クラシックな音楽的生活

日々、家の中にヴァイオリンとピアノの音が流れています。

母校の礼拝へ その2

2016-03-16 | 日記

祭壇に向かって左側、前から8列目辺りに、4人並んで座りました。

在学していた頃と同じ赤い長方形の膝当てが、当時と同じように座面に置かれていたので、

それを足元に下し、膝をついて祈りの姿勢をとりました。

娘たちも、私に習って同じようにしました。

何を祈ればいいの?と言うので、心安らかに黙祷すればいいよ、と答えました。

椅子に座り直して、ゆっくり礼拝堂内を眺めました。

全く何も変わっていないと思われた内装ですが、大きな違い2つに気付きました。

1つは、お説教台。

それ自体は当時と変わらない十字架などの彫刻が施された立派なものですが、

これが、祭壇に向かって右側から左側に移動しました。

もう一つは、パイプオルガンです。

これはもしかしたら年数を経て大きな修繕が施されたのかもしれません。

こんなにも大規模で立派なオルガンが、左側から右側に移動していました。

高い天井の梁や、そこから垂れ下がる照明、祭壇の真ん中で輝く金の十字架を眺めながら、

そうだ、実は自分はこちら側に座ることはほとんどなかったのだ、

ということに気付きました。

私は6年間聖歌隊を務めていたので、祭壇上にある聖歌隊席にいつも座っていたのでした。

ソプラノパートだったので、当時は祭壇に向かって右側にある席に座っていました。

当時は、日曜礼拝の他に、平日は2時間目と3時間目の間に20分程の短い礼拝が

毎日行われていました。

若いですし、大抵の生徒は立って聖歌を歌うとき以外、居眠りをしてしまいます。

が、聖歌隊は目立つ場所にいますし、立場上、当然のことながら寝てはいけないと

厳しく言われているわけです。

でも、ソプラノ側には大きなお説教台があったおかげで、

その裏側の席はすっぽり隠れてしまい、寝ても気付かれないのです。

私は席順がその裏側になることがほとんどだったので、ちゃっかりいつも寝ていましたw

そうです、かなり不真面目な聖歌隊でした。

いろいろな思い出がよみがえってきます。

午前10時、礼拝が始まりました。

この日のテーマは、「3・11を覚えて ~Pray for Japan の祈りによる~」というもので、

当時のこと、また、現在も苦しみを抱えていらっしゃる方々を「忘れない」ために、毎年3月に

行われているのだそうです。

    


ランキングに参加しています。
クリックしてくださると嬉しいです!