それでは、第33夜は、寝台特急「さくら」廃止時の写真をお届けします。
平成17年春改正で、「さくら」が廃止になるとの報道を受け、お別れのための乗車を計画。購入時には残席2、当日検札の車掌も、「満席か?」と言った程です。
今考えれば、始発の東京から乗るべきですが、名古屋で乗車(写真、EF66 43)。このポップアートのヘッドマークも、見納めです。
そして、同機は下関で切り離し(写真)。EF81に交代します。
関門間の牽引機は、EF81 409「分」(写真)。当時のJR九州所属の電機は、全部紫でした。
門司からの牽引機、ED76 92「分」が、接近します(写真)。門司以遠、鳥栖から熊本行き「はやぶさ」の牽引機となります。
そして、鳥栖では、24系25形「はやぶさ」(写真右)と、14系「さくら」(写真左)が分割(写真)。切妻と折妻の違いが分かります。
そして、長崎着。「さくら」のテールマーク(写真)。これとも、お別れです。
間もなく客車を回送するための牽引機、DE10 1756が、連結されます(写真)。
鳥栖からは、牽引機がED76 90(「分」)でした(写真)。九州の「さくら」はやぶさ」は、こんなヘッドマークでした。
長崎駅高架化で現在は早岐に移転した、長崎運転所。当時は長崎駅西方に、広がっていました。
「あかつき」のヘッドマークを掲出する、ED76 69(写真)。まだ、根拠無く安心していました。
その後には、「レガートシート」オハ24 303、他が停まっています(写真)。今では、貴重です。
そして、ED76 90は、次の運用まで休息です(写真)。
この結果、九州特急は「富士」と「はやぶさ」が併結列車となり、24系の使用が終了、A個室寝台オロネ25は、14系に編入できるようオロネ15 3000番代に改造されました。その最初の使用列車が、廃止直前の「さくら」であったのは、なんという皮肉でしょうか。
遂に、「ブルートレイン」の本家、九州特急の最後の牙城が崩れていく、そんな感じでした。寝台特急が好きならば、何をなすべきか気付くべき時でした。私も、「なるべく利用しよう。」そう誓いました。
それでは、次回をお楽しみに。