本棚7個じゃ足りません!

引っ越しのたびに蔵書の山に悩む主婦…
最近は二匹の猫の話題ばかりです

荷出しの後

2011年03月19日 | 日々のこと
今夜は夫実家に泊まって、明日早朝、滋賀に出発します。

震災後は、被災地の家族と友人たちの安否確認に、原発の経過を見守ること、家族の避難についてのあれこれ、そして引っ越しで頭が一杯だったので、こうして外の世界に出てみると、微妙に周囲とチャンネルが合わない感じです。

皆、日常生活があるし、報道をずっと追いかけることもできないし、それほど被災地の情報が入ってきている訳ではないから…よく分からないのは仕方ないことなのですね。
というか、あまりに情報が行き渡らず、放射能に対する誤解もあるので、ひとりで憤ってしまい、被災地の友達に「当事者ではないのだから、よく分からないのは仕方ないよ」って、言わせてしまいました。
馬鹿でした。わたしも同じ体験をしている当事者ではないし、きっと阪神大震災や新潟中越沖地震の時には周りの人々と同様に事態の深刻さを理解していなかったに違いないのです…。今、被災地の現状を少しは分かっている気になっているのは、わたしのおごりなのです。

母と長兄は、伯母と一緒に茨城に避難しました。
父はひとりで家に残りました。
次兄はボランティアをしているそうです。
そして一度避難した友達は、やむを得ずいわきに戻ってきています。

すべてがぎりぎりの選択であり、現場にいないわたしがみんなの気持ちを本当に理解することはできない。わたしが知っているのは、ただ被災地に家族と友人を持つ者の気持ち。

わたしは前々からウェザーニュースの地震お知らせメールに、故郷を登録しているのですが、あの日、引っ越し前の掃除の最中に、ふと届いていたメールの震度を見てショックを受けたことは忘れません。
家族と友人の安否を確かめられなかった、つらい時間も。
原発の件で突然発表や会見があるので、報道の音を流しながらその辺りで寝て、情報が入った気配で飛び起きたことも。
それは、これまで愚痴をこぼしてきたように、被災地以外で手に入る情報を送っても、あっさり受け流してしまう家族に対するもどかしさはあるけれど。
周囲に今言われているように、あの時大切な人たちが無事で良かったって、命さえあればって、思うべきなんだろうな。
わたしも、やり尽くして憔悴している場合じゃないですね。
これから少しずつ、前向きに進んでいきましょう。

引っ越し最中

2011年03月19日 | 日々のこと
今、荷出しです。
何時間もかかっています。あんなに大きなトラック来るの、初めて。あ、乗りきらないから別便追加だって。
七年ほどの長崎生活で、荷物が増えすぎました。

引っ越しの最中もいわきの実家のことが気になり、また連絡して避難するための新たな情報を調べて伝えたのですが…。
両親はわたしの言葉に重きを置かないので、何をしても響きません。
結局母と長兄だけ先にバスで避難するかもしれないと言っていました(父は車でないと嫌らしく、あとでガソリンを入手してから…だそうです。しかし行列に並んで待っている間に今入っているガソリンが無くなってしまうから、とスタンドにも並ばなかったそうです。どうして他の方法を考えないのかなあ。ガソリンが輸送されても当分は行列が続くでしょうに…)。

わたしの実家は何においても普通ではない事態に発展することが多くて(家族自体が閉ざされていて普通ではない発想をするからなんだけど)、そのたびに必死に動いてみるわたしなのですが、いつも効果はありません。
今回も、母が決断したのは次兄が高速バスで行けると言ったから、らしいです。毎度のことながら、数日前にわたしが探した詳細な情報は無視されておりました…。
安全に関わることだから、何とか話を聞いてくれないかと努力したのですが、なーんにも理解されてなかった。貴重な情報も生かされていなかった。残念です。
そして今回も、母は電話の向こうでわたしが奔走したことなど察しないのでしょう。
…ま、夫だけはわたしの苦しむ姿をずっと見ていて知っているからね。
当初の希望通り、実家が無事に県外に避難できるのなら、それで良いでしょう。
みんな一緒に避難する形じゃなくても、そこは個人の意志だから。どうしようもないことです…。手は尽くしたもの。
家族の問題があると、非常時にも事が複雑になるものですね。

ともかく、今は引っ越し。
今夜は夫実家にお泊まりだ。
こちらの家族もわたしの家族。
頑張ります。

引っ越し前夜

2011年03月19日 | 日々のこと
本日、いよいよ引っ越します。工事の都合で電話とネットが当分使えません。なので、携帯投稿です。

埼玉に避難したいわきの友達から、連絡をもらいました。
そちらでは、とても親切にしていただいているそうです。
避難した場所ではなくて、やはり、個々の人の意識の問題なのでしょうね…。
被ばくに対するちゃんとした知識と、福島の置かれている状況に対する理解があれば、その友達の避難先のように対応できるのでしょうけれど、一方、生半可な知識のために根拠のない差別をする人々もいる訳で…。
先の戦争の被ばく県である長崎にいると、今の福島を取り巻く環境には驚くばかりです。
原発の今後は心配かもしれないが、周囲の住民は誰の害にもならないのに。
福島県民が怖いなら、みんないっそレントゲンも受けず飛行機にも乗らずCTも受けず、宇宙服でも着ていりゃいい、と思ってしまいます…。

わたしの実家の家族はまだいわきにいます。
高齢の父が現実を受け入れず、被ばく対策をしないで暮らしていたので、原発事故が収拾できず突然放射能が高レベルになった場合に一家で大変なことになると考え、また医薬品が届かない状況が長引けば母と長兄の持病の薬がなくなり悪化する…という心配もあったので、今の段階での避難を勧めていたのですが…。
誰にも父の気持ちを動かせず数日…。昨日ようやく、近県の親戚の元になら避難しても良いと考えるようになったらしいですが、今度は車を動かすためのガソリンがないと言います…。
それはね…避難を考えていた人は、前から計画して、方々から情報を集めて給油できるガソリンスタンドに何時間も並び、少しずつ貯めてきたのだろうからね…。あるいは近隣の衆と協力して、ガソリンを一台に集めて出かけたりするのかもしれないし。
また、かろうじてつながる高速バスを使って、福島空港まで行き、臨時便で各地に飛ぶのかもしれない。
わたしも必死になっていろんなルート、いろんな行き先を提案しましたが(無論滋賀も)、一家全員人の話を聞かず、結局は自分の気持ちでしか動かないので、どうすることもできませんでした。
今はただ、ガソリンが入手できるのを願うばかり…。後手後手になってしまったけれど…。


そんなわけで、震災以来ずっと実家を案じて、寝食を忘れて奔走する日々でした。何もかも上の空で、被災地と原発の情報に耳を澄ます毎日。
一方引っ越しも同時並行に準備しなければならなかったので、さすがに事態を見かねた夫が帰ってきてくれて、わたしが実家との連絡に集中できるように、残りの作業を大半片付けてくれました。
今回の引っ越しを無事終えることができたら、それは夫のおかげ。
どんな言葉を尽くしても母には伝わらなくて、もどかしさが蓄積し、夫に当たり散らしてしまった時も、根に持たずに力になってくれました。
わたしは実家に対して、死に物狂いで言うべきこと、やるべきことをしたのだから、あとはもう祈るだけ。
こちらは引っ越しです。ずっと支えてくれた夫のため、さっと移動して生活環境を整えたいです。
それから、友達や実家に対して支援できることに着手しましょう。