■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
■そもそも創価というのは○○です 投稿日: 2014年8月8日
創価学会員さんに、どうにかして目を覚ましてもらうには、何をどう伝えていけばいいんだろうと常に考えるのですが、なかなか難しいですね。すでにこのブログではコメントの数が4000になろうとしています。もちろん延べ数ですが、このブログひとつだけでも4000もの声があるにもかかわらず、それを文字通り理解してくれる学会員さんがほんのわずかしかいないというのも、創価がいかに洗脳集団なのかということの表れでもあると思います。
そこで今回のテーマを
「そもそも創価というのは○○です」
としたらどうだろうと考えてみました。
この○○にいちばん当てはまりそうな言葉を考えてみました。これは簡単なようで、実際に考えてみると意外と難しいです。というのも、「それは単なる決めつけじゃないか」という反論がいえない○○である必要があるからです。
「そもそも創価というのは詐欺です」これは脱会者にとっては当然のことですが、会員にとっては説得力がないですね。「そんなの学会を貶めようとする醜聞だ」とか「正法を妨げる魔のはたらきだ」なとどいった判で押したような思考しかできませんから。まったく聞く耳もちませんよね。「そもそも創価というのは宗教ではありません」というのも私がいちばん言いたいことですが、これも信じている人にとっては取りつく島もないでしょう。
いったい何をどう説明すればわかってもらえるのか。このブログを書く時はそういった自分への問いかけの毎日です。
学会員さんは、じつに簡単なことで騙されています。じつにシンプルに思考停止されられているんですよね。なにしろ自分で考えたら地獄に堕ちると脅されまくってますから。その思考停止の道具が教学です。学会員さんは仏教をねじまげてつくった創価の独善的な選民思想を唯一正しい信仰だと思わされている。どれくらいねじ曲がっているかを事細かに説明してもわからない。普通に考えればすぐにわかることを、まったくわからないように操作されているわけです。すべては会員にお金を出させるための手段であり、組織の上層部は会員さんたちにその目的を悟られないようにするために、あたかもこれが信仰であるかのように思い込ませます。
これって典型的な新興宗教の手口です。だから、学会員さんも統一教会や幸福の科学がそういったお金のための新興宗教だということがわかっているのに、それらとまったく同じ内容であるにもかかわらず、自分たちの創価学会だけは正しいと信じている。まったく不思議ですよね。同じお店で買った毒饅頭を、隣の人が食べて死ぬのを見ているにもかかわらず、自分が食べれば死んじゃうどころか美味しいと信じている。きっと「統一教会や幸福の科学といっしょにするなんて失礼だわ」と言うかもしれませんが、統一教会の信者さんだって「創価や幸福の科学と同じにしないでよ」と言うだろうし、幸福の科学の人も「うちは統一教会や創価学会のようなカルトではありません」と言い張るでしょう。いったいどこが違うのか、創価の人に聞いても「創価は仏法を基調とした平和の団体です」というでしょう。幸福の科学も同じことを言っています。統一教会はキリスト教を基調としています。でも中身は三者とも仏教でもなければキリスト教でもありません。信者を煙に巻くために都合よくねじ曲げられた怪しい新興宗教です。そのことに気がつかないようにするための教義であることに気がつかないんですよ。これは統一教会や幸福の科学の信者さんにしても同じです。自分たちだけは正しい信仰をしている。自分たちだけが幸せの切符を手に入れている特別な存在だと思い込んでいる。端から見れば目くそ鼻くそなんですが(笑)、当事者にしてみれば真剣なんですね。「自分たちだけが」というところがミソですね。私の親しい友人に幸福の科学の信者がいるんですが、普段はとってもいいやつなんですけど、宗教の話になると目の色が変わります。幸福の科学を全面的に信じています。大川総裁が末法の救世主、いやそもそもこの世をつくった全能の神(エル・カンターレ)だと信じています。そして総裁が言うように日本も早く軍隊を整備して中国に先制攻撃しないとやられてしまうぞと言っています。普段はとっても優しい良識のある男なんですが、宗教となると豹変するんです。創価とよく似ています。
新興宗教の特徴はわけのわからない優越感をあたえられて、結局はどの団体も信者さんはいつのまにかお金を吸い上げられている。これって新興宗教の典型的なわかりやすすぎる詐欺の手口ですが、信者さんはこんな簡単なことに気づかないように教え込まれている。これが洗脳というものの恐ろしさでしょう。
そう言った意味で言うと「そもそも創価学会は統一教会です」とか「そもそも創価学会は幸福の科学です」というテーゼが成り立つのですが、これまた学会員さんにしてみれば噴飯ものなんでしょうね(笑)。
ではもっと学会員さんを激怒させるテーゼを考えてみましょう。
「そもそも創価学会は日蓮正宗です」
さあ、どうでしょう。
学会員さんは「あんなクソ坊主と一緒にするな!」と憤慨するかもしれませんね(笑)。
でもよく考えてみてください。創価学会の公式HPによると、創価学会は1930年に初代会長が『創価教育学体系』を発表した日を創立記念日としています。なので今年は創立84年。みなさんご存知のように創価学会は1991年に破門されるまで日蓮正宗の信徒団体でした。じつに創価学会84年の歴史のうち最初の61年間は日蓮正宗の信徒団体だったのです。正確 に言うと「創価学会は1946年に牧口初代会長と戸田理事長によって日蓮正宗の信徒団体として創設されました」となるはずなんですが、どうやら意地でも日蓮正宗の信徒団体であった創価の生い立ちを隠したいようです。で、創価の創立年を確認するためにさきほどあらためて公式HPを見たのですが、創価が日蓮正宗の信徒団体であったことも、その日蓮正宗から破門されたことも一切ふれていません。それどころか、日蓮正宗の名称はどこにもありません。はじめからなかったような扱いです。これにはちょっと驚きました。「日蓮正宗?なにそれ?」です。しかし組織では全国で「日顕撲滅唱題会」をやって、みんなで集まっては日蓮正宗を呪い倒そうとしています。何も関係がないはずなのに、なんでそんなことを組織をあげてやらなくちゃいけないんでしょうね。でもこれも誰も否定しようのない事実ですよね。
学会員さん、この事実をどのように説明しますか?創立以来61年間も日蓮正宗の信徒団体としてやってきた自分たちの歴史をなかったことにしてるんですよ。でもなかったことにしてるわりには聖教新聞で日蓮正宗のことをボロクソに書いてますよね。日蓮正宗の人たちもネットで創価のことをボロクソに罵倒していますよね。お互いにたくさん裁判を起こし合っていますよね。ほんとに関係なかったら相手にしなきゃいいではないですか?
「そもそも創価学会は日蓮正宗です」というのは私が勝手に言ってることではなくて、誰も否定しようのない事実であることは学会員さんも否定のしようがありませんよね。
もう一度言ってみましょう。
「そもそも創価学会は日蓮正宗です」
学会員のみなさん、これほんとに否定できますか?なかったことにしていいんですか?それとも日蓮正宗が変わってしまったと言い訳しますか?ではそのことをはっきり公式HPに掲載すればいいではないですか?私たちは日蓮正宗の信徒団体でしたが、日蓮正宗は道を誤ってしまったが故に、私たちは破門され、日蓮正宗の本当の教義は創価学会が継承しているのだと。なぜ言わないんですか?なぜ何もなかったことにするんですか?
でも創価が日蓮正宗から破門された後も、あなたたちは日蓮正宗のご本尊を拝んでるでしょ?カラーコピーですけどね(笑)。
学会員のみなさん。創価は日蓮正宗とは何の関係もないと言っているんですが、その何の関係もない日蓮正宗のご本尊のカラーコピーを拝むと誰よりも幸せになれると言っているんですよね。言ってるだけではなくて、実際にそう信じて拝んでるんですよね。何も疑問を感じませんか?そんなカラーコピーを3000円(今はいくらか知りませんが)で買って、大切に仏壇にかけて毎日毎日拝んでるんでしょ。ときには「打倒日顕!」と呪ってるわけでしょ。あなたたちが拝んでいるのは、その日顕さんが法主を務めていた日蓮正宗のご本尊のカラーコピーなんですよ。おかしいと思わないんですか?……思わないですよね。疑ったら地獄に堕ちるとこれまた信じてますからね。
ということで、いろいろ長くなりましたが(笑)、話をまとめますね。
日蓮正宗の信徒団体として発足してから61年もの歴史をなかったことにしている今の創価学会が、今なお日蓮正宗のご本尊のカラーコピーを拝めば幸せになれると言って、結果としてなぜか毎年たいへんな額のお金を貢がせていることに何の疑問も抱かない学会員のみなさんに対してお訊きします。
「そもそも創価学会は日蓮正宗です」は間違いですか?
公式HPに何の記載もないということは、創価が日蓮正宗の信徒団体だったという61年の歴史は間違いだったと認めるんですね。
ではなぜその間違いのご本尊を拝んでいるんですか?
日蓮正宗と同じご本尊を拝んでいて、日蓮正宗の人は地獄に堕ちて、自分たちは幸せになると信じているのはなぜですか?
いろいろ理屈に合わないことがありますね。でもそれでも上から言われた通りに信じていくことが信心を貫くということだと思っているんですよね。
いいんですけどね。すでに脱会した私にとっては、創価学会の人が何を信じ、何を拝もうと知ったことではないのですが、そうまでして信じる理由がどこにあるのか訊いてみたいなと思うのです。私と学会員さんの違いがどこにあるのかを知りたいなと。
私と学会員さんの違い。信心があるかないかですよね。
私、そんな信心なんかいりません。ボロクソに罵倒している宗教のご本尊をカラーコピーして拝んで幸せになれると信じているあなたたちを理解できないからです。それっておかしいですか?信じない私は幸せになる資格がないですか?何がなんでもカラーコピーを拝まなければ人間は幸せになれないのですか?全世界の人が幸せになるには、そのカラーコピーを拝むしかないと本気で考えているのですね。で、それで誰か幸せになれましたか?あなたのまわりの学会員さんは幸せで幸せでしょうがないって言っていますか?創価学会ができて84年。日蓮が自分は末法万年にわたって世界の人々を救うために出現したと宣言して「一閻浮提総与の大御本尊を御建立」してから735年。あなた自身、ほんとうに幸せですか?
それともうひとつ。
毎年ありったけのお金を寄付することと、あなたの幸せにどんな関係があるのでしょう。
宗教団体を運営していくにはお金が必要なことはわかります。でも、たくさんのお金を寄付すればするほど幸せになれるという考えは、はたして仏教なのですか?じゃあ、大金持ちはたちまち成仏ってわけですか?っていうか、それって宗教の教義としてあっていいんでしょうか。そんなこと考えたことがありますか?なんとなく「功徳をもらうためには1円でも多く財務をしなければ」と思い込んでいませんか?日蓮さんがそんなことを言ってますか?御書に書いてますか?それって創価の都合ではないですか?功徳と財務の金額が比例するという根拠がどこにあるのでしょう。どこにあるのか考えると功徳がなくなるかもしれないと思ってできないですか?金額で増えたり減ったりする功徳ってなんですか?そんな物欲しさのために一生をこの信仰に捧げている自分がいることに何も疑問を感じませんか?…感じませんよね。そんなことを考えるだけで功徳が減っちゃいますもんね。
【解説】
対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。
獅子風蓮