ライブで演奏する曲で、チャットモンチーのシャングリラがあります。
シャングリラといえば電気グルーヴのShangri-laが古く、私も好きですがチャットモンチーです。
桃源郷という意味ですね。
ザナドゥというゲームでも出てきます。
というかザナドゥが桃源郷です。
組んでいるベースが演りたいというので始めた曲ですが、その理由を聞くと、「好きだから」と返ってくるので、それから先は聞いていません。
そして彼は、「SHISHAMO」のTシャツをライブのときに着てくるナイスガイです。
「情けない君でも許す〜」
という女性ながらでの包容力漂う歌詞が面白いのかなと、勝手に思いながら、セットリストでは2曲目にシャングリラをぶち込んでいます。
1曲目は「君をのせて」天空の城ラピュタ。
古典的であり先駆的な椎名林檎さん。
旧仮名漢字を使ったり文学性も孕みつつ、派手なパフォーマンスを魅せる。
「加爾基 精液 栗ノ花」をリリースした際の雑誌インタヴューで、
「男性の精子って神秘的じゃないですか?」
というようなことを語っていたのを思い出します。
男からすると、基本的にゴミとして捨てるものと扱うので、逆になるほどと気付かされました。
そういった後処理として公にしないものに対して、人は神秘性を求め探究心やフェティシズムを目覚めさせるのかと。
女性の生理用品や下着に興味を示す男はいるけど、女性としてはどちらかといえば「汚いもの」を掘り出すので、嫌悪するのだろうなと。
その辺は同感です。
学生の頃漫画研究会で「花とゆめコミックス」を毎月読んでいて、トイレに汚物入れが必要だと解り、ずっと置いています。
無ひと困る故に。
椎名林檎さんの話になると、漢字が増えます。
音楽絡みで、サザンオールスターズについて。
サザン40周年ということでラジオで特集が組まれています。
聴いていると、「勝手にシンドバッド」から変わらないなぁ。と思うわけです。
「勝手にシンドバッド」は当時流行っていた「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバッド」を組み合わせたデビュー曲だというのは有名な話。
弾き語りが流行れば弾き語りをやり、
社会批判が流行れば社会批判をやり、
ラップが流行ればラップをやり、
テクノが流行ればテクノをやり、
活動休止が流行れば活動休止をやり、
ソロが流行ればソロをやり、
福山雅治が流行ればバラードを歌い、
ヴォコーダー歌が流行ればヴォコーダーをやり…
と、時代の最先端で流行っている音楽は全部パクった上で、完成度を上げてしまう。
「パクられた!」とも言えない領域だし、逆にサザンに対抗意識を持たれるなんて光栄だとさえ思われてしまう。
鮮やかですねぇ。
版権に対するアンチテーゼも見え隠れしますが。
要するに、好きなことやって大衆にウケちゃえばいいんじゃないの?
シャングリラといえば電気グルーヴのShangri-laが古く、私も好きですがチャットモンチーです。
桃源郷という意味ですね。
ザナドゥというゲームでも出てきます。
というかザナドゥが桃源郷です。
組んでいるベースが演りたいというので始めた曲ですが、その理由を聞くと、「好きだから」と返ってくるので、それから先は聞いていません。
そして彼は、「SHISHAMO」のTシャツをライブのときに着てくるナイスガイです。
「情けない君でも許す〜」
という女性ながらでの包容力漂う歌詞が面白いのかなと、勝手に思いながら、セットリストでは2曲目にシャングリラをぶち込んでいます。
1曲目は「君をのせて」天空の城ラピュタ。
古典的であり先駆的な椎名林檎さん。
旧仮名漢字を使ったり文学性も孕みつつ、派手なパフォーマンスを魅せる。
「加爾基 精液 栗ノ花」をリリースした際の雑誌インタヴューで、
「男性の精子って神秘的じゃないですか?」
というようなことを語っていたのを思い出します。
男からすると、基本的にゴミとして捨てるものと扱うので、逆になるほどと気付かされました。
そういった後処理として公にしないものに対して、人は神秘性を求め探究心やフェティシズムを目覚めさせるのかと。
女性の生理用品や下着に興味を示す男はいるけど、女性としてはどちらかといえば「汚いもの」を掘り出すので、嫌悪するのだろうなと。
その辺は同感です。
学生の頃漫画研究会で「花とゆめコミックス」を毎月読んでいて、トイレに汚物入れが必要だと解り、ずっと置いています。
無ひと困る故に。
椎名林檎さんの話になると、漢字が増えます。
音楽絡みで、サザンオールスターズについて。
サザン40周年ということでラジオで特集が組まれています。
聴いていると、「勝手にシンドバッド」から変わらないなぁ。と思うわけです。
「勝手にシンドバッド」は当時流行っていた「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバッド」を組み合わせたデビュー曲だというのは有名な話。
弾き語りが流行れば弾き語りをやり、
社会批判が流行れば社会批判をやり、
ラップが流行ればラップをやり、
テクノが流行ればテクノをやり、
活動休止が流行れば活動休止をやり、
ソロが流行ればソロをやり、
福山雅治が流行ればバラードを歌い、
ヴォコーダー歌が流行ればヴォコーダーをやり…
と、時代の最先端で流行っている音楽は全部パクった上で、完成度を上げてしまう。
「パクられた!」とも言えない領域だし、逆にサザンに対抗意識を持たれるなんて光栄だとさえ思われてしまう。
鮮やかですねぇ。
版権に対するアンチテーゼも見え隠れしますが。
要するに、好きなことやって大衆にウケちゃえばいいんじゃないの?