お久しぶりです。
院長です。
今年はどんな年になるでしょう、なんてよく考えるのですが
自分の進む未来は自分で強く勝手に思い込むことが大切かと思います。
さて、神社に初詣に行く人も行かない人もいるでしょうが、行った場合は
まぁ、お賽銭というやつを入れますよね。
お賽銭を入れて願掛けをする。
お賽銭をチャリーンと投げ入れてお願いをするわけで、イメージ的には
お賽銭は願掛け料みたいな感じがあると思うのですが正しくはお賽銭は
感謝の気持ちだそうです。
去年お参りした時から今この瞬間まで無事に過ごせたことへの感謝の気持ちとして
5円なり10円なりを入れる。
一般的にはその流れというか皆さんそうするのでしょうけど、去年読んだ本で
面白いことが書いてありました。
その本ではお賽銭の意味合いを少し違う解釈で説明をしてました。
「お賽銭は自分が得がたいと思っている金額を知る儀式」だそうです。
「自分が、簡単に手放せる額」がお賽銭の額ですよね。
逆に言うとお賽銭の額以上のお金は簡単に手放せない、つまり簡単には手に入らないって
自分で思い込んでる額だそうです。
正直、お賽銭って捨て銭じゃないですか。
確かな対価が得られるわけじゃないし、いくら入れたって構わない。
入れなくたって構わない。
お賽銭で千円入れることに何ら抵抗の無い人は、千円というお金を大したものだと
思っていない人。
無料の試供品のように簡単に手に入るものだと思ってる人です。
そして重要なのは、お金は「お金なんて簡単に手に入る」
と思ってる人の元に集まるということです。
1万円欲しいよ~といくら思っても「千円すら簡単に手に入らない」と思ってる人の所には
1万円は来てくれないんだそうです。
手に入らないと信じているということは、手に入っては困ると望んでいるのと同じこと。
んなバカな!と思いますが、人間の深層心理と表層心理は違うのです。
深層心理がその人の望み、願いのブレーキになってしまってるケースが
とても多いのですがスピリチュアルっぽくも聞こえるのでこういう考えは
あまり万人受けはしないでしょう。
院長は深層心理がその人の人生を決めているという考え方にすごく共感するので
自分の中で今の現実の足を引っ張っているのはどういった固定観念なのか?と
考えることが多いです。
そんな経過があって、お賽銭でいくらなら粗末に放り入れる事が出来るかな・・と考え、
今年は500円玉を「こんなの石ころと変わんないよ。
その辺にいくらでも転がってるので造作もなく手に入る」と
強く思い込んでポイっと賽銭箱に入れました。
お年玉年賀状くじの2等が初めて当たったのは、それと無関係ではないはず。