とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

2010-09-01 14:23:25 | 日記




 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
(三好達治『測量船』)
 雪が降らないと、雪が恋しくなり、雪が降りすぎると、消えていってくれと願う。これは人情というものである。それにしても、新年になってから雪を見ない。このまま春を迎えそうな暖かい日が続いている。そんな日に、私は「雪」という名作を思い出して、昔を懐かしく思っている。子どもの頃は、冬は雪に親しむ季節であった。新雪をゴム長靴で踏むと、グッ、グッ、ググッという心地よいくぐもった音が聞こえてきた。まるで生きているような新鮮な音色だった。出雲地方では「だんべ」と呼んでいるぼたん雪は、見る見るうちにすべてのものをふっくらと被っていった。そんな日は、竹スキーをしたり、雪合戦をしたりして興じたものである。時には、道に積もった雪を踏み固めて、滑って遊んだ。
 詩中の「太郎」、「次郎」はあの日の私たちそのものである。「花子」も隣に住んでいるかも知れない。遊びつかれて寝床に就くと、また、その夜しんしんと雪が降り始める……。
それにしても、作者はこの詩の中で、どうして男の子だけを登場させたのか。また、「……家に雪ふりつむ。」とどうしてしなかったのか。
 私は、この素朴な疑問を今まで温めてきた。この二点を踏まえた別の詩想が初め作者にはあったかどうか。そのことについて私は、今まで踏み込んだ調査をしていない。この詩を舌頭に千転させれば、そんな行為が虚しくなることは事実である。雪を歌った名詩として、これからも日本人の心の奥底で生き残っていくに違いない。(2007年投稿)