道具
いままでの人生の中で、私を強力に支えてくれたものは数限りないほどある。まず家族を初めとしたたくさんの親しい人たちを挙げねばならない。しかし、ここでは、敢えて道具というものに限って三つ挙げてみたい。
第一に挙げねばならないのが、電子式卓上計算機(電卓)である。算盤の苦手な私は、仕事場で成績処理をするときなどはまことに苦労した。だから、成績一覧表の縦横の合計をはじき出そうと悪戦苦闘した記憶が強烈に残っている。合計がその度に違っていたからである。ところへ、電卓なるものが普及し始めた。高価だったが、私は人より先に飛びついた。数字が表示される部分が真空管みたいなもので出来ていた。おかげで何とか人並みに仕事ができるようになった。
第二は回転式の電動印刷機である。それまでは、ガリ版の原紙を手動印刷機のローラーに貼り付けて刷っていた。しかし、原稿用紙に鉛筆で書き込んで、それをファックスにかけると印刷原紙がすぐにできた。それを輪転機に巻きつけて、スイッチを押すと、物凄い速さで数百枚の印刷物ができあがった。
第三は、ワード・プロセッサーである。初めはキー操作に慣れなくて、一字一字入力していた。しかし、熟練すると、数枚の資料でもたちどころに仕上がった。お陰で文字を書くということが疎かになったが、文書を書くという苦痛から解放された。
じゃ、パソコンはどうか? この文章もパソコンのお世話になっている。しかし、道具というより、マジック・ボックスという感じで、私にはまだまだ完全に馴染んではいない。
(2007年投稿)
いままでの人生の中で、私を強力に支えてくれたものは数限りないほどある。まず家族を初めとしたたくさんの親しい人たちを挙げねばならない。しかし、ここでは、敢えて道具というものに限って三つ挙げてみたい。
第一に挙げねばならないのが、電子式卓上計算機(電卓)である。算盤の苦手な私は、仕事場で成績処理をするときなどはまことに苦労した。だから、成績一覧表の縦横の合計をはじき出そうと悪戦苦闘した記憶が強烈に残っている。合計がその度に違っていたからである。ところへ、電卓なるものが普及し始めた。高価だったが、私は人より先に飛びついた。数字が表示される部分が真空管みたいなもので出来ていた。おかげで何とか人並みに仕事ができるようになった。
第二は回転式の電動印刷機である。それまでは、ガリ版の原紙を手動印刷機のローラーに貼り付けて刷っていた。しかし、原稿用紙に鉛筆で書き込んで、それをファックスにかけると印刷原紙がすぐにできた。それを輪転機に巻きつけて、スイッチを押すと、物凄い速さで数百枚の印刷物ができあがった。
第三は、ワード・プロセッサーである。初めはキー操作に慣れなくて、一字一字入力していた。しかし、熟練すると、数枚の資料でもたちどころに仕上がった。お陰で文字を書くということが疎かになったが、文書を書くという苦痛から解放された。
じゃ、パソコンはどうか? この文章もパソコンのお世話になっている。しかし、道具というより、マジック・ボックスという感じで、私にはまだまだ完全に馴染んではいない。
(2007年投稿)