友達に誘ってもらって3月21日に東寺ー弘法さんへ行きました。その時に西行法師の話になって、西行法師は武士で強かったのに、身分の高い女性に恋をして出家したというのを聞いて、途端に興味がわいてきました。白洲正子さんの本に書いてあるということなのですぐに図書館で借りました。西行ゆかりの地を歩かれていて、短歌とその土地のことなど詳しく書かれているのですが、方向音痴で短歌にも特別興味があるわけでもないので、途中でほかにもっと面白い本はないかと手あたり次第借りました。最後に出合った本が「西行花明かり」という小説でした。小説で私の知りたいことが書いてあったので、面白く読めました。西行は和歌山県旧那賀郡打田町出身です。三男が大学時代に住んでいたので、この辺りは何度か行きました。粉河寺も出てきて懐かしかったです。また西行法師が最後の眠りについた地が大阪南河内郡河南町「弘川寺」です。桜の美しい時に二男と行ったことがあります。こちらのお寺の桜は昼間は華やかで、夜は急に妖艶になったのでビックリしました。もう20年以上前のことです。妖艶に見えた理由も小説を読んで納得しました。それにしても私は意識していなかったのですが西行法師とご縁があったのかなと思いました。本名は佐藤義清(さとうのりきよ)、19歳で北面の武士になります。背が高くイケメンで文武両道でエリート。「成功ーじょうこう」と言って官位をお金で買えた時に北面の武士になったそうです。優秀な武士が突然23歳で出家しました。出家した理由は4つ考えられるそうです。
- 親友の突然死
- 高貴な女性への思慕
- 無常観や仏教への帰依
- 摂関家の争い皇位継承をめぐる政争への失望
23歳で身分の違う高貴な年上の女性ー待賢門院璋子 (たいけんもんいんたまこ)に惹かれて、恋心を断ち切ろうとしたとは早熟だったなと思いました。一途な方だったのでしょう。待賢門院璋子は美しかったばかりに白河法皇に溺愛され、愛人にされてしまいます。そして白河法皇の孫鳥羽天皇に嫁がされました。子供(後の崇徳天皇)を授かりますが白河法皇の子供だと言われています。他にも5人の子を産みますが鳥羽天皇の子か白河法皇の子か定かではありません。そんな生まれながらにして複雑な男女関係の中で、待賢門院璋子のボディーガードをしていた佐藤義清(後の西行法師)に出会います。佐藤義清は璋子にとって白馬の王子様だったのかなと思います。この世では結ばれない2人です。璋子は亡骸を吉野に葬ってほしいと西行に頼みます。美しい桜の下に。それで西行は桜を愛し桜の短歌をたくさん詠んでいるのだなと思いました。
「ねがはくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月のころ」
そうして弘川寺で五穀を断ち、願った通りに2月16日73年の生を終えました。
先日嵐山へ行ったときに撮った写真です。
こちらは二尊院の西行法師庵の跡です。
「わがものと 秋の梢を思ふかな 小倉の里に家居せしより」
西行法師のこと、教えてくれてありがとう。
2023-5-6(土) 図書館資料 請求番号:913/トキ
きっとseraさんの予想通りだったと思いますが。。。
seraさんはこれまでも西行さんの縁の地に行かれていたんですね。本を読みながら感慨深かったでしょう。
私も先日嵐山で、西行さんのお話を教えてもらいながら西行井戸など見られたので勉強になりました。
弘川寺にもいつか行ってみたいなぁ☺️
嵐山でお話しましたね📖
やっと面白い小説に出合って読み終わりました。
西行法師と待賢門院さんはダブル不倫です(^_^;)
瀬戸内寂聴さんが仰っていましたが、不倫するなら命懸けでないとだめですと。
この2人はまさしく命懸けです。
弘川寺はひなびたところでした。
もう、20年以上前になりましたが、田舎の山手だったと思います。
また、機会があれば、桜の季節に行きたいですね🌸