とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

憎いドット

2010-09-28 23:29:08 | 日記
憎いドット



 私はこの数年間、地元で開かれる大小の美術展はほとんど見た。古美術商の店もたくさん訪問した。また、ネット・オークションの画面では数え切れない作品を見続けてきた。テレビの「開運!なんでも鑑定団」は毎週欠かさず見ている。
 その間に私の絵に対する動物的な「勘」が形成された。真贋に関する目も大分鋭くなったと思う。また、私の絵に対する好みも分かってきた。
 ただ一番厄介なことは工芸画と肉筆の見分けがなかなかつかないことと、ネット・オークションの場合のディスプレイ上の画面に旨く誤魔化されることである。
 前者は、例えば油彩画の場合、画面のデコボコまで再現されるのでますます巧妙になってきている。水彩画などの場合、手彩色が施してあるのはますます見分けがつかなくなる。これは有名な逸話だが、彼の大観でさえ自分の作品の工芸画と真筆の見分けができなかったという。
 後者の場合、例えば「水彩画」としてあっても、画面上の写真だけでは真筆か印刷かの判別がつかない場合がある。書き込みで尋ねても、真筆だという返事が返ってくる。リトグラフ以外の所謂印刷ものは、二十数倍のルーペで見ると規則正しいドットが浮かび上がってくる。どんなに精巧な印刷でもたちどころに判別がつく。ところがディスプレイ上の写真ではルーペをあててもドットが出てこない。
 以前素晴らしい絵柄の水彩画を只同然の値で落札した。しかし、送られてきた絵をみてがっくり。ルーペの中に無数のドット。してやられた!! 安物買いの銭失いのことわざ通りの結果になってしまった。
 「写真を見て自己判断する」というのがネット・オークションの取り決めになっている。これは出品者の旨い言い逃れとなっている。「自己責任」という言葉が入札者の上に重々しくのしかかってくる仕掛けになっているのである。後でどこかへ訴えても恐らく犯罪として成立はしないだろう。第一そんな面倒な手続きをする落札者はいないだろう。
 心がけたいことは、自分の「勘」で判断し、曖昧な要素が少しでもあれば入札を避けることである。ドットはまことに憎い。