■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■池田氏がいちばん知っている創価のインチキ 2 投稿日: 2014年5月22日
あっという間にたくさんのコメントをいただきまして、ほんとうにありがとうございます。
早く更新しなければ、コメント欄が長くなりすぎてわかりにくくなりますよね。
できましたら、新しいコメントはこちらにお願いします。
テーマはひきつづき「池田氏がいちばん知っている創価のインチキ」です。
このところ創価の実態に気づいて未活になった婦人部の方の生々しい報告があり、そのすごい説得力のおかげで、アクセス数もどんどん増えています。それだけみなさんの関心があることだし、共感できる方が大勢いらっしゃるということだと思います。辞めたくても辞められないで悩んでいらっしゃる婦人部の方は、予想以上に多いのでしょう。
役職を与えて辞められなくするというのも組織の手です。辞めることに罪悪感を植え付ける。あるいは福運を消すとか、罰が当たるとか、恩知らずとか、魔に負けるなとか、立派なハラスメントですよね。これのどこが信仰なのでしょう。その人がどうして悩んでいるのかなんて聞こうともしない。活動家が減るのが困るから、なんとでも脅して踏みとどまらせようとします。
組織の統監数なんてでたらめです。行方不明者でいっぱいですよ。ほんとうの活動家がいったいどれくらいいるのかを組織としては知られたくないでしょうね。下からはほんとの数は言えないし、上もほんとの数字は聞きたくないから、統監なんて形ばかりです。一度、全国の座談会の出席者数をまとめて知りたいですね。公称827万世帯が実際のところはいくつなのか。
私は独身の頃に学校の教員をしていたのですが、そのころ聖教新聞の代配を頼まれて日曜日だけやっていました。ときどき配達中に学生に会ったりして変に思われたときもありました。教職員が副業を見つかったら免職になりますからね。代配程度では副業にはならないのかもしれませんが、やっぱりこれっておかしいよなと思いながらも、けっこう何年も続けました。われながらアホでした(笑)。
やはり創価が宗教だなんていう勘違いが、一般常識さえ見えなくするんだろうと思います。教職員や公務員が会館警備したり、民音のチケット販売したり、書籍を売ったり、新聞の勧誘や配達や集金業務までするのはおかしいです。学校や役所の管理職に知れたらクビになるんじゃないでしょうか。
こうした一般常識を無視する創価のおかしなところを挙げていけばきりがないのですが、どれもこれもみんな池田氏の指示の元に行われてきたわけです。こんなインチキもすべて池田氏の一存で決められ、トップダウンで組織が動いてきました。池田氏が姿を現さなくなっても、組織は今でもトップダウンで運営されているかのようなふりをしています。いまだに池田氏の新しい短歌が聖教新聞に載ります。組織のおかしさに気づいた学会員でも、池田氏だけは間違いないと言い張る人もいます。でも池田氏がいちばん自分のしてきたインチキを知っているんです。組織さえ変われば学会は素晴らしい宗教団体として再生できるという考えのようですが、どう考えても理屈があっていません。インチキ宗教の根源は池田氏にあり、中枢幹部はそのインチキを知っていながら目先の利害に縛られて、池田氏の言うがままに組織を動かしてきました。池田氏がいなくなった今でも、インチキは所詮インチキですから、幹部はこれまでどおりにインチキを続けるしかないわけです。つまり、だれがどんなに改革しようとも、もとがインチキですから創価がいまさら宗教に変身するわけがありません。
池田氏が実質的にいなくなった今も、そのインチキを組織は継続させています。いったいいつまで保つと思っているのでしょうね。昨日のテレビのニュースステーションに公明党の山口代表が出ていて、司会の古館氏に集団的自衛権についての質問をされていましたが、あいかわらずのらりくらりと質問をかわしていました。どうせ最後は憲法改正まで賛成するんでしょうから、今の時点ではっきりしたことは言えないのでしょうね。
このブログを立ち上げた頃、私はここを1万人の声が集まる場にしたいと言いました。なかにはばかげたことを言うなといった批判もありました。1万人も集まるわけがないだろうと。いま、このブログのアクセス数は2000~2500です。少なくとも一週間で10000以上になります。現在総アクセス数は470000になります。途中でブログの場所を変えましたので、実際はすでに500000を超えています。人数は数えてはいませんが、これまでもかなりの数の方に創価の実態について語っていただきました。これから5年10年続いたときに、1万人の方がこのブログに声を寄せられるのも夢ではないと思います。まあ、10年後に創価が存在していればの話ですけどね。
このブログを読んでくださっているみなさん。とくに創価のおかしさに疑問を抱いているけど、活動をやめられないで悩んでいる活動家のみなさん。ぜひ、あなたの正直な気持ちを聞かせてください。同じように悩んでおられる方が全国にたくさんいらっしゃいます。このコメント欄に、一言でいいですからお話を聞かせてください。どれだけ多くの方が、同じようなことで悩まれているのかがはっきりします。創価による具体的な問題があきらかになります。外から指摘するのではなくて、実際に何年、何十年と活動されてきた方の生の声がここにたくさん集まることで、悩んでこられた方の大きな励みになります。辞めてみなければ、自分がそれまでどんなに馬鹿げたことを信じていたのかがわかりません。一日も早く創価の呪縛からぬけだし、本当の幸せに向かって歩きましょう。
●サラマンダラ (2014年5月22日 21:18 )
こうして皆さんのコメント読んでいると3、40年前と今と全く組織の内容は変わってませんね。ただ集金システムが強化されただけで、会員は不信感を増大させて披露こんぱいするばかりですね
迷うことはありません先に紹介した
懺悔滅罪のために
蘇生への選択
ぜひ、ぜひ読んでくださいこれを読めば何もかもわかります
迷っている方や、踏ん切りのつかない方に迷うことなくおすすめします
皆さんの背中を力強く押してくれますよ
アマゾンで検索して手に入りますよ
●ポラリス (2014年5月23日 22:25 )
今のブログをみると私とyさんが現役学会員で改革を志向しています。その他の方々は、元学会員、未活動家で、あらん限りの学会の悪いところを指摘しています。組織悪の90%は同意出来ますが100%悪い組織はありません。特に地区幹部以上の方はMCされていますが、会員一人一人の本音は、ノルマと成果主義にはうんざりしていると思います。私はブロックで、あるべき組織について皆と話し合いをしたいと思います。今の組織は人間主義なのか、人間主義の組織は可能なのか、そもそも人間主義とは何なのか、ここのブログのコメントも参考にしながら、対話してみたいと思います。
私は、組織のMCから覚醒された方は脱会、未活家になるという選択しかないのだろうか、また覚醒された方のコメントをみて、本当に覚醒されているのだろうか、
何をもって覚醒と言われているのでしょうか、宜しくお願いします。
●ポラリス (2014年5月24日 04:34 )
シニフィエさんのコメントを読んでの感想なんですが、一つ一つの質問に答えようと思うと、申しわけないのですが私的に大変なので、都合の悪い指摘をされると完全にスルーされますよねについてお答えします。全然都合の悪い質問は一つもないと思います。一般の会社て゛も不祥事があると組織のトップが責任を取ります。それからいくと、創価の不祥事はトップである先生の責任だと思います。創価の歴史をみても、戸田先生は理事長を辞任、先生も会員の選挙違反で逮捕されていますし、私が学生部になった昭和54年には先生は会長を辞してます。聖教新聞を世界の人々に読ませたいとは言いましたが、世界の人々に取らせたいとは言っていません。先生もノルマと成果主義でこんなにも会員が苦労しているとは思っていないと思います。私は自分の中に師弟があり創価があります。多分シニフィエさんもここに来られた方々もそうだったと思います。もし、今の創価がシニフィエさんが言われる詐欺集団とすると一体誰が創ってきたのか、私でありシニフィエさんであり皆さんだと思います。会社の不祥事の責任はトップにありますが、不祥事を起こすのはトップではありません。シニフィエさんはとても真摯な方だと思います。悩まれて悩まれての決断だったと思います。私は組織ではなく師弟なのです。先生が天理教なら私も天理教で、キリスト教ならキリスト教なのです。創価の原点は師弟しかないのです。宜しくお願いします。
●signifie (2014年5月24日 06:35 )
ポラリスさん、さっそくお返事ありがとうございます。
ポラリスさん、失礼ですが自分の言っていることがわかっていますか?
>先生もノルマと成果主義でこんなにも会員が苦労しているとは思っていないと思います。
それではポラリスさんは池田氏は会員のことはよくわかっていなくて、幹部が勝手に今の創価をつくってきたと思っているのですね。つまり師匠の池田氏は弟子であるポラリスさんのこともよくわかっていないと言っているのですよ。弟子がいくら池田氏を師と仰いでも、肝心の池田氏は弟子のことを理解していないということですよね。それのどこが師弟なのでしょうか。ポラリスさんの言う創価の原点である師弟を、人生の師自らが否定していることになりませんか。矛盾していませんか。
ポラリスさんからすれば信じられないことかもしれませんが、私は池田氏を師と思ったことは一度もありません。「池田先生」と口に出したことさえありません。活動をしていた時期でも池田氏のことは「池田会長」または「池田名誉会長」としか呼んできませんでした。あくまで日蓮仏法の信者の団体の長としての認識しかありませんでした。私が信じていたのは池田氏ではなく日蓮仏法でした。はっきりいえば会長は誰でもよかった。だから池田氏が会長を辞めて、会長職が持ち回りのようになったときはそれが正しい組織のあり方だ思いました。でも実際は4代目以降の会長はただのお飾りだったわけですけどね。池田氏が気に入らない会長は人前で恥をかかせて辞めさせていたわけですから。
ですからポラリスさんがいう「先生が天理教なら私も天理教で、キリスト教ならキリスト教なのです」という言葉には驚きました。ポラリスさんは宗教を信じているのではなくて池田氏を信仰しているんだなと思いました。そして池田氏は会員の苦労を知らないでいるという言葉にもさらに驚きました。では師弟ってお互いに理解しなくてもいいんだということですよね。なんかわけがわかりません。
私は仏法は道理だという基本理念に深く納得していたように思います。この世はひとつの法則で存在している。その法則が南無妙法蓮華経に集約されていると本気で思っていました。創価がインチキだと確信できたときでも、日蓮仏法はまだ間違いないと思っていました。でもそれも違うと気がついて、あえて仏壇をたたき壊しました。私の場合の覚醒は「自分が騙されていたことに気がついた」といったほうが近いと思います。
>私は組織ではなく師弟なのです。先生が天理教なら私も天理教で、キリスト教ならキリスト教なのです。創価の原点は師弟しかないのです。
さきほども書きましたが、これではポラリスさんは単なる創価の異端者ですよ。そんな身勝手な考えは当然創価には必要とされませんし、もちろん池田氏も元気だったら認めないでしょう。ポラリスさん一人だけが勝手に一方的に師だと言い張っているに過ぎません。そのような考えをブロック員さんに押し付けても誰もついて来ないし、たとえついてきたとしてももはや創価学会ではありません。ただの池田フリークです。こうなるとポラリスさんのやっていることは宗教でも何でもないと思います。何しろ教義は天理教でもキリスト教でもいいということですから、憧れのタレントについてまわる「追っかけ」と変わらないのではないでしょうか。言い方は悪いですが偏った執着のある人、つまりモノマニア、あるいはパラノイアの域です。
ポラリスさんの意見に対してみなさんからコメントをと思っていましたが、ここまで特殊な池田氏に対する信仰の方のことを話題にすることは、このブログの本来の主旨から外れていくような気がします。
なのでポラリスさんにもう一度確認します。
・創価の原点は師弟だ(教義は天理教でもキリスト教でもかまわない)
・師匠の池田氏は弟子である会員の苦しみをわかっていない
・それでも悪いのは池田氏ではなく組織だ
・池田氏が天理教と言えば自分も天理教の信者になる
・自分は自分のブロックをもとに創価を改革していく
ポラリスさんの考えについて上記に間違いないですね。このことをポラリスさんが所属するブロック員さんが聞いてどう思うでしょう。ポラリスさんのブロック員さんたちもポラリスと同じように、日蓮仏法より池田氏を信奉しているのですか?池田氏が明日から天理教だといえば天理教の信者になる覚悟で活動をしているのですか?そこも不明です。ぜひブロック員さんの反応を聞かせてください。
それともうひとつ、ポラリスさんの師匠である池田氏はブロックを原点に組織を改革しろと言ってはいません。池田氏は組織への不満を漏らしているわけではありません。師匠が言いもしないことを弟子が自分の判断で勝手にやっていいのでしょうか。師匠は弟子のことをわかっていない。弟子は師匠がいいもしないことをやろうとしている。それでも池田氏とポラリスさんは師弟と言えるのでしょうか。お互いの無理解をなぜ師弟と言えるのでしょう。これもブロック員さんに訊いてみてください。
問いつめるようなことを言ってしまいましたが、私はポラリスさんを否定しているのではありません。ポラリスさんの生き方をとやかく言える人はいません。言うつもりもありません。ただおっしゃることがどうも矛盾していて、なおかつ創価の考え方からもとても離れているようなので、それでも創価を改革していくというポラリスさんのことが私には理解できないのです。池田氏にしてみれば、ポラリスさんの情熱はありがた迷惑なのではないでしょうか。でも今後もポラリスさんとなんとか対話を進めていくためにあえて上記のことについて確認したいです。よろしくお願いします。
【解説】
創価学会員のポラリスさんが、シニフィエさんにだいぶやり込められています。
対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。
獅子風蓮