待ちに待った会長からの巻頭の言葉を戴き、「10周年記念号」の42号が完成。4日版下ができたので、
16ページ組みの6ページ分(コピー3枚となる)をカラーコピーした。
そして5日は、市の施設ハーモニープラザでモノクロ印刷した。今回はYGさんが都合がつかず、
会長にお手伝いをお願いして3人の要員となった。
10年の記憶の中で、今も鮮明にある東京文学散歩について触れて居られたので、
記念の集いの会場に持参させてもらった大内さんのアルバムから
画像をいただき、皆さんも懐かしいに違いないと、ここにアップする。
会長の文を一部コピーさせてもらうことにする。
“本郷では偉容を誇った木造アパート「求道会館」(本郷6丁目)の姿はいつの間にか消えた。
今にして文学散歩を通じて、遥か歴史の痕跡に接しえたことは数少ない貴重な記憶となろう。”
上の画像がそれ。雨が降っていた当時の記憶が蘇る。山田俊雄先生もお元気だった。
“まだ当時としては耳新しかった「東京文学(歴史)散歩」という講座名に惹かれたことである。”
“明治・大正・昭和と、いまや薄れゆく歴史の空気、そこに生きた作家や作品の主人公達が時代に
翻弄された生きざまに想いを寄せる先生(故山田先生)の心情が伝わってくる。”
Itoh会長の心情も想いはかられて、これを読む私も感傷的になって来た。
何故に編集者をいじめるかというような、原稿の遅さ…どうしても編集時には素直な気持ちでは
会長の文章に対して感動とか心を察して読むなどは程遠い気持ちのみであった。
期日も過ぎているのに、未だ原稿がこない…という焦る気だけが強くあるだけ、
さらに頂いた原稿はこちらで予想し依頼したものよりはるかに長いものだったので、
既に、会長の文を載せるだけで出来上がりという体制が出来て待ち構えていたのに、
全く崩れてしまい、殆ど始めからやり直すようなモノ。
そのような状況だったので、こちらもその文を間違わずに入れることに集中するのみ。
こうして今、一字一句読み返すように見始めると、懐かしく思い始めてきた。
10年の月日…結構覚えているし、また遠い過去だったような気にもなる。
“失われつつある街のロマンの彼方には、かの樋口一葉が作家デビューの頃(明治25年)当時から
現存していた本郷菊坂下の馴染の「伊勢屋質店」(本郷5丁目)も取り壊され、少女時代の借家跡の路地奥には
使われた『井戸端』が名残りを留めるのみ。”
“二千和会がこれから参る道は険しかろうと、皆さまが楽しまれ元気でおられること、願いは一つである。”
う~ん。
会員皆さまの心に深く食い込むような書き方で会長の心持を表現されて居られる。
散歩中の会長のおみ足は、10年前とは違い、
“散歩の一歩を進めるなかで足の筋肉は悲鳴をあげ…”
ということですから、知る楽しさや会を運営なさる楽しさ・辛さと共に、
身体的にはお辛いことでもあると察しられる。
みんな平行移動で年を重ねる訳ですから…。
とにかく…皆さまが楽しまれ元気でおられること、願いは一つである…だよね。
気を付けて出来るだけ長持ちするように、ただそのことに心がけて行きましょう。