80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

ウィスキーを飲みながら(その4) 見栄と言い訳

2016年11月04日 17時05分56秒 | 考える
見栄と言い訳・・・他人の評価が気になってならない。

真実、運命というものがあるのであれば、問うてみたい。
私は何のために生まれてきたのか?


70年間、ずっと、他人の意志に寄りかかり、他人任せの人生を送り
続けてきた。 ・・・そんな気がする。

しかし、これも自分の無能を棚に上げての、責任転嫁だろう。

今、ひょっとしたら、というよりは、完全に 「私の社会的役割」
終了している。
私の運命は、おそらく総てを承知の上で、素知らぬ顔で何も語ろう
とはしない。


私の人生は、ずっと言い訳ばかりで過ごしてきたようなものだ。
止まれ、これもまた言い訳じゃないか。


私は、ただ 「関係」 が欲しかっただけだ。
お互いの都合を超越するような、そんな関係が欲しかった。

真実の「関係」、そんなものはどこにもない。
そんな思いから、最近は、どうにも抜け切れない。

確かに、付き合ってくれる人たちは、少なからずいる。
だが、私のひねくれ根性が、その関係の中に、こちらに対する
優越感 (上から目線) を感じて、ちょっぴり腰が引けてしまうのだ。


もっとも、よくよく考えてみれば、
こちらが
「上目使いに相手を見上げれば」
当然のごとく、相手にその気は無くとも、
「上から見下ろす」 ことになる。

これは、結局、私自身の気持ちの問題でしかない。

これまで、ずっと働きたいと思い、いろいろやってきた (?) のだが、
8月の入退院以降、何か、急速に気力か薄れてしまった。

やることなすこと、総てが成果に結びつかない。
こちらの気力の問題もあるのだろうが、やってもやっても無反応。

何か、本当は生き続けるのも面倒なのだが、今、自分から死んで
しまうのも、常々、100歳、120歳までは生きると宣言している手前、
何か、 「負け」 を認めてしまうような気がして嫌だ。


ひょっとしたら、私と同じ環境で、同じことを考えている人間も
どこかにいるのかも知れない。

しかし、気持はぴたりと合っても、一緒にやっていくのは嫌だな。
ずっと、鏡を見ているような気分が続くのだろうし・・・。

やがては、自然に、相手が自分を超えていくのを感じ始める。
相手との関係に隙間が出来て、それが自己嫌悪に変わっていく。


ついつい、そんなパターンを思い描いてしまう。
私は、考えすぎなのだろうか?

時間は、まだ多少残っている・・・と、思う。
ウィスキーも、まだ大分残っている。
・・・って、新しく買ってきたばかりだ。


しばらくは、このまま飲みながら、考えてみることにしよう。
このウィスキーが、空になるまで・・・。
(最後は、ちょっと 強引な 「こじつけ」 だったかもしれない。)


【心の拠り所は、自らの内側に求める】 「稼ぐ思考術」 No.208
■今日のコトバ:
「自分自身は、あらゆる外的要因に左右されることなく、
 自分を信じることができる。」


■解説:
自分の心の拠り所を、自分の外側に求める人と、内側に求める人が
いる。
たとえば、何か所有物を増やすことや資産額に拠り所と安心感を見
出す人もいる。
その逆に、自分の内側である思想や、信条などに拠り所を見出す人
もいる。
心の拠り所を自分の外側に求めると外的な状況に左右されやすいが、
自分の内側に求めれば、常に心の安定感を得ることができる。

■実践:
自分の内側にこそ、心の拠り所を作ろう。
所有物や周りの人間関係は状況が変わることがあっても、Sさん自身
は、状況に左右されることなく自分自身を信じることができる。
小谷川拳次さん 「稼ぐ思考術」より


http://leadconsulting.jp/mail365/
小谷川拳次さん 「稼ぐ思考術」 は上記よりどうぞ。