院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康まで基本的にノンジャンルでかきつづります。

「イメージのいなし方」

2010年11月16日 21時15分34秒 | ノンジャンル
以前から発作的に出る「幻痛」というものに悩まされていました。

「幻肢痛」というものはあるが院長には手や足があるので「幻肢」ではない。

「幻痛」という言葉があるかどうかは知らないが、院長はこう呼んでいる。


自分の場合はあるとき急に「紙で指の第一関節の背側をシュッ!」と

切られるイメージが湧き上がる。

いったんその鮮明なイメージが沸き起こると同じイメージが繰り返し繰り返し起こり

その感覚が最終的には1秒以下の間隔で起こってしまう。

痛いという感覚もあるので、たまらずに両脇に手のひらを強く挟み込み、

歯を食いしばってギリギリと、こらえるんだが、これがツライ。

子供の頃は、握っていた木の角材を急に引っ張られて、トゲがいっぱい刺さる

というイメージに悩まされていた。

ちなみに指の背側を紙で切ったことも、角材でいっぱいトゲが刺さったことも

実際には経験がありません。


まず人には理解されないだろうな~と思うし、医学辞典にもたぶん載ってないので

自分で解決する以外に方法は無いでしょう。

まずこのイメージが起こった際に、ほかの事を考えよう!と試みましたが

とてもじゃないが、イメージの強さが強烈過ぎて自分ではコントロールが

出来ないようです。

そこで以前、シャンプーのたびに院長の前に出てくる貞子的な人のイメージを

克服したときの方法を試してみました。

イメージのすり替えですね。


考えないようにするのではなく、その考えを素早く他のものにすりかえる。

まず、そのシュッっと院長の指を切る紙が指に触れた瞬間にその紙を

油取り紙にすりかえるように心がけてみた。

油取り紙がフニャっとして指は無事というイメージも沸くが、油取り紙ですら

指が切れるくらいの早いスピードで引かれるようなイメージも半々で出てきてしまう。

油取り紙ではあまり具合が良くないので、素材をダンボールに変えてみたところ

これがとても具合が良い。

ダンボールの断面は波打った分厚い構造になっているので、指が鋭く切れることはなく

そのかわり少し白くすりむけるイメージになる。

これは全然辛くないので、指が切れるイメージが湧き上がったら、素材を

ダンボールに置き換えることにした。

ダンボールのイメージのほうが鋭い紙のイメージより強くなれば

その場はとりあえず解決。


ここまで読んで「・・院長、何言ってんの!?」と思う方がほとんどでしょう。

まぁ、正常な反応だと思いますよ。


院長のようなヘンテコなイメージに悩まされるケースは少ないとしても

大事な局面で失敗するイメージばかり浮かんでしまうとか、大きな悲しみの

イメージがフラッシュバックして胸が苦しくなるといったような、

何かしらのこころの重しを誰でも持ってると思うんだけど、それを無理に

押さえつけたり我慢したりそのイメージにどっぷり浸かり込んだりするのではなく、

イメージの転換といった、こころの合気道みたいな方法でうまくいなすことが

出来るようになると、いろんな悩みや苦手意識がパッキーーンと解決することがある。


人の幸、不幸なんて現実に起こってることなんてあんまり関係なく

心の操作でいかようにもなる、そんなことが、わかりかけのレディオ。


「もったいない、を再考」

2010年11月09日 21時46分16秒 | ノンジャンル
断捨離を進めていると、自分の身の周りからモノが無くなっていく快感というのを

深く感じるようになります。

モノだけでなく執着をも捨てるというのが断捨離の考えなので、

モノに溢れた生活が実は幸せではないと知ることが大事。


もちろん、いきなり仙人のような生活にはなれないけど、後で読むかも・・

と思っていた本やマンガ、DVD、CD、後で使うかも・・

と思っていた調味料や乾物、いつか着るかも・・

と思ってた洋服や大量の靴下等。


そのいづれも、どうせ日の目をみることはほとんどないのです。

どーーしても後で必要なら買えばいい。

再びお金を出して買う必要があるならば、だけどね。


捨てるもののほとんどは「まだ使えるモノ」です。

使えなくなった、壊れた、から捨てるのではなく、使ってないから捨てるのです。

そこで「まだ使えるし、捨てるなんてもったいない」という思いが浮かんできます。

日本の「モッタイナイ」はいい言葉!なんてことも聞きますが、

これはどうも世間一般で間違って使われている気がします。


「もったいない」は「使えるものを使い切る」というニュアンスで、

モノを無駄にしない精神なのだと思います。

どうやら陥りがちな「もったいない」の意味合いとして「まだ使えるから捨てない」

となるケースがとても多いのではないか。

「まだ使える」=「これからも使う」となればいいんだけど、実際は

「使えるけど使わないモノ」が身の回りにあふれるだけなのだ。


モノが溢れるだけなら収納がたくさんある家にとってはそんなに痛手に

ならないかも知れないが、無駄なものを買うこと、手に入れることを止めようと

学習するきっかけを失うのがよろしくない。

というのも、モノを捨てる際には「あー、結局コレ使わなかったな~」とか

「なんでこんな服買ったんだろう?」とか嫌な思いをすることで

「もうモノを無駄に捨てるのは嫌だから、買うときは本当に慎重になろう」と

しっかりと心に刻むことが出来るのです。


まだ使うかもしれない・・と実際には必要のない買い物をしてしまった後悔を

味わうことも先延ばしにして、なかったことにする。

本当にもったいないのは、必要の無いものをなんとなく買ってしまうことに

尽きるのに、結局は同じ失敗を何度も繰り返してしまう。

失敗した!と味わうことから逃げるから学習できない。


そう考えると部屋にものがごっちゃりと溢れている状態は不健全ではないかと思う。


モノを捨てるとは、いろんな意味で身動きが取れなくなっている自分からの

脱皮という儀式なのである。

たかだか部屋の片付けとバカにすることなかれ。