真実が知りたい!
まだ私は松平直政の初陣に拘っている。今度は直政病である。
手に入れた「初陣の図」には須山勝寂の原画があり、それを参考にしたものだと後で分かったので、その元の作品にお目にかかりたいものだとしきりに思っている。また、敵将の軍扇をどうして後生大事に松平家では保存していたのか、という疑問の解決に苦しんでいる。
前者の問題は早急に解決したいと思っている。持ち主の見当もついている。ただ、後者の問題は複雑な要素が錯綜しているので、なかなか解決できないような気がする。だから、私は思い切って「ありがたき幸せ」と直政が受け取ったという風に強引に書いた。
ある知人から『松平直政公戦功講談』を借り受け、真田丸攻めの経緯を詳しく知ることができた。その本には次のように書いてある。
① 先陣を果たそうと勇んで駆ける公をかばうために家臣が何度も公を追い抜いている。
② その様子を櫓から見ていた幸村は、その庇おうとする従者の姿とそれを払いのけるように先頭に出ようとする公の勇姿に甚く感動し、矢玉の攻撃を一時中断させている。その上、公の軍勢にも攻撃中止のお願いをしていて、一時敵も味方も二人の姿を見守っていた。幸村軍の攻撃が止んだところで軍扇を投げ与えている。
③ しかし、公は何をほざくな!と反発して、なおも攻め入ろうとしている。
これは松平家で講談師が語った内容である。だから、史実と完全に一致はしないと考えている。しかし、それにしても敵将が投げ与えた軍扇を公が拾ったのか、家臣が拾ったのか、その本には少しも触れてないのである。私の疑問は膨らむばかりでどうしようもない状態である。だから、私は美化して書いた。敵味方の大将が先陣で心を通わせる人間らしさ。これこそ絵になるのである。
補足だが、その本には、その後、敵味方が攻撃を開始し、公はある家臣に守られていたものの、命が危ない状況となる、と記してある。
……真実が知りたい! 軍扇をどうしてそこで直政公(もしくは公の家臣)は拾って持ち帰ったのか。(2007年投稿)
まだ私は松平直政の初陣に拘っている。今度は直政病である。
手に入れた「初陣の図」には須山勝寂の原画があり、それを参考にしたものだと後で分かったので、その元の作品にお目にかかりたいものだとしきりに思っている。また、敵将の軍扇をどうして後生大事に松平家では保存していたのか、という疑問の解決に苦しんでいる。
前者の問題は早急に解決したいと思っている。持ち主の見当もついている。ただ、後者の問題は複雑な要素が錯綜しているので、なかなか解決できないような気がする。だから、私は思い切って「ありがたき幸せ」と直政が受け取ったという風に強引に書いた。
ある知人から『松平直政公戦功講談』を借り受け、真田丸攻めの経緯を詳しく知ることができた。その本には次のように書いてある。
① 先陣を果たそうと勇んで駆ける公をかばうために家臣が何度も公を追い抜いている。
② その様子を櫓から見ていた幸村は、その庇おうとする従者の姿とそれを払いのけるように先頭に出ようとする公の勇姿に甚く感動し、矢玉の攻撃を一時中断させている。その上、公の軍勢にも攻撃中止のお願いをしていて、一時敵も味方も二人の姿を見守っていた。幸村軍の攻撃が止んだところで軍扇を投げ与えている。
③ しかし、公は何をほざくな!と反発して、なおも攻め入ろうとしている。
これは松平家で講談師が語った内容である。だから、史実と完全に一致はしないと考えている。しかし、それにしても敵将が投げ与えた軍扇を公が拾ったのか、家臣が拾ったのか、その本には少しも触れてないのである。私の疑問は膨らむばかりでどうしようもない状態である。だから、私は美化して書いた。敵味方の大将が先陣で心を通わせる人間らしさ。これこそ絵になるのである。
補足だが、その本には、その後、敵味方が攻撃を開始し、公はある家臣に守られていたものの、命が危ない状況となる、と記してある。
……真実が知りたい! 軍扇をどうしてそこで直政公(もしくは公の家臣)は拾って持ち帰ったのか。(2007年投稿)