逆に考えれば、法律範囲内はすべてプレイフィールドになるわけですよ?

その中にいる限り限界を攻めても構わない。

レース競技なんかと一緒です。

エンジン性能やら車体構造やらコース走行のマナーなどの厳しい規制はあるものの、その中でフェアプレイする限り問題ない。

スポーツだって同じ。

アンフェアなことをやれば、退場などのペナルティがある。

フェアプレイしていればいいのに、なんでわざわざアンフェアするかね?

経済とかでいうと、「ナニワ金融道」とかあったけど、あれはどっちかといえばアンフェアな方ですよ。

かっこ悪い。

というわけで、フェアに儲けようと。

そんな当たり前のことを閃いただけです。
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6月15日(金)のつぶやき

2018-06-16 04:08:04 | Super Cub
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ディベートの手法

2018-06-16 00:09:51 | Technics
1990年代ぐらいから、「朝まで生テレビ!」などで、討論番組がたくさんあった時があります。

田原総一朗さんとかが出てた番組だと思います。

私自身は基本的に見たことないのですが。

ディベート、討論というのは、議題に対して肯定か否定かしかなくてですね。

そういうのが好きな人は好んでやって他人の論理を突き崩していたわけですが。

私はすべての物事には肯定でもなく否定でもなく、その中間というのがあると思っていたので、実は好きではなかった。

討論よりも議論の方が好きなんてす。


それでもわかりやすいのは○か×の二者択一でして。

学校のテストでもやっぱり○か×の採点がメインで、△とかは基本的には無い。

「タバコについて討論」なんていうのもやっていましたよ?
その頃はまだ愛煙家の意見が通っていましたよ。

今じゃ無残ですが。

私はタバコを吸うけど、タバコの値上げには賛成です。
基本的に体に悪いんだから、どんどん課税して、社会的にやめさせる方向に行ったほうが好ましいと思う。


「ノストラダムスの大予言」の世紀末に恐怖の大王が来ると言う話を、本気で語っていた人もたくさんいたんですよ?


最終結論を言ってしまえば、それまで培ってきた経験と知識でしか、人は物事を判断することができないんです。
生得的な体質や気質もあるし。

そういった複雑な情報をもとに個人の判断基準は決定されるわけです。

トイレを猛烈に我慢している人を呼び止めて、永遠に長い説教を垂れても、何も頭に入るわけもないのですよ?
それどころじゃないんですから。

町中でいきなり大声を上げる人もいますけれど、彼ら彼女らにも大声を上げる必要があるのですよ?
私達が気づかないだけで。


黒か白かの判断が本来嫌いなのですが、40代半ばになると勝手に言葉の重みが増すので、増長しないように気をつけようと思っています。

言葉の重み、言葉の強さというのはすごいなと。単純に。

「この先行き止まり」
と書いてあれば、意外とその先まで進む人っていないんです。

「いや?ここを通らないと向こうに行けないはず」
と気づいた人が入ってみると、実は行き止まりじゃなかった、なんてこともよくあります。

わからないですよ。常にその結論が正しいかなんて。

でも一つ一つやりきって結論を出していかないと、物事は進まない。

ジレンマです。
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