文字の味わい
職場の会合で、私はときどき受付係をすることがある。そんなとき、私は引け目を感じる。人と対面すること自体ではなく、受付簿に次々と記入されていく名前の文字の筆跡に起因している。筆でもボールペンでも実に味があるからである。
私は自分の名前を今まで人様の前で数えきれないほど書いてきた。しかし一度としてよく書けたと思ったことがない。緊張しやすい性格だからかもしれない。いや、それ以上に自身の素質という深いところに原因があるらしい。自分の名前くらい自信を持って書きたいものだと思い続けている。
最近、書画の落款の署名の文字に異常に関心を持ち始めた。書家、画家の雅号は言わば作品の顔である。だから作家の個性が滲み出ている。しかも芸域の深まりとともに書体を変えている。竹内栖鳳の「鳳」の文字はいかにも鳥が止まっているような形に見えて、絵の一部のような趣きを出している。反面、小野竹喬の署名は楚々としていて、控え目である。横山大観の筆跡は地味だが、内に秘めた力を感じる。画家、書家の署名と一般の人の署名を同一のレベルで見ることはできない。しかし、長年書いてきた文字には、字配り、運筆にその人の人間そのものが表れ出てくるものである。
本紙(「島根日日新聞」)九日号に、子どもたちの漢字習熟度についての民間調査の結果が載っていた。たくさん読めて、たくさん書けるに越したことはない。私はその上に、漢字文化を愛する心を養って貰いたいと思っている。第一に心がけたいことは、自分の名前を心を込めて書くことである。「名は体を表す」という言葉があるが、言い得て妙だと思っている。(2007年投稿)
職場の会合で、私はときどき受付係をすることがある。そんなとき、私は引け目を感じる。人と対面すること自体ではなく、受付簿に次々と記入されていく名前の文字の筆跡に起因している。筆でもボールペンでも実に味があるからである。
私は自分の名前を今まで人様の前で数えきれないほど書いてきた。しかし一度としてよく書けたと思ったことがない。緊張しやすい性格だからかもしれない。いや、それ以上に自身の素質という深いところに原因があるらしい。自分の名前くらい自信を持って書きたいものだと思い続けている。
最近、書画の落款の署名の文字に異常に関心を持ち始めた。書家、画家の雅号は言わば作品の顔である。だから作家の個性が滲み出ている。しかも芸域の深まりとともに書体を変えている。竹内栖鳳の「鳳」の文字はいかにも鳥が止まっているような形に見えて、絵の一部のような趣きを出している。反面、小野竹喬の署名は楚々としていて、控え目である。横山大観の筆跡は地味だが、内に秘めた力を感じる。画家、書家の署名と一般の人の署名を同一のレベルで見ることはできない。しかし、長年書いてきた文字には、字配り、運筆にその人の人間そのものが表れ出てくるものである。
本紙(「島根日日新聞」)九日号に、子どもたちの漢字習熟度についての民間調査の結果が載っていた。たくさん読めて、たくさん書けるに越したことはない。私はその上に、漢字文化を愛する心を養って貰いたいと思っている。第一に心がけたいことは、自分の名前を心を込めて書くことである。「名は体を表す」という言葉があるが、言い得て妙だと思っている。(2007年投稿)