告別式は16時からなので、折角懐かしい長野に来たのだ。少し松代の町をぶらついて土地の風を吸っていこうと思った。長野の中心の善光寺は7年ごとのご開帳が、来年に当たる。だからそのときにまた来ればいいと、宿題にしておこう。
今回は父の真のふるさと、松代に身を置いてみたいと長野駅からバスで松代まで行き、歴史のある小さな町を歩こうと思った。
繁華なところは置いておいて…。しかし長野市に敬意を払って県庁をバスから捉える。富士の塔山が見える。そして南下して犀川に合流する裾花川の部分。昔従姉妹と遊んだ記憶がある。そしてやがて先には千曲川を渡る橋となる。あ~、千曲川旅情…。
途中、川中島古戦場や、駅弁で有名だった、峠の釜飯「おぎのや」の大きな店が見えたが、ただ私の目の中に残しただけで通り過ぎた。バスで一つ気がついたことは、長野五輪のときの名残で、運転手頭上の電光表示板には、まずローマ字表記、次に漢字というのを未だ使用しているところが、長野らしいと思った。(多分他の所では漢字表記の後にローマ字表記とするのだろうな!)
松代駅前でバスを下車。長野電鉄「松代駅」前には、「汽車ぽっぽ」の歌碑があった。童謡保存会の皆さんが建てたという長野で生まれた作曲家草川信。他に「夕焼小焼」「どこかで春が」「揺り籠の歌」などがあるという。この歌の作詞は富原薫。彼は静岡生まれで他には「早起き時計」がある。みんな小さかったあの頃親しんで歌った歌である。
こうした山を見ると、父が感じたであろう心が私にも通じてくることが不思議。特に私にとってふるさとというほど、この土地に親しんではいないのに「ふるさとの山」として心に迫ってくる。石川啄木の歌が自然に浮かぶ。
ふるさとの山に向かいて言うことなし ふるさとの山は有り難きかな 啄木
武家屋敷が通りに面して公開している様子。更に進んで行くと、池田満寿夫美術館。左手には竹風堂松代店(見えてはいないが)。名物の栗菓子や喫茶を営んでいる店が美術館と併設されていた。先日千葉市美術館で池田満寿夫の企画展が開催されていたし、夫人の佐藤陽子さんのトーク&ミニコンサートにも出かけていたので普段よりも池田満寿夫作品に興味が募っていたのだ。
前庭の一部で生垣の中には、十万石松代城のお堀跡が残されており、この石の一つ一つ、土質まで、そのままに残しているので、入らないでくださいと立て看板。
美術館のすぐ前には満寿夫製作のブロンズは「宇宙から来たヴィナス」。
美術館の入り口。正面の写真と見比べると、先の写真はお城の一部のような黒い屋根瓦のある古風な感じの建物にも見えるが、目線を換えるとこのような近代的感覚が流れている風情になる。
落着いた美術館は個人の作品のみを展示して充分見ごたえがあった。千葉市美術館での企画展ではかなり多くの作品が展示され、全部見るのはかなり疲れてしまうほどだった。このたびの展示物はそのときほど多いとは思えなかったが、満寿夫自身の生い立ちも写真を通して自分なりに受け止められて、結構具体的につかめたような気がした。しかし、多方面にわたって才能を発揮した満寿夫について、結局はほんの一部しか分からないのだと観念するしか無かった。とにかく測り知れないし、理解も、し難い部分を秘めている天才だからなのだろうと思うしかない。
やっぱり私は凡人だなぁ…と思い知ったわけである。
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