獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:白ユリさん登場 シニフィエさんの婚約解消に関する重要な告白あり

2022-01-11 01:01:55 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■白ユリさんという学会員さんとの対話                      投稿日: 2014年7月1日

近頃は、3・4日で皆さんからのコメント50近くになるので、すぐに新しいページにしなければならないという嬉しい事態になっております(笑)。みなさま、ほんとうにありがとうございます。
さて、座談会の様子もなんとなく見えてきたようなので、では次のテーマは何にしようかなと思っていた矢先に、白ユリさんという、おそらく現役の学会員の方から、次のようなコメントがありました。自己紹介もなく、「このコメントを承認しなければ自分のブログで糾弾するぞ」といきなり刑事ドラマの爆弾犯人のようなコメントでした(笑)。

>はじめまして。
皆様のコメント、「面白いなあ(笑)」と思いながら読ませていただきました。
自分教、自己中、楽しそうですね。
これからも毎日拝見させていただきます。そして、反面教師にさせていただきます。

>あなた方は、ただの弱虫です。それを、学会のせいにしているだけ。
コメントが承認されないなら、signfie様始め皆様を、私のブログで糾弾するまでです。
ああ、もちろん、お題目は送らせていただきます。

そこで、私は常々「自己紹介もなく、対話の意志も見られないような失礼な方のコメントは承認できません」と謳っていた以上、承認する気はなかったのですが、もう絶滅危惧種並みに貴重な現役学会員さんのコメントですから、なんとかこのブログの「対話」まで持っていけないものかどうかを考えました。そしてちょうど新しいページのテーマを考えていたこともあって、この白ユリさんから届いた脅迫コメント(笑)をテーマにしたら、けっこう創価の側面のいろんなものが見えてきて、なにしろ現役学会員にいろんな疑問を解消できるまたとないチャンスかもしれないと思い、このブログの大前提である「初めての人は挨拶と自己紹介をするのが信仰者以前に人としての礼儀です」ということにもあえて目をつぶりまして、この白ユリさんとの対話を試みてみたいと思います。もしかしたらこれっきり梨の礫かもしれませんし、もしかしたら「対話」へと発展するかもしれません。いずれにせよやってみなければわからないですから、このページのテーマは「白ユリさんという学会員さんとの対話」ということで進めさせていただきます。
それから、話の流れがわかりやすいように、前のページの白ユリさんのコメント以降のみなさんのコメントをこのページに移させていただきます。ご了解下さい。


●二郎 (2014年7月2日 23:37 )
白ユリさんの発言を全否定するのはどうかと思います。私的には部分的に
肯定できる箇所もあります。
>私の周りの学会員さんたちは、魅力的で、社会でも実証を示し、尊敬できる方々ばかりですよ
社会で実証を示すというのは、男子部の活動家には無職やフリーターが多いことから同意いたしかねますが、魅力的な人間が多いというのは、本部職員も含めて事実だと思います。私は実際に長年活動してきてそのように思います。
我々がバリ活を全否定してしまいますと、彼らもまた我々が盲目的に学会を全否定していると捉えらえてしまい、対話が成立しないと思います。認めるべきところは認める、これが対話が成立する要件だと思います。

●signifie (2014年7月3日 10:27 )
二郎さん、すみません。私の言い方が悪かったのかもしれません。私もバリ活さんを全否定しているわけではありません。学会員さんのほとんどは人が良くて騙されている被害者だと思っています。創価の部分がなかったらほんとにいい人なんだけどな?と思う人が多いです。普段はいい人でも学会のことを否定されると、人が変わったように蔑んだ目で人を見下したり罵倒したり、学会のことに関しては、頑に対話をシャットアウトする。まさに洗脳そのものであることの自覚がない部分について、それはどう見てもおかしいし社会人としてのモラルに反しますよと言ってるつもりです。ここにいらっしゃった活動家の三人の方も、学会についての質問をしても、まるで聞こえなかったかのように完全スルーします。きっと返答に困ってスルーしているのではなく、質問の意味がわからないんじゃないかと思います。
ちょっと長くなりますが、私のことについての話です。これも繰り返しですが、あえて書きます。
私が30年前に婚約者の親から学会員だからというだけの理由で結婚を断られたときに、彼女はそれでも家族になるんだから一緒に信心をすると言ってくれました。家族の中で自分だけ信仰しないなんて勝手すぎるとまで言ってくれました。もちろん彼女は創価がどんなものかを知りません。いま思えば結婚に反対したのは彼女の母親ひとりでした。それは母親が知っている学会員にろくな人がいなかったからだそうです。どれくらいろくな人じゃなかったかは想像を絶するほどです。私はそれでもなんとか彼女の母親を説得して結婚するつもりでした。「自分の姿で創価学会への誤解を解いてみせる。きっとお母さんもわかってくれる」と彼女をいったんは説得しました。彼女もそれに同意してくれました。いっしょに頑張って幸せになろうと誓いました。
ところが、なぜかそのころを堺に私のほうが急激に彼女への気持ちが冷めてしまいました。いや冷めたというよりも、なにかしら取り憑かれたかのように、彼女との距離を置くようになりました。それは今でも不思議なくらい徹底していました。そしてそのころの彼女とのやりとりの記憶が30年後に彼女が私の前に現れるまでなかったのです。今思えば、どうしてあのとき頑張って親を説得しなかったんだろうとどう考えても自分でもわかりません。でも事実私はまったく一方的に彼女に合うことを避けました。心配した彼女の友人が数名で私のところに詰め寄ってきました。一日がかりで説得されましたが、そのときも私は遠い目をして、まったく考えようともしませんでした。
今考えると、これがまさに洗脳のたまものではないかと思います。あのころのことはほんとによく憶えていません。30年後に彼女が私の前に現れたときが、ちょうど私は創価から覚醒したそのときでした。怖いほどの偶然です。シンクロニシティっていうんでしょうか。そしてはじめて私が30年前にとりつかれたように彼女の前から去ったときのことを思い出しました。自分が彼女にどんなに理不尽でひどいことをして、何の説明もなく消えてしまったことをそのときはじめて気づいたんです。なんてひどい男でしょう。サイテーです。
そのとき彼女は知らない男性とお見合い結婚をして、遠くはなれた知らない土地で家を建て、子どもも3人立派に成人させて、幸せな家庭を気づいていました。私は私で、今の妻と結婚して一人の中学生の子どものいる家庭を築いていました。彼女が私の前に現れたとき、単に昔の思い出話として笑い合えればよかったのですが、私は自分のしたことがどうしても許せませんでした。なにしろ今になって自分のしたことがわかったのですから、すべてが昨日起こったことのような気持ちでした。彼女によく話を聞いてみると、あれから完全に自暴自棄になって、相手の顔もろくに見ないで結婚して遠い土地での暮らしを始めたと聞かされました。でもどうしても私のことが忘れられずに今まで生きてきた。最近ネットを見るようになって、たまたま私のHPとツイッターをみつけて、毎晩食い入るように見たそうです。そして私が地元の美術館でやっている個展のことを知り、わざわざ見に来てくれて、けっきょく30年ぶりに再会しました。私はそのときに正気を失うほど自分の人生を悔いました。文字通り心が壊れました。
なぜ私はあのとき彼女への思いが消えてしまったのだろうと、そのときになって初めて疑問に思いました。30年間、私は彼女へ一方的に別れを告げたことを何とも思っていなかったのです。単に恋愛の一場面ぐらいにしか思えていませんでした。彼女の親から信心を反対されたということ、ただそれだけのことで私は人の心を失っていました。そうして人生のかなりの部分を過ごしてきたのです。
創価からの覚醒と彼女との30年ぶりの再会が見事に一致して、私は自分がしてきたことの間違いをいっぺんに気づかされました。生まれてこのかた教えられてきたことが間違いだったこと。子どもの頃から真面目に勤行唱題をし、少年部、中等部、高等部、学生部、男子部とまじめに活動をしてきたこと。友人知人に日蓮仏法の深さや偉大さ、創価学会の崇高な理念と実践。そんなもののすべてがウソだった。単に会員を本物の信仰であるかのように騙し、つらい労働を強要し、仏道修行という名目の選挙活動で権力をほしいままにし、ありもしない功徳をちらつかせて莫大なお金をまきあげる詐欺団体をすっと信じて人生を過ごしてきた自分のバカさ加減に、つくづく嫌気がさしました。そしてその間違った自分の人生観のために彼女を冷酷に突き放して、それが原因で好きでもない人と無理矢理結婚して家庭を持ったこと。さらにこれから彼女への思いを断ち切れないままに、今の妻や子どもとの生活をすることを考えるにつけ、家族に対する申し訳なさで、自分の心の居場所が見つけられなくてどうしようもなくなります。
話が長くなってすみません。要は、自分のこのような体験から、いったん創価の洗脳下に陥ると、自分でも信じられないようなことを言ったりやったりするのだということです。だからここにいらっしゃった3人の活動家さんも、そうした洗脳下での言動だと思っていますので、そうしたことでその方達のことを全否定するつもりはまったくありません。いつか覚醒して創価の実態と自分がやってきたことの現実に気がつかれたときに、きちんと立ち直って、残された人生を自分らしく生きていって欲しいなと思っています。
私が全否定しているのは、創価の洗脳によってロボットのうに動かされている部分に関してだけです。事態はたいへん深刻ですが、個人の覚醒以外に解決の道はないと考えていますので、私としてはこれからもこのブログを通じて、創価の矛盾や創価によって不幸を抱え込んでいる方の体験を集めることで、一人でも多く覚醒のきっかけとなっていただければ思っています。
創価の実態が明るみに出て、組織が崩壊したとしても、個人が覚醒しなければ問題は解決しないと考えています。それはオウム真理教をみれば明らかですが、オウムはあれだけの凶悪犯罪を重ねながらも、いまでも形を変えていくつかの教団として存続しています。同じように、創価が崩壊しても、覚醒できない人たちは少なからずいるでしょう。どんなに創価がおかしかったとわかっても、そこに依存することでしか生きていけない人たちもたくさんいると思います。ある人は他の宗教に鞍替えする人もいるでしょうし、似たような新興宗教に入る人もいるでしょう。それは精神的な依存体質がなんらかの信仰のようなものに駆り立てるからだと思います。ですから、創価が崩壊することはなによりですが、たとえ創価の悪が社会的に暴かれ、存続不可能になったとしても、創価の被害者がまったくなくなるとも思えません。要は、その人たちがいかに自分の現実を認識し、信仰依存から覚醒していくのかが、創価問題の解決の道だと考えています。
ですから、こうしてとても地道な作業ではありますが、覚醒のきっかけを見つける場として、これからもみなさんのコメントをたよりに、できれば多くの人がみなさんの実体験を通した貴重なお話を読む機会をつくり、一人静かに創価から抜け出し、覚醒する人が増えることを願っています。


解説
白ユリさんの立場を庇うような二郎さんのコメントに対して、シニフィエさんがコメントをしています。
その中で、シニフィエさんは自分が30年前に婚約者の親から学会員だからという理由で結婚を反対されたこと、彼女は母親を説得して自分も信心してくれると言っていたのに、急に自分のほうが彼女への気持ちが冷めてしまったことを告白しています。
この個所は重要です。

これまでシニフィエさんは何回かに分けてこのことを書いています。
私が鬱になったわけ[1] 投稿日: 2013年9月30日 
私が鬱になったわけ[2] 投稿日: 2013年11月11日
私が鬱になったわけ[3] 投稿日: 2013年11月30日
私が鬱になったわけ[4] 投稿日: 2013年12月11日
今回のコメントには、これまでに書かれていない心の傷が告白されています。

>いや冷めたというよりも、なにかしら取り憑かれたかのように、彼女との距離を置くようになりました。それは今でも不思議なくらい徹底していました。そしてそのころの彼女とのやりとりの記憶が30年後に彼女が私の前に現れるまでなかったのです。今思えば、どうしてあのとき頑張って親を説得しなかったんだろうとどう考えても自分でもわかりません。でも事実私はまったく一方的に彼女に合うことを避けました。
(中略)
>私は自分のしたことがどうしても許せませんでした。なにしろ今になって自分のしたことがわかったのですから、すべてが昨日起こったことのような気持ちでした。彼女によく話を聞いてみると、あれから完全に自暴自棄になって、相手の顔もろくに見ないで結婚して遠い土地での暮らしを始めたと聞かされました。でもどうしても私のことが忘れられずに今まで生きてきた。最近ネットを見るようになって、たまたま私のHPとツイッターをみつけて、毎晩食い入るように見たそうです。そして私が地元の美術館でやっている個展のことを知り、わざわざ見に来てくれて、けっきょく30年ぶりに再会しました。私はそのときに正気を失うほど自分の人生を悔いました。文字通り心が壊れました。
なぜ私はあのとき彼女への思いが消えてしまったのだろうと、そのときになって初めて疑問に思いました。30年間、私は彼女へ一方的に別れを告げたことを何とも思っていなかったのです。単に恋愛の一場面ぐらいにしか思えていませんでした。彼女の親から信心を反対されたということ、ただそれだけのことで私は人の心を失っていました。そうして人生のかなりの部分を過ごしてきたのです。

創価2世、3世が外部の人と恋をしたとき、創価という問題が立ちふさがるのですね。
つくづく創価学会は罪が重いと思いました。

私が創価高校の同窓生に向けてHPを立ち上げたのも、彼らの子どもがちょうど結婚問題に悩む時期に来ているかもしれないという思いがあったからです。
そんな中、対話ブログでシニフィエさんの懺悔の告白を読んで、その正直さに感動しました。
HPの中で、同窓生に、対話ブログを読むように勧めてしまったほどです。

でも、最近になって尊敬するブロガー(女性)さんの文章を読んで、私は思い違いをしていたのではないかと思うようになりました。
このブロガーさんは、シニフィエさんは彼女を傷つけてしまったと思うなら、創価の思想云々より不誠実な自分の行為を恥じるべきではないか、と指摘したのです。
私は、この言葉を読んで、シニフィエさんばかりでなくシニフィエさんの心情に同情していた私まで一緒に頭を殴られたような衝撃を受けました。
そうなんです。
男性は女性よりの場合よりも、真剣に恋愛してこなかった人が多いのです。

創価2世、3世の若い女性が結婚相手の男性を選ぶとき、組織の内部で素敵な人を見つけることが難しいのではないでしょうか。
どこかで、彼らの中に不誠実なものを見抜いてしまうのかもしれませんね。
その結果、外部の男性と恋に落ち、相手と相手の家族から反対を受ける場合もそれほどでもない場合もあるでしょうが、結婚する。
それを契機に非活、脱会にいたる場合もあるでしょうが、しばらく時間がたってからそうなることもあるでしょう。
アンチの女性のブログを読むと、このパターンは多いですね。
こうして、創価学会の女子部員は数が激減していく。
それが女子部壊滅の原因かもしれません。

一方、男子部員の場合は、女性ほど恋愛を真剣に考えていないので、外部の女性と付き合うとき、相手の気持ちよりも、自分の仕事や信仰上の組織を優先させてしまうことが多いのではないでしょうか。
その結果、信仰のことで相手の家族に反対されると、シニフィエさんの場合のように簡単に結婚をあきらめ、そのことを自己正当化する。
そして、創価の組織からはなれたあとは、創価に責任転嫁をする。
そういうことなのですね。

当時の自分は創価学会に洗脳されていたんだ。
悪いのは自分じゃなくて、洗脳した創価学会だ。
そうやって責任転嫁したいシニフィエさんの気持ちは分からないでもないですが、女性のように「真剣に恋愛」してこなかった、自己中心的な男性のあり方にも、問題があったのではないでしょうか。

男子たるもの、目の前の問題から逃げず「真剣に恋愛」しようではありませんか。

創価と結婚問題に悩む若い人に、この言葉を贈ります。

獅子風蓮