先回は、東海道新幹線(JR東海)での終焉まで見ましたが、今回はその後、山陽新幹線(JR西日本)での活躍を見ていきたいと思います。
0系の東海道新幹線での引退後、暫く新幹線にカメラを向ける回数は減り、在来線や中小私鉄にその目は向けられていましたが、いよいよ0系も完全引退、とアナウンスされたため、夏休みも終わろうとする日に、0系「こだま」に乗車しました。列車は「こだま639号」博多行き、これを逃すと0系は、夜まで新大阪に顔を出しません。その電光掲示にそそられます(写真)。ホームは20番線、現在では鹿児島行きのステージとなっていますが、当時は主に「こだま」、及び一部の「ひかりレールスター」のみの発着番線となっていました。
間もなく、0系R67編成が上り「こだま」として入線します(写真)。最期の時を迎え、残存車は全て国鉄当時の塗色に塗り戻されました。しかし編成写真としては三角です。
乗車します。車内は全てリクライニングシートに交換され、2×2シートになっています(写真)。通路ドアが2×3で設計されている関係で、少しアンバランスになっています。
側面方向幕(写真)。いずれも幕式で、現在は残っていません。
姫路に到着(写真)。新神戸以外のどの駅でも、通過待ちをします。
東広島では、上り「こだま」P7編成(100系)と並びます(写真)。こちらも貴重な写真となりました。
そして広島へ(写真)丹念に撮ったつもりですが、全駅ではありません。そこに後悔が残ります。
そして終着駅、博多へ(写真)。編成写真を撮ろうと期待していましたが、博多南に向け出発するより前には、それは叶いませんでした。
反対側の位置関係(写真)。このため、この日編成写真は遂に撮ることが出来ませんでした。
そこで日を改め、別の日に新大阪に行きました。ホーム撮りとはいえ、R68編成の全体を撮ることが出来ました(写真)。
そのテール部分(写真)。定期運転のうちに捉えることが出来ました。
勿論最終列車の予約を取る努力はしましたが、無為に終わり、残念でした。しかし鉄道のために仕事を休むのも限界があり、やはり乗車は無理でした。
そして、0系は、平成20年秋、全車引退しました。
この後は、その後も残る保存車の話題になるのか。次回にご期待ください。