先日、友達に誘われていた、ドライブ旅行。
かなり心が動いていた。一度行ったことのあるグランドキャニオンが含まれていて、夫に相談(許可を取ろうと)したが、迷わずに「辞めたら? 止した方が良い。」という反応。私も「そうだね。」とごく自然に納得していた。
気ままにアメリカを横断する形のドライブ旅行で、アメリカの《日本とは比べ物にならない壮大な自然》を満喫する計画だった。
ガイダンスの時、参加意思は保留にして貰っての私だった。しかし3月終~4月頭にかけてという、現地の花見時としての期限があり、決断する日にちも迫ってきている。
今、800枚の試験の採点で、途轍もなく忙しい夫。〈学生の人気を得て居る講義内容で自然に受講者が集まってしまう…〉と、それも道理であり仕方がないことかと、むしろ私は喜んで(?)応援の気持ちでいなければならない気がする。夫には後で了解を得るつもりで、かなり迷いながらも「参加」の意思をお世話役の M.さんに伝えて、自分のなかでのGo Sign を決断する。
気持ちのワクワク感を順次募らせる。図書館でアメリカをドライブするコースや知識を更に仕入れる。人一倍広い見地に立って考えてくれる夫には、納得いくように素直なきもちを話して承諾してもらう自信もあった。
過去十数回に渡ってアメリカ国立公園をレンタカーで巡るドライヴをなさっているM.さんは、その情感や旅の内容を朴訥に語る。
こんなチャンスは私の人生にとってはもう巡っては来ないに違いないと感じる。
「いいよねぇ」「素敵なことだよねぇ」「時間の流れを自分のものとして掴んで活かして行かねば!」
同級生の仲間三人は、みんな頭のなかは虹色に輝きだしているようだった。
「国際免許も、現地で試験をするわけではなく、日本で取れるんですよ。」
「すると、みんなが日本でランセンスを持っているから、並んで国際免許も取得できるんだね。」
「長い、長い距離の運転は、交替でしなくてはならないかもね。」
「本当に手作り旅行って感じだね。自由な時間も組めるしね。」
「国立公園を巡っている旅行者には、悪人は居ないのです。だからその点も安心です。」
長年に渡って経験を積んでいるからこその発言でしょう。…でも、外国だし、それってホントに大丈夫なんだろうか?
若さが漲っているなら、諸々の問題もたぶん切り抜けていくだろう…。
・・・・・・・ ああ、私の中では、みんなみんな消えてしまった。
自然というか、運命というか…。
私のハプニングな事故が私の決心をつぶされた。思いもかけないことに、転倒してしまった。結果、8時間後あたりから腰が痛くなって足が言う事を聞かなくなった。明日になれば治るだろうと期待したが、今までに経験したことがない痛さに変わってきていた。レントゲンには映らない故障で、神経系のようだが、まだはっきりしない。
蟻の歩みのような回復。少しずつ良くはなっているのだが、整形外科などでリハビリ、電気治療(干渉波)など施してもらっている。また、カイロプラクティックが良いらしいと聞けば、行ってみようと思う…。
こんな状態でも、ひとつだけ良いことがある。
それは、また夫に「アメリカに行くつもりになったのよ…」と、高い壁(?)に了解を得なくても、もともと「無かった話」で通ることだ。
〈私が行動することだから、私の判断で決めよう…〉と、夫の判断には背いた格好になりつつあった。事後承諾ということにするしか今は無いと…。いつも、いつも夫の判断は正しいし、結果それで良かったと思う場合が多いと実感していた。そして、今に至っているのだ。
天(夫)からのお叱りを受けたと思って、すっきりと諦められたのである。