どれだけ思いが強いかで、物事を成し遂げられるかが決まるというのはあるんじゃないかと。
「海賊王に俺はなる!」
と思って口に出した時点で、既に海賊王になっているみたいな。
原理原則と現場現物現実に則っていることが重要なんだろうなぁ。
実際とかけ離れた思いは、他人にとってただひたすらに迷惑であったり、自分を破滅に追いやるものだったりする。
「世界一の収益を得る」
と決めて搾取をし続ければ、経済にも社会情勢にも悪影響を与えて不安定になってしまう。
行き着くところは戦争でもある。
その目標を何に設定するか?が非常に重要で、経験が少なければ正しい目標を設定できずに失敗する。
逆に言えば、思いの強さがないと能動的な失敗もしない。
何もしない失敗ではなく。
やる前から諦めている人は、自分も含めて非常に多い。
それでいて、あとから、「あのときああしていれば」と後悔する。
その後悔を失敗として、次のチャンスに活かせるか、またやらないかはそれぞれ。
先日朝の通勤時に自転車のチェーンが外れて困っている学生を車から見かけた。
自分だったら軍手もあるし、何だったら自転車を車に乗せて学校まで送れる。
それなのに、恥ずかしさと、仕事に遅れるたという理由で見て見ぬ振りをしてそのまま通り過ぎた。
自分が学生時代、通学途中でパンクして自転車を押しながら遅刻を覚悟していたところ、トラックに乗った男性が声をかけてくれて、そのまま学校まで送り届けてくれた。
そんなことでも、社会や人は非常に良いものだと大切に思うか、非常にくだらない低俗なものかと思うかの情操教育の分岐点になるんだよなぁ。
情けは人のためならず。それはその子供の成長に影響を与え、巡り巡って自分の生きる環境を作り出す。
そういう後悔はしたくないので、次にそのような状況になったら遅刻も何も優先して助けようとは思う。
その癖がつくかどうかも思いの強さだろう。
人を助けるために医者になる。
最も理解不能なのが人間であるとすれば、それを学ぶのはまた非常に困難な作業だ。
しかしなぁ。
今でもそのような場所はあるのだけど、とにかく人を精神病患者に仕立て上げて入院させ続ければ、人助けと高収益が得られて、末代まで安定とする人もいる。
それが目的とすれば、人を助けるという医者の目的そのものが、人を害する最低なものに本末転倒となる。
精神病でなくても、他の病気でもある。
病気なのを病気でないとする人もいて、それはそれで厄介なのだが。
主に他人のことを評価するにあたってのこと。
当人の利益か他人の利益かによって評価は分かれる。
思いの強さが夢を実現する原動力にはなるし、最初から諦めていれば何も成し遂げられない。
失敗すればそのダメージも大きい。
しかしあとで後悔しないのは、何かをやった人のほうだ。
失敗だと気づけば、次回に向けて対策もできる。
失敗の原因を探るために調査もする。
個人的には、これが本質的な勉強であり、学習のモチベーションだと考える。
何でもかんでも、他人に、やったら危ないとか、それになんの意味があるとして止める人もいるけれど、何でもやり遂げるという思いの強さは、どんどん削ぎ落とされていく。
それは社畜とされるサラリーマンにも言えてですね。
定時に同じ場所に集まって同じ時間を過ごす、現代義務教育の延長を社会生活にも持ち込んでしまって、そこに当てはまらないと能力がないみたいな。
そんなもんいちいち守る必要は無いと思うのだけど。
何を実現するために現状を我慢するか。
その実現する思いがなく、ただ現状の苦しい状況を我慢し続けるのは、それは非常に無駄なことだろう。
困難を実現するのは、その分ストレスもあるしリスクもあるけれど、やってない人に比べれば成長しますよ。
それは仕方ないよね。
そのような人間を利用したい人もいてですな。
それもまた、経験していないとわからないことでもある。