ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

スト権

2019-09-23 22:37:37 | Office
先日佐野サービスエリアでストライキがありました。

経営がひどい場合、抗議の意味を込めて従業員が仕事をしないストライキをする権利が認められています。

ほとんど忘れ去られている権利ですが。

現在よりも権利を主張していた昭和の時代に、欧米から労働者の権利として輸入されたいくつもの権利の一つです。

JRが国鉄だった時代には、国鉄ストは朝のニュースになっていたんですよ。
通勤時に電車が動かない。
本当に。
賃上げのための手段です。

5月のメーデーはそんな交通麻痺の季節でした。

今現在労働組合はあっても、会社の経営判断に深入りしすぎちゃって、本当に労働者を守るために働いているかは甚だ疑問ですが。

労働組合がキャリアアップの一手法になってますよ。

今は直接労働基準監督署に相談をする時代なのでしょう。

尤も厚生労働省内部の汚職もあるので、万全とも言えません。

担当者の人権意識などにもよります。

余計な仕事を増やしたくないのは、公務員と官僚並みの給与水準を維持してしまうサラリーマン共通の懐柔で。

労基署担当者を説き伏せて、あっせんなどの権利を行うためには、それなりの法知識と覚悟が必要ですから、必要なイニシエーションかもしれません。


職業選択の自由もありますし、ひどい会社に従属し続ける意味なんてそもそもないとも言えまして。

そこで闘い続けるより、スパッと辞めたほうが怒りのエネルギーを維持しなくて済む。

そんな組織を改善させる愛情なんてなくなるので。


ブラック企業だったり、社畜だったり、いろんな表現が増えましたが、結局産業革命以降やそれ以前から存在している労使関係の歴史の繰り返しなんですよ。

解決策はたくさん存在している。

雇用側にもね。
労使関係を麻痺させる手段がたくさんある。
持株制度とか。

基本を分析すると大きな人権無視が存在しているのだけど、わかりにくくなっている。

朱に交わって全員同罪になっているのにさえ気付かないぐらい。

学校のいじめや村八分とそんなに変わらない昔ながらのローカルルールで、一大違法集団を形成していることにさえ気付けない。

少しは脳みそを使って生きたらどうだい?

まぁ、これもパワハラワードになるのでやんわりと言わずに辞めます。


創業者もそういう事態にならないための組織モラルづくりをしていたのにね。

「安全なくして生産なし」に込められたモラルに気付けないぐらい劣化しているんですよ。

白い作業着
きれいなトイレ
完全空調

その他諸々の福利厚生は、現場のエンジニアなくして生産できない。つまりは収益の元は何か?を突き詰めて考えた末なのに。


そういうしっかりとしたポリシーを持った会社を作らないとね。

日本という国はどんどん劣化しますよ。

いずれ独立する予定です。

自堕落

2019-09-23 13:36:27 | 日記
来週の仕込みはしたので、今日はもうダラッとしよう。

アイロンだけかけよう。

来週TOEIC試験なんよ。

その勉強ノルマはしたので、あとはなるようにしかならん。

スーパーカブのキャブレター交換して始動が良くなったし。

台所でパーツクリーナー吹いて気持ち悪くなったり。

ダラッとして余力があれば他もするけど。

確定申告の修正申告もあるけど、申請用紙無駄にしてもらいに行かないとならない。

休みじゃどうにもならん。

弁士と坐禅

2019-09-23 07:47:36 | Social
喋りがうまい人が頭が良いわけではない。

フォンノイマン型コンピュータは、01の2進数を数学理論に則って、正確かつ高速に処理している。

論理処理を100段とか10000段とかのレベルで間違いなく正確に行わないと、エラーになる。

いわゆる理工学ではそのような論理の正確な積み重ねが必要になる。

天気や流体などの複雑な物理シミュレーションも、身近なゲームもそのような正確な処理でできている。

ところが人の言語情報はかなり曖昧で、それっぽいことをそれなりに応答すれば成り立つ。

おバカ決定戦で、成績の悪いアイドルのほうが人気がある辺りにも、その傾向はあるのかと。

人工知能(AI)は厳密な計算より数字の桁を落として、いかに早く曖昧に計算できるか?がカギになる。


坐禅は長時間に渡り無言を貫くけれど、脳内の論理処理は高速かつ複雑に働く。

複数の仮説に対して複数段の検証を行うので、それを単純な言葉で伝えようとしても、他人は理解しづらい。

前提となる情報全ては伝わらないので。

イメージが多くなる。


深く思考すれば、自然と言葉だけによる伝達は不可能になる。

つまり黙る。


政治家にもいろいろいるけれど、いわゆる弁士が本当に頭がいいかと言えば、そうとも限らない。


ヒト社会で生き延びるために培ってきたのが、論理的思考なのか、即応的コミュニケーションなのかにもよるけれど、どちらか一方でも生きられる。

ボケツッコミが上手いほうが好かれることもある。

信頼できるかどうかはさておき。


これについてはまだ考えよう。