獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(12)

2022-08-26 01:39:58 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。

絵文字は、テキストで保存する時に??に変換されてしまいます。
ご了承ください。


■罰なんかなかったよ 2        投稿日: 2016年12月21日

今回の『罰なんかなかったよ』のテーマに怒涛のコメントありがとうございます。
創価が宗教ではなく詐欺だという覚醒にあたり、「功徳はない」と気づくことよりも、この「罰はない」という気づきの方が大きいとあらためて思いました。創価が宗教だろうが詐欺だろうが、功徳がないのは当たり前のことです。そもそも功徳欲しさで何でもしてしまうというのは、宗教以前に人として最低の行いであることに気づかないのがおかしいのですが、それよりも「罰が当たる」「不幸になる」という恐怖心によって操られていることに気づかない、気づこうとすることさえ恐怖心によってできなくなっているということの恐ろしさがあるということですよね。学会員は知らないうちに「創価に逆らうと不幸になる」と徹底的に刷り込まれていますから、どんなに創価がやっていることがおかしいと疑問に思っても、「不幸になる」「何か不吉なことが起こる」「一生幸せになれない」という恐怖心がもれなくついてくるので、「創価がおかしいわけがない」と自分に言い聞かせるか「凡夫の自分が考えたところでどうにもならないんだから考えないようにしよう」となってしまいます。思えば私もそれで10年は覚醒が遅れた気がします。
みなさんの実体験として、「罰なんかなかった」と声を上げることは、創価がおかしいと気づき始めた学会員にとっては、いちばん救いのある言葉ではないかと思います。実際に創価をやめてみてどうなったか。罰が当たったと思えるようなことがあったのかどうか、みなさんの実体験をどんどんここに披露して下さい。
今回のテーマは引き続き『罰なんかなかったよ 2』とさせていただきます。

●元栄光地区婦人部 (2016年12月23日 14:27 )
signifieさんへ
ブログの内容がますます面白くなってきた気がします。
みなさんの中で、こんな幹部指導を聞いたことがある人はいませんか?
「罰とか宿命とか、そんな発想は今の学会はしないんだよ。それは日蓮正宗のもの」
私が学会をやめる前、なぜか幹部達がそんな事を口にし始めました。
罰などに対する強迫観念だけでは会員を操るのはいずれ破綻すると気がついた学会が、指導を変えようとしていたのでしょうか。
これはあくまでも私の住んでいた地域(名古屋)で幹部から聞いた話なので、推測です。
こちらの現状では、「罰とかそんな考えはない」と言いながらも、退転者には罰が出るという考え方が学会員の中で矛盾しながらも存在しているように思えます。
現に私の親なども、「今は罰とかそんな指導はない」と言った同じ口で「退転は怖いのぉ」と平気で言ってのけています。
他のみなさんの地域でも、これと同様に「罰論など今はない」と指導している幹部がいるのか気になりました。

●元栄光地区婦人部 (2016年12月23日 21:47 )
雑草さんへ
外部の方の客観的な感想をいただき改めて心が救われる思いです。ありがとうございます。
あの時は堪忍袋の緒が切れて、本当にブチッ!と何かが切れた音を聞いたくらい、「ブチ切れ」ました。
なぜ学会員は良識やモラルなどが欠如するのだろうか?と自分なりに考えました。
普通、仏教では数々の修行を積む事で人格を磨きます。
ところが学会では、「題目」さえ唱えれば、多くの修行を積んだのと同じ功徳を得られ人格も磨かれると指導します。とっても簡単なので庶民に大受けです。
その結果、「題目を唱えてるんだから自分は何をしても正しい!」と傲慢になる人を量産しているのかもしれません。
あと、人の不幸につけ込んで不謹慎な事を言う学会員に不愉快な思いをさせられた人が多い件について。
学会では、動執生疑と言って、わざと相手の心を揺さぶることで正しい教えに導くという教義があるんです。
「不幸の原因は邪宗にある」と信じているので、外部の人が不幸になれば「よし!今こそ間違った宗教を信じていることを破折してあげなければ!」と使命に燃えます。
相手がそれで素直に信心すれば「心が純粋で素直な人」だとされます。
でも、心が汚れてる人はなかなか素直に信心につけないとも考えられています。
さらに組織では「折伏戦」「結果を出す信心を!」と銘打って会員を焚きつけます。
それでもなかなか成果が上がらない人が多い。
「折伏ができない人はご本尊様にどうか折伏させてください!と祈りなさい。すると、どうぞ私を折伏してくださいって向こうの方からやってくるから」なんていう指導も、何度聞かされたことでしょうか。
その結果、学会員さんは他人の不幸に敏感な嗅覚を持つようになります。
普段の学会員さんは表向きには「普通」を装っています。
でも、やはり学会員さんには自分の身の上の不幸などは話さないのが良いでしょうね。
不幸な人を探すハイエナの餌になりかねません。
>彼の家庭について話すと、兄弟の一人は精神疾患で家からでれないんですよ。
私の兄は小児麻痺で幼くして亡くなりました。
思うのですが、家族に重病の人がいる学会員ほど信心にのめり込むのかもしれません。
理屈で考えれば宗教なんかやったところで病気が治るわけがないのですが、弱っている人の心というのは、宗教が付け入る隙だらけということなのでしょうね。

●まるちゃん (2016年12月24日 00:53 )
元栄光地区婦人部さんへ
つい最近ですが「今の学会は依然とは違う」と聞いたことがありますよ。
悪しき創価の伝統は、日蓮正宗のもの、もしくは「悪い幹部によるもの」と完全に責任転嫁の方向です。
これひとつとってもめちゃくちゃ腹が立つんですよね。
ならば。
そう指導しているあなた達が
「今まで間違ってました。今まで過激な活動をさせてすいませんでした。財務をむさぼってすいませんでした。創価のために多くの犠牲を払わせてしまい、ほんとにすいませんでした。」と誠意を持って謝罪するのが先でしょうが、と。
謝罪することは一切なく、『我々には関係ございません。今の指導はこうです!!』というのはあまりにも不誠実極まりないな、と。
過去の輝かしい極悪の創価史実をないものとする今の創価こそ、もっと許せないです。

●元栄光地区婦人部 (2016年12月24日 08:40 )
まるちゃんさんへ
>悪しき創価の伝統は、日蓮正宗のもの、もしくは「悪い幹部によるもの」
おお、やはり私の地域と同じことを言われてる方もいらっしゃるんですね!
本当にどうなってるんでしょうか。池田大作の指導で「進まざるは退転!裏切り者の末路は哀れ」と散々脅されてきたのに、「信心するのもしないのも自由。今の学会では罰とかいうのはないんだよ。あれは日蓮正宗のもの」なんて、ゆるゆるになってしまった。
そんなことを今更言われたら、これまで「絶対的正しい教えだよ」と周囲に言って回ってきた私の活動はなんだったんだ?と思うし、染み付いてしまった強迫観念は簡単には消えない。
池田を始め学会幹部達は、日蓮正宗の教えを正しいと思って会員の皆さんに信じ込ませたことを謝罪するべきだと私は思います。そうじゃなきゃ人として不誠実すぎます。
ノジコさんへ
遅ればせながら退会おめでとうございます。
退会後は気持ち的に、「罰があるんじゃないだろか・・」とか不安になることがたまにあります。みんな通った道なので大丈夫です(^_^)
綺麗な夕日と虹が見れて、よかったですね!
退会することで、心にかかっていた独特なフィルターがなくなります。
綺麗なものや感動するもの、きっと今まで以上に自分の心の中で輝くと思いますよ?

●哉文 (2016年12月24日 17:59 )
こんにちは。脱会済み40代、哉文です。
かつて創価の頃のお話
九州のどこかで、人が狂犬に噛み殺されたというニュースがありました。
幹部が言うには、それを聞いた池田センセーが、「あのニュースの被害者はきっと、脱会者だ。調べなさい。」と言ったそう。幹部が調べると、脱会者だったと。それで、こういう話は、バチを喜んでるみたいに思われるから、公には言わないけど、創価辞めるとたいへんだよ!」と、幹部伝いに言われて信じてました。
他にもありまっせ!
辞める恐怖創出装置ありまっせ!

●元栄光地区婦人部 (2016年12月24日 20:49 )
ちーたんさんへ
はじめまして。元学会2世 おてもやん白蓮Gだったものです。
これは豆知識として紹介する話ですが、創価学会では秋谷会長の時代に、「今の宗教は無力で無害だから地域行事などで神社などに行っても良い。心の中で題目を唱えればOK 」という通達を出しています。
新聞啓蒙する割に新聞を読まない信者が多いせいか、これを未だに知らない学会員もいたりします。
というわけで神道政治連盟とか公明党にはどうってことないですよ。

●スマイル (2016年12月24日 21:59 )
哉文さんの狂犬の話、相変わらず創価の卑怯な手段ですね。
おそらく作り話か、本当に脱会者で地元の幹部から話が上がっていったのを利用しているのでしょう。池田がたまたまそのようなニュースを聞いて調べたように指示したかもしれません。
まあ『脱会したからバチが当たって狂犬に噛み殺された』と創価は言いたいのでしょう。
そして心理的にこの話を聞いた会員を創価に縛り付ける作用がありますね。
もし狂犬に噛み殺された被害者が活動家だったら、『菩薩、悪像等においては心に畏怖することなかれ、ただ悪知識という信心を破るもののみをおそれよ活動家の法華経の文を引いて、『事故などで亡くなっても生前の活動が立派だったから成仏間違いなし』などとほざいていたでしょう。
創価の陳腐な作り話は胸糞が悪くなります。
創価は罰当たりばかりなので、ロクな死に方をしない。というのが真実。
池田は罰当たりだから、人前に出れないほどひどい状態になって死んでしまったともう直ぐなるでしょう。
ある著名な歴史家が非公開の席で言ってましたが、池田の死も近いようです。

 


解説
『罰なんかなかったよ』のテーマは、異様な盛り上がりをみせたようです。

元栄光地区婦人部さんが活発に発言するようになってきました。

この方は、のちの「おてもやん」さんなんですね。

獅子風蓮