骨董狂い
骨董品との出会いは、理屈では説明しきれないものがある。言うなれば一目惚れである。
私は、もともと陶器についての知識はあまりない。また、先立つものもない。萩焼とか備前焼などは若い頃から聞いているし、益子焼の古い飾り皿が家にある。しかし、志野については全く無知である。ところが、宍道の骨董市で白い一輪挿しを見たときは、何かしら手招きをしているような気がした。近寄って手にすると、ずしりと重い。しかも釉薬が厚くかけてある。だから、肌にでこぼこがある。他の陶器のようにつるりとしていない。えも言われぬ温かみを感じるところは、他の陶器にない点である。淡い黒色の笹があしらってある。いわゆる絵志野である。値段も手ごろ。
よし買おう。私は決意した。包装して貰って、持ち帰って、じっくり見つめると、陶器とは思えないような愛おしさを感じ始めた。これこそ私のこれからの友になってくれそうだ。いい買い物をした。
それからというもの、パソコンでありとあらゆる志野を探して見つめた。鼠志野、赤志野、紅志野、練り込み志野。いろいろあるが、やはり白い肌の志野に親しみを感じる。特に、白蝋を流したような肌に、薄墨色で淡く小さい絵を描いたその風情は、私の心の奥底に染み入った。
後日、平田のリサイクルショップで絵志野の茶碗を見つけたときは、思わずドキリとした。使い込んだもので、変色している。二千五百円!
私はこの値段にも驚いた。この器ももちろん今家にある。
志野の故郷は美濃。時代は桃山時代に遡る。私の志野狂いは、これからどこに辿り着くのか? (2007年投稿)
骨董品との出会いは、理屈では説明しきれないものがある。言うなれば一目惚れである。
私は、もともと陶器についての知識はあまりない。また、先立つものもない。萩焼とか備前焼などは若い頃から聞いているし、益子焼の古い飾り皿が家にある。しかし、志野については全く無知である。ところが、宍道の骨董市で白い一輪挿しを見たときは、何かしら手招きをしているような気がした。近寄って手にすると、ずしりと重い。しかも釉薬が厚くかけてある。だから、肌にでこぼこがある。他の陶器のようにつるりとしていない。えも言われぬ温かみを感じるところは、他の陶器にない点である。淡い黒色の笹があしらってある。いわゆる絵志野である。値段も手ごろ。
よし買おう。私は決意した。包装して貰って、持ち帰って、じっくり見つめると、陶器とは思えないような愛おしさを感じ始めた。これこそ私のこれからの友になってくれそうだ。いい買い物をした。
それからというもの、パソコンでありとあらゆる志野を探して見つめた。鼠志野、赤志野、紅志野、練り込み志野。いろいろあるが、やはり白い肌の志野に親しみを感じる。特に、白蝋を流したような肌に、薄墨色で淡く小さい絵を描いたその風情は、私の心の奥底に染み入った。
後日、平田のリサイクルショップで絵志野の茶碗を見つけたときは、思わずドキリとした。使い込んだもので、変色している。二千五百円!
私はこの値段にも驚いた。この器ももちろん今家にある。
志野の故郷は美濃。時代は桃山時代に遡る。私の志野狂いは、これからどこに辿り着くのか? (2007年投稿)