都路華香
表題の人物を私は「みやこじかこう」と読んでいた。島根県の日本画家小村大雲の師匠に当たる人物である。
私の軸物への愛着心は、勝部大逸の富士山の作品から始まる。署名には「皇紀二千六百年」、「大逸山人」と書いてある。若い頃この作品を家宝と思って大事にしていた。その後退職してから彼が師事していた大雲の作品にも関心を持ち始め、ある人のお世話で手に入れることが叶った。それからというもの、軸物というと目の色が変わってきたのである。
調べた結果、大雲は京都四条派の流れを汲む森川曽文、都路華香、山元春挙の教えを受けていることが分かった。続いて、その三人の経歴、作品の傾向を調べた。曽文は淡い色調の点描のような線で描く。春挙は正統な筆法で写実的に描く。しかし華香には驚いた。色使い、構図が個性的で、筆法が繊細かつ大胆である。真っ赤な達磨像には驚いた。何かしら人間臭いところもある。松の老木から月の光が漏れ光っている風景画もあった。よく見ると月光を浴びた松葉が糸の如く細く淡く描いてある。
華香は、幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事している。竹内栖鳳らとともに楳嶺門下の四天王と称せられていた。ところが、不遇にも他の門下生のようにあまり高名ではなかった。しかも作品が国内外に散逸している。そういう事情を憂慮して、京都国立近代美術館、東京国立近代美術館、竹喬美術館で大規模な展示会が開かれた。私はその目録を手にして、しかも、小品を購入し、その偉業に瞠目(どうもく)している。いずれ近いうちに、華香が美術史の中から颯爽と躍り出てくることだろう。最後になったが、正しい読み方は「つじかこう」である。(2007年投稿)
表題の人物を私は「みやこじかこう」と読んでいた。島根県の日本画家小村大雲の師匠に当たる人物である。
私の軸物への愛着心は、勝部大逸の富士山の作品から始まる。署名には「皇紀二千六百年」、「大逸山人」と書いてある。若い頃この作品を家宝と思って大事にしていた。その後退職してから彼が師事していた大雲の作品にも関心を持ち始め、ある人のお世話で手に入れることが叶った。それからというもの、軸物というと目の色が変わってきたのである。
調べた結果、大雲は京都四条派の流れを汲む森川曽文、都路華香、山元春挙の教えを受けていることが分かった。続いて、その三人の経歴、作品の傾向を調べた。曽文は淡い色調の点描のような線で描く。春挙は正統な筆法で写実的に描く。しかし華香には驚いた。色使い、構図が個性的で、筆法が繊細かつ大胆である。真っ赤な達磨像には驚いた。何かしら人間臭いところもある。松の老木から月の光が漏れ光っている風景画もあった。よく見ると月光を浴びた松葉が糸の如く細く淡く描いてある。
華香は、幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事している。竹内栖鳳らとともに楳嶺門下の四天王と称せられていた。ところが、不遇にも他の門下生のようにあまり高名ではなかった。しかも作品が国内外に散逸している。そういう事情を憂慮して、京都国立近代美術館、東京国立近代美術館、竹喬美術館で大規模な展示会が開かれた。私はその目録を手にして、しかも、小品を購入し、その偉業に瞠目(どうもく)している。いずれ近いうちに、華香が美術史の中から颯爽と躍り出てくることだろう。最後になったが、正しい読み方は「つじかこう」である。(2007年投稿)