Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Trunk Line#10

2012-03-27 | 鉄道写真


 無期延期となっていた本シリーズ。取り敢えず、200系関連の整理が終わったので、連載を続けたいと思います。


 最初は、200系の原型である試験電車、961-1です(写真)。正式には200系ではありませんが、登場に重要な役割を果たした車両、その成果を元に200系は製作されました。震災前の、JR東日本新幹線車両センター(仙台)での1枚です。



 そして量産初号、221-1です(写真)。後にK45編成の先頭となったようで、編成番号が書かれます。これも同じ時に撮りました。



 同系の後期製作車、2000番台には、100系同様のシャークノーズ形の先頭車もありました(写真)。H4編成の先頭というのは分かりますが、車番は不明です。仙台でのイベントでの1枚です。



 後に同系はリニューアルされ、E2系同様の塗装に改められました。写真は新潟にて、左K44編成、右K49編成です(写真)。いずれも、「とき」運用で用いられます。



 高崎駅12番線に、K26編成が入線しました(写真)。200系の編成写真は、これだけか。しかし、10両でも十分に長いです。



 仙台駅で、K48編成が出発を待ちます(写真)。現存する200系のほとんどが、この塗装に改められました。



 その唯一の例外、K47編成が、東京駅で出発を待ちます(写真、222-1510始め10連)。400系用の連結器収納部分が見えます。同編成は、最後の国鉄色200系として、現在も運用に就きますが、200系という系列自体の運命として、今後の見通しはあまり明るくありません。



 さいたま市の鉄道博物館には、222-35(K31編成10号車)が展示されます(写真)。同車が営業時から方転され、ここに展示される理由は?



 それは、400系(E3系も含む)併結用連結器装備があり、その動作も展示されるからです(写真)。



 その動画があるのですが、連結器が出てくる瞬間を撮れず、収納のみという少しマヌケた動画ですが、どうぞ。


 200系は、それまで西にのみ向かっていた新幹線を、北方に向け伸ばした、という偉大な功績を残しました。間もなく最期を迎えるのでしょうが、その時まで記録を続けたいと思います。


 次は、順番からしてやはり400系か。次回にご期待ください。

コメント
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