野口雨情の名歌を尋ねて、の講座には150人あまりが参加したようです。
市民講座で、専門の方ばかりではないのですが、皆さんの関心の高さを伺わせました。
野口雨情は1882年、茨城県の多賀郡に生まれました。
63歳の生涯で3000あまりの詩歌を作ったそうです。
日本全国はもとより、当時の台湾、朝鮮、満州、樺太まで地方民謡を作ったそうです。
雨情の家は水戸の徳川家とも縁が深い旧家で、徳川光圀は、野口家の2階から、景色を美しいのを褒めて、観海亭、と名前をつけたそうです。
23歳のとき父の死で郷里に戻るも、家の財政は火の車でした。
ひろ、という奥さんとの結婚も、お金を当てにしたものでもありました。
37歳のとき、16歳のつる、と結婚します。
その後、童謡詩人として大きな飛躍を遂げます。
この日、第2部では、成瀬児童合唱団の子供たちが、澄んだ歌声で吉田覚先生の編曲の童謡を聴かせてくれ、心が洗われました。
ソロを歌った三溝美香さんも、のびやかな丁寧な歌唱で、合唱に溶け込んでました。
3部では、参加者全員で、合唱をして、とても楽しかったです。
わたしは、雨降りお月さん、青い目の人形、しゃぼん玉、が好きです。
吉田先生の編曲のしゃぼん玉は、転調を何度も繰り返し、幻想的で、現実と非現実が交錯する感じが魅力的でした。
吉田先生の編曲のすてきな和音進行は、童謡に新しい顔を与えていると思いました。
市民講座で、専門の方ばかりではないのですが、皆さんの関心の高さを伺わせました。
野口雨情は1882年、茨城県の多賀郡に生まれました。
63歳の生涯で3000あまりの詩歌を作ったそうです。
日本全国はもとより、当時の台湾、朝鮮、満州、樺太まで地方民謡を作ったそうです。
雨情の家は水戸の徳川家とも縁が深い旧家で、徳川光圀は、野口家の2階から、景色を美しいのを褒めて、観海亭、と名前をつけたそうです。
23歳のとき父の死で郷里に戻るも、家の財政は火の車でした。
ひろ、という奥さんとの結婚も、お金を当てにしたものでもありました。
37歳のとき、16歳のつる、と結婚します。
その後、童謡詩人として大きな飛躍を遂げます。
この日、第2部では、成瀬児童合唱団の子供たちが、澄んだ歌声で吉田覚先生の編曲の童謡を聴かせてくれ、心が洗われました。
ソロを歌った三溝美香さんも、のびやかな丁寧な歌唱で、合唱に溶け込んでました。
3部では、参加者全員で、合唱をして、とても楽しかったです。
わたしは、雨降りお月さん、青い目の人形、しゃぼん玉、が好きです。
吉田先生の編曲のしゃぼん玉は、転調を何度も繰り返し、幻想的で、現実と非現実が交錯する感じが魅力的でした。
吉田先生の編曲のすてきな和音進行は、童謡に新しい顔を与えていると思いました。