獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(3)

2022-01-10 01:08:28 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■座談会という罠         投稿日: 2014年6月25日

おかげさまで、2、3日で50を超えるコメントをいただき、管理者としてはうれしい悲鳴をあげています(笑)。みなさんの大切なコメントは確実に多くの方へ届いているものと思います。
引き続き、みなさんからのコメントをお願いします。今回のテーマは「座談会という罠」です。
創価の組織活動の基盤をつくっている「座談会」を、覚醒された方の目から見てどうだったのか、座談会で行われてきたことは何だったのかということを中心にお話をいただければと思います。また近頃創価に入って、まだ座談会に参加しただけぐらいの方にとっては、おそらく優しく気のいい人たちの集まりであるかのように見えると思います。しかしその裏にとんでもない意図が仕組まれていることを、覚醒した方はよくご存知だと思います。そうした部分をあからさまにして、これ以上創価の毒牙にかからないようなアドバイスをお願いできればと思います。
また、先日からのエリさんの相談や、ひろたんさんのような切羽詰まった悩みも、いつでも受け付けています。このブログには少なく見ても1000人の脱会者や未活の方がご覧になっています。いろんな角度から、創価に対してどのように対処していけばいいのかのアドバイスがありますので、安心してお書きください。
さあ、みなさん、まずはみなさんがいやというほど体験してきた「座談会という罠」を徹底的に分析してみましょう。

●signifie (2014年6月25日 16:35 )
座談会の仕組みは、戦後間もない社会状況の中で考え出された、末端組織をどうやってコントロールし、洗脳を強化していくかといったことの戦略だったと思います。ですから今のような住宅事情やコミュニティのありかたとのギャップがありすぎるのにもかかわらず、旧態然とした方法が今でもとられているんですよね。
今では考えられないことですが、昔は家の玄関の鍵をする家も少なかったし、近所の人は平気で他人の家にあがりこんでいました。その感覚が学会の座談会には当たり前のようのまかり通っているんですよね。私の実家も、常に学会の人が時間などおかまいなしに上がり込んで、勝手に勤行をはじめたり、大声で唱題を続けるようなありさまでした。そんなに大きな家ではないし、隣の家ともピッタリくっついていましたから、今思えばそうとう迷惑をかけていたんだろうなと思います。そして学会員は今でもそんな非常識をなんとも思っていません。なにより自分の福運や功徳が大切なので、社会の常識なんて知ったことではありません。それが彼らの行動にはっきりと現れていますよね。
私の場合、最後に座談会に出たのがそうとう昔のことになりますから、あまりよく憶えていません。でもちょっと印象深かったのが、座談会場の仏壇の扉を素手で開けようとしたら、会場の年配のご主人からあからさまに嫌な顔をされました。その方にとっては仏壇を手で触れることすらあってはならないほど神聖なものらしいのです。もし私が仏壇を素手でたたき壊したことを言ったら気絶したかもしれませんね(笑)。
おしきみの葉をちぎって口にくわえて、仏壇に息がかからないようにする姿も見ますが、おしきみって毒を持ってるから、ちぎって口にくわえると健康に悪いんですけどね(笑)。
学会員さんのお宅でも、正月には仏壇に鏡餅を供えますね。拠点の会館でも信念勤行会ではびっくりするほど大きな鏡餅が供えてあります。で、私は昔から思っていたのですが、あれって創価が言うところの邪教の風習ではなかろうかと(笑)。それと小さく切った昆布を「池田先生からの贈り物です」って、会員さんはありがたくもらって返っていましたけど、昆布を縁起物とするのも古来からの土着信仰の名残ではないかと思うし、鏡餅にしても神道と同じ縁起を担ぐようなことをして、罰が当たりやしないんでしょうかね(笑)。
私が子どもの頃は、地域のお祭りに参加をすることはできませんでした。私の地域は日本でも有名な伝統的なお祭りがあるところで、その奉納行事に参加できる人は、ごく狭い地域に住んでいる人に限られていたので、熱心な人になると、その祭りに参加するために家を移して来たり、その地域の幼稚園に自分の子どもを入園させて、祭りの行列に参加さるために引っ越す人も珍しくありません。ですから、もともとそんな地域に住んでいて、奉納行事に参加することを断ることは地域ではありえないことなんですが、当時の学会では神道に組みするなんて、地獄に堕ちるも同様の恐ろしい謗法でした。私は子ども心に理不尽さを感じながら諦めざるを得ませんでした。それどころか、鳥居をくぐることさえできなかったし、私が学校の教員をしているときに、修学旅行の引率をすることもあったので、京都の自社巡りなど困っていました(笑)。
座談会から話がそれましたが、学会員が社会的におかしなことをする奇異な団体だということが、学会員さんにはわからないんですね。そんな人たちが毎月集まる座談会ですから、その内容たるや推して知るべしです。


■座談会という罠 2       投稿日: 2014年6月28日

すみません。自分でテーマから話をずらしていってしまいました(笑)。今回もあっという間にコメントが50を超えましたので、新たなページに移らせていただきます。でもテーマはひきつづき「座談会という罠」です。
座談会の内容や、そこで交わされる話を客観的に見れば、だれにでもその場が組織のコントロールの場であり、洗脳を強化するための場であり、金蔓を増やしていく畑だということがわかりますよね。学会歌をみんなで歌い、体験発表を聞き、全員に組織への忠誠を誓わせ、御書講義でもっともらしさを演出しながら、幹部が池田氏がいかに素晴らしい人物かを植え付けていく。そして最後に物品販売。日本全国、ほぼ同じような内容で仕切られています。怖いですね。一番怖いのは、やはりそうやって学会に間違いはないという洗脳を毎月強化され、折伏に、新聞啓蒙に、選挙活動に邁進していく人が何万、何十万人といることです。
人として、ふつうに疑問を持つ。この当たり前のことができなくなるのがいちばん怖いですね。だから今回のような集団的自衛権も、学会員が普通に考えることができる集団であれば、公明党もあのような暴挙には出られなかったでしょうし、ほんとうに自民党のブレーキ役となれたかもしれません。でも現実は完全にいいように洗脳された集団でしかありません。返す返す残念です。
座談会で集団的自衛権の行使容認について上からどのような打ち出しがあるのか、ぜひ報告して欲しいです。

●めがね (2014年6月28日 22:46 )
座談会といえば、『エピソード』。特に女子部婦人部はエピソード大大大好きです。幹部指導は指導というより上から流れてきたエピソードを伝える時間となります。池田先生の事だったり、どこかのメンバーの体験だったりします。
いつも顔を合わせてるメンバー同士の体験談は使い古されてるのであまり聞いてても面白味がないですが幹部の持ってくるエピソードは語り口も面白いので引き込まれて聞いてました。
婦人部になりたての頃、母が県の会合で大幹部から聞いてきた話を私に教えてくれましたが後でその大幹部を直接知っている知り合いから『あんな出鱈目言ってて呆れた!』と聞いて、大変ショックを受けました。
学会本部って清浄なイメージがあったので、そのイメージがガラガラと音をたてて崩れた瞬間でした。最初から組織に関して何の幻想も抱いてない人ならなんてことない話なんでしょうけど純粋に信じてた自分には疑いを抱く第一歩になりましたっけ・・・。それと同時に弓谷問題も知りました。

●モニカ (2014年6月30日 21:01 )
aiさん
人間革命改ざん、笑えますよね。
センセイが身を削って書かれたのではありませんでしたっけ?一字一句を後世永遠に残すために。
教学も次から次へと書換えですからね。
今はもう人の不幸の原因は「間違った宗教の害毒」とは言いませんしねw
創価の教えの十八番だったのに、あれあれ~。
もちろん間違いでした、すみませんとも言わないんだけど、それを突っ込まない幹部もミステリーですね。
公明党はさかんに「説明責任」と言ってますが、創価は説明責任ないみたいですね。
宗教の世界は、疑問を持って説明を求めることが「魔に負けた」ことになるみたいですから。
便利な世界です~。

●二郎 (2014年6月30日 21:43 )
aiさん、いいえ、どんどん創価のおかしさを広めましょう。
もっと、おかしいのもありますよ。昭和40年12月和光社発刊の「戸田城聖全集第4巻」ですが、以下の記述があります。今の時期の話題にぴったりなのですが、創価公明党は口ではきれいごとで戦争反対を声高らかに叫んでいますが、それはあくまでポーズであって、この本では、戦争を推奨していたのです。
P513
「国家諫暁だね。陛下に広宣流布の事を申し上げねば日本は勝たないよ」
P515
「この日本の大戦争を勝たせる為には、どうしても広宣流布しなければ勝てっこない。先ず、この時こそ天皇陛下自ら目覚められて、尊いご本尊を拝まなくてはならん」
P545
「それに日蓮正宗の信心に対する半信半疑を捨てて、この宗教の力でこそ、この戦争に打ち勝てるという大信念をもって、一大折伏に入ろうではないですか」
以前、青年部が戦争反対だか核爆弾反対だかの署名運動やっていましたけど、ほんとバカみたいですね。

●二郎 (2014年7月1日 21:59 )
モニカさんのコメントに関してですが、人間革命にも似た記述がありましたね。
確か、こんな感じだったと記憶しています。
「仲間が乗った飛行機が離陸した。一向はそれを見送り、家路に向かおうとした。しかし伸一だけはその飛行機に向かって胸中題目を唱えていた。すると、飛行機が引き返してきた。飛行機に異常が見つかったというのだ。」
池田大作の題目のおかげで無事に済んだと言いたそうな箇所でした。
まあ、捏造でしょうけど。


解説
二郎さんが書いているように、牧口先生も戸田先生も、反戦平和を唱えたから逮捕投獄されたわけではありませんでした。
戦争に勝利するためには、天皇陛下が妙法に帰依することが必要だと訴えていたのです。
それを昭和50年ころから、歴史を歪めて昔から反戦平和の団体だったかのように言い出したのですね。
「戸田城聖全集第4巻」ですか。
貴重な情報、ありがとうございました。

対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮