久しぶりになんの予定もない週末なので、ダラっと過ごしてました。
やっておきたいことは山程ありますが。
ふと思い出した。
そういや父親が死んだのは今の自分ぐらいの年齢か?
現在片付け中の書類関連を見ると、命日だけはわかった。
本籍関連を調べれば没年齢などもわかるけれど、そのうち出てくるだろう。
遠いけれど墓石にも書いてあるはず。
まぁすっかり忘れていたぐらいだから。
1992年(平成4年)6月17日 没
約29年前の初夏ですね。
確か50才手前で亡くなっている。
今の自分ぐらい。
父親が没した当時の私は19才。
知りたいことが多すぎて、勉学に勤しんでおりましたよ。
色々と思うところもあるけれど、一般的な家庭環境でもなく、音信不通にしていたし、最後を看取った妹の叔母も、祖母も祖父も亡くなっている今、親父が何を考えどうしていたか、物事の真偽を確かめる方法はない。
叔父叔母の援助により、それでも生活費は自前でなんとかしながら生きていた苦学生で。
そういうことなら今もそんなに状況は変わらない。
当時から親はあてにしていなかったので。
一親等だし、血筋は近いけれど、結局の所他人という認識。
親父から学んだことは、
酒は飲んでも飲まれるな
くだらない女と結婚するな
とか。
酒はここ数年飲んでいないし、ありがたいことに今結婚もしていないし、子供もいない。
他人の人生に巻き込まれることなく、自由に生きることができる。
逆に言えば、そのようなしがらみに縛られて、思うように生きられない人もたくさんいるということでもある。
まだ人生折り返し地点にも至ってないしなぁ。自分としては。
今までもこれからも未知の領域を進むのは変わらないわけで。
お手本はあるかもしれないけれど、それに縛られるのはゴメンです。
特性も経験も違う他人の答えが自分に当てはまるとも思えない。
助言?されてもどうしようもない。
結局選択と行動の責任は自分で取らないとどうにもならない。
他人が他人の人生すべてに責任を持てない。
少なくとも私は自分の全権を任せられる人を知らない。
いればとっくに生涯を共にしている。
今日は久しぶりに雷を伴う雨の日。
北関東に住んでいたときには、このような日は電気が落ちるので、PC作業はしないほうがいい。
特に電源が落ちることもなかったけれど。
明日、色々やるか。