Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Electric Locomotive#17

2016-10-16 | 鉄道写真


 それでは、連載第17回目は、日本での電化初期における輸入電機をご紹介したいと思います。


 写真の電機は、ED10 2です(写真)。大正期、東海道本線国府津電化用に、ウェスティングハウス・ボールドウィンで製造された、アメリカ製電機です。2輌輸入された、その2号です。


 後に、国鉄引退後、西武鉄道に移籍、現在は横瀬車両基地に静態保存されます(写真)。



 昨年の姿(写真)。西武で引退後、ナンバーを元に戻し、塗色も旧来の塗色に戻されました。


 B-Bの4軸で、先輪もありませんが、デッキ付きで、その後の日本の電機のスタイルの元となっています。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Electric Locomotive#16

2016-10-15 | 鉄道写真


 それでは、連載第16回目は、省形、国鉄の旧式機を巡っていきたいと思います。


 歴史的には相前後しますが、写真は、EB10 1です(写真)。二軸の凸型電気機関車です。


 元々は、蓄電池機関車、AB10(Aは、蓄電池(Accumlator、烏山線の”Accum”の語源)の意)として落成、後にパンタグラフを装備しEB10に改番、都内の貨物線で使用も、廃止に伴い引退、東京都府中市内の公園にて保存されます。制式機としては唯一の二軸機、入換機より少し大きい位の電機で、本線走行は困難であったと思われます。


 小さいながら、残っていたことをもって良しとしましょう。


 次回からは、電機の歴史を追っていきたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。


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Electric Locomotive#15

2016-10-14 | 鉄道写真


 それでは、今回は、アプト式最終回、ED42の2回目をお届けします。


 写真は、軽井沢町内の小学校に保存される、ED42 2です(写真)。「ED42」と検索すれば、Wikiでも載っている製造数ですが、現存では最終号機となっています。台車横にT字形のロッドが見えていますが、これはモーターから回転力を伝えるロッド、台車に1台、つまり車輪用には2モーターということで、これとは別に中心には歯車用の同形モーターが装備され、計3台のモーターで駆動しました。


 主要幹線となるべき信越本線が、登山鉄道並みの特殊装備では、当然輸送量が逼迫し、戦後の高度経済成長時に支障となるのは目に見えています。そこで、通常の鉄道のような特殊装備の無い鉄道を目指し、いろいろな研究、設計を重ね、結果昭和38年の粘着(線路と鉄輪だけの事を指す)新線が開業するわけですが、その前に旧来の車両を説明する必要があるので、その話はその時に。


 それでは、次回をお楽しみに。


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Electric Locomotive#14

2016-10-13 | 鉄道写真


 それでは、連載第14回目は、碓氷峠区間アプト式の最後を飾る形式、ED42を取り上げていきたいと思います。


 昭和に入り、輸入機ED41に引き続き国内で製造された、ED42。最終期には同形式のみで運用され、昭和38年の粘着新線の完成で引退しました。写真のED42 1は、引退後横川機関区で保存され、後に動態復活し、車掌車に電圧変換装置を装備し本線走行も可能なまでになりましたが、現在は「碓氷峠鉄道文化村」にて、再び静態保存となっています(写真)。機構的にも麓の横川方のみの片運転台、従来形式の伝統は踏襲されています。


 後にキハ57形急行、キハ82系特急「白鳥」の前後にも立ちましたが、元々登山鉄道用のアプト式は東京~信州~北陸方面の輸送量に対しあまりに輸送力が不足するため、EF62、EF63が開発され、ラックレール無しでも運転可能となったため、結果引退しました。準鉄道記念物、技術的に見ても貴重な遺産であると思います。


 それでは、次回をお楽しみに。


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Electric Locomotive#13

2016-10-12 | 鉄道写真


 それでは、連載第13回目は、10000形、後のEC40に続く電気機関車をお届けします。


 いきなりのヘタレ画像で申し訳ありませんが、写真の電機は、国産初の電機、ED40です(写真)。これも横軽用、EC40への追加増備により、無煙化達成のために製造された電機です。駅ではパンタグラフで集電、走行時は第三軌条で集電します。


 大宮の、鉄道博物館開館前の内覧会での一枚です。



 軽井沢方先頭(写真)。見てのとおり電装部品のみで、運転台は横川方のみ、片運転台です。これは、EF63に至るまで、このスタイルです。



 この春に、鉄道博物館を再訪し、再び撮影しました(写真)。カメラとレンズの性能が上がり、リアルな写真となっています。



 反対側(写真)。強制発光に頼らず、感度だけで対応できました。



 横軽での心臓部、ラックレールと歯車の噛み合わせ(写真)。同機は横軽引退後、東武日光軌道線で使用され、その際に歯車部分は撤去されましたが、同線廃止で東武から返却され、永く大宮工場で保管されていました。同館開館に併せアプト式も復元され、往時の雰囲気を醸し出しています。


 また、落ち葉等障害物対策で、集電のための第三軌条は下向きで、下側から集電します。


 そうすると、次も分かる気がすると思いますが、そのとおりです。ご期待下さい。


 それでは、次回をお楽しみに。


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Electric Locomotive#12

2016-10-11 | 鉄道写真


 それでは、小休止を頂いた当連載。準備も十分ではありませんが、再開したいと思います。


 日本での最初の電化は、当時日本一の急勾配であった横軽、いわゆる「碓氷峠」区間です。スイスの登山鉄道のようなラックレール(歯車レール)と、車両の歯車を噛み合わせる通称「アプト式」により、鉄道開業に漕ぎ着けましたが、当然通過は「塗炭の苦しみ」で、SL当時は機関士も客も非常に苦痛なものでした。結果第三軌条式で電化され、碓氷湖と丸山発電所が設けられ、初の鉄道電化となりました。


 写真は、その際に用意された輸入電気機関車、10000形10000、後のEC40 1です(写真)。日本初の電気機関車です。



 時期を変えて、もう一枚(写真)。「しなの鉄道」ホームからの撮影です。



 同機は、「軽井沢駅舎記念館」の展示物、有料施設です。場内から、間近に見た姿(写真)。大正の自連一斉交換前の姿です。


 同機は、碓氷峠区間引退後、北陸の私鉄に最終的に移籍して、奇跡的に残っていたものが、復元され、同館に展示されます。正に、記念すべき第一号、ここから日本の電気機関車の歴史が始まりました。


 それでは、次回をお楽しみに。


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Electric Locomotive#11

2016-10-05 | 鉄道写真


 それでは、EF58の最終回、11回目は、やはり予想通り、172号機です(写真)。現在は、多くのEL、DL等とともに、群馬県松井田町横川駅近くの「碓氷鉄道文化村」にて保存されます。


 塗色は直流標準色、特筆すべき点が無いように思われますが、同機は専用のEF58 60号機及び61号機を除いて、お召し編成を牽いた数少ない58なのだそうです。梅小路のC51と同じ理由で、現在まで生き残りました。


 電車用パンタグラフ等、粗末な装備で始まったEF58の増備も、車両部品の整備、湘南形車体への載せ替え、そして本格増備で、東海道本線全線電化完成時に最大派閥となり、頂点を迎えます。しかし、以降電車化、新幹線、新性能直流機の増備で凋落し、荷物列車(荷レ)廃止で大量廃車、やっとファンの猫跨ぎが終わった頃には激減し、平成まで生き延びたのは僅か数機となってしまいました。そして、平成20年代には、遂に稼働機0となり、時代の変遷を感じます。


 EF58が終わったので、写真を見ると、多いのはやはりEF65とEF81、次いでEF64、EF66といった感じですが、まだ整理が未完了で、次回投稿の予定は未定です。近い将来に予定している、続編にご期待下さい。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Electric Locomotive#10

2016-10-04 | 鉄道写真


 それでは、今回は、EF58の10回目、JR東海の157号機をお届けします。


 先日は、茶色の58、122号機でしたが、同時期には直流標準色であった157号機(写真)。「トロッコファミリー号」他、工臨も牽くことがあったらしく、飯田線などでは、多くのファンを集めました。


 JR東海では、平成に入ってから、永くこの2両体制で維持されてきました。



 しかし、JR東海では客車、貨車が全廃となり、牽くべき車両をなくした機関車達は、引退することとなりました。


 おそらく6年前、JR東海浜松工場のイベント時に展示されていた、157号機(写真)。塗色が、「リニア・鉄道館」展示準備のため、ぶどう色2号に改められました。



 そして、先日「リニア・鉄道館」に行った際の、展示機となった157号機(写真)。「開館5th」のヘッドマークが装備されています。


 僚機が斃れていく中、最後まで元気であった同機ですが、遂に静態保存となり、少し残念ですが、経年からも、やむを得ません。永く、展示されて欲しいですね。


 それでは、次回をお楽しみに。


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Electric Locomotive#9

2016-10-03 | 鉄道写真


 それでは、今日は、EF58の9回目、122号機をお届けします。


 平成も2桁の時代になると、EF58現役機は全JRで5両で、内訳はJR西日本が1両、JR東日本が2両、そしてJR東海が2両でした。「JR全車両ハンドブック」では、通常の車両はロットごとの表示のところ、EF58は、SL同様に1輌ごとに写真と解説がつき、現役機の様子が分かりました。


 その、JR東海の当時現役機であった1輌、122号機です(写真)。青い方の58ではなく、茶色の方の58で、「トロッコファミリー号」などの牽引に当たっていました。JR東海浜松工場内で撮られたこの写真は、おそらく最末期の姿で、その後JR東海から客車列車が全廃となったことから、引退し、現存しません。残念ですが、仕方ありません。


 それでは、次回をお楽しみに。


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Electric Locomotive#8

2016-10-02 | 鉄道写真


 それでは、EF58の8回目、今回もカットモデルをお届けします。


 JR貨物広島車両所は、かつてはC62 1を保存し、現在もD52 1、他国鉄・JRの名機を保存しています。しかし、その収蔵数はあまりに多数となるため、一部が、整理されています。


 写真は、EF58 113のカットモデル(写真)。前4分の1に相当する部分で、先台車まで、一部機器室も含みます。塗色は、直流標準色で、青い旧客や20系客車を牽いた塗色と思われます。


 全体で残っていないのは残念ですが、跡形無い他のカマに比べれば、まだ運が良い。今後とも、永く残って欲しいですね。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Electric Locomotive#7

2016-10-01 | 鉄道写真


 それでは、今回は、EF58の7回目、大宮つながりで、154号機をお届けします。


 優等列車を65P、そして65PFに追われたEF58は、長距離客車急行、及び荷物列車に活路を見出します。その関係か、多くは広島や下関に移籍しました。しかし、まさか勾配線区用のEF62が、それを追い立てるなど、誰が思いついたのか?多くは壇ノ浦で無念の最期を遂げます。しかしその62も、荷レ廃止で、故郷碓氷峠に戻ること無く、無念の最期を遂げます。速度確保のため、弱め界磁多用で、トラブルも多発であったとのことです。


 一部の、運の良い58は、それ以外の場所で余生を送りました。154号機も、青大将色に戻され、カットモデルとしてJR東日本大宮車両センター本所の片隅に保存されます(写真)。



 同所の正門から続く中央通路に、同機の動輪がモニュメントとして保存されます(写真)。これは、昔カットモデルもこの並びにあったからで、この位置が手狭となったため、EF15共々移転したのでした。


 かつては東海道本線の雄として君臨したEF58も、新型機に追われ、次々撤退していった、それが歴史です。遂に、現役機も無くなり、寂しい感じはします。


 それでは、次回をお楽しみに。


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