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友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。
カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH
ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。
freak14 - 安楽行品にまつわる問題/如説修行抄 2/2
2018年4月4日投稿
友岡雅弥
とても、不思議なことがあります。
それは、鎌倉幕府から日蓮大聖人への弾圧があったとき、大聖人を批判する人々、また、退転していく弟子たちが、根拠にしたのは、『法華経』の安楽行品であったことでした。
つまり、『法華経』の実践は、人を選んで法を説き、とても、安楽なものであり、そして「現世安穏・後生善処」(この言葉自体は、薬草喩品ですが)のハッピーな人生を歩むことができる。仏菩薩が守りまくるというのです。
にもかかわらず――退転していく人たち、世間の人たちは言います――日蓮御坊は、エラい人たちを、言葉汚く罵った。だから、安穏ではなく難に合っている。彼は「法華経の行者」ではない、という訳です。
でも、『法華経』には、不軽品のように、ありとあらゆる人に法を説き、時にそれを受け付けない人々から迫害を受ける不軽菩薩の姿が描かれる章(品)もあり、また、勧持品のように『法華経』を受け付けない人たちから迫害を受けるかもしれないが、 それでも、(楽に法を説ける他の国土ではなく)この現実世界で、法を説くことを、 菩薩たちが誓う章もあります。
でも、退転していく弟子たちは、この二品を無視して、あくまで安楽行品に基づき、日蓮大聖人を批判するわけです。
しかし、御義口伝の安楽行品に対する解釈は、「第一安楽行品の事、御義口伝に云く妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て、今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得う可きなり」(p.750)です。
ある意味、この解釈は無理やりです。安楽行品の流れからは、正反対です。それほど、安楽行品は、大聖人の行動の足かせになっていた。
大聖人の立場は、あくまで、勧持品・不軽品であり、そして、「詮ずるところは、天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん」(p.232)です。
(その1)で述べたように、安楽行品また普賢品は、内容に差別的なものが含まれています。
不思議にも、退転していく弟子たち、悪し様に大聖人を批判する人たちが、その安楽行品(また普賢品)に固執し、大聖人はそれを実践の基本に用いない。
Śikṣāsamuccayaなどの資料を用いて、文献比較が出来るようになった今と違い、経典全体が仏の教えとして受け取られていた時代に、大聖人の感性は、また実践は、見事としか思えません。また、大聖人を批判する人々の安楽行品への執着も、見事に、この品の性質を現している。
「彼は安楽普賢の説相に依り・此れは勧持不軽の行相を用ゆ」(p.875)
近代において、ハンセン病が日本で差別されていくなかで、安楽行品、また普賢品の説に従って、日蓮系だけではなく、各宗派がその差別に協力していくなかで、海外からきたキリスト教宣教師に交じり、ただ1人、日本の仏教者として、ハンセン病患者の支援施設を作った綱脇龍妙が、日蓮宗の僧侶でありながら、本山の流れに逆らい、身延深敬園を作ったことも特筆すべきでしょう。
もちろん、「深敬園」の言葉は、不軽品から来ています。
画像は、かつての身延深敬園の入り口(今は、深敬園そのものはありません)。「我深敬汝」の不軽品の一節がはっきりと。
【解説】
(その1)で述べたように、安楽行品また普賢品は、内容に差別的なものが含まれています。
不思議にも、退転していく弟子たち、悪し様に大聖人を批判する人たちが、その安楽行品(また普賢品)に固執し、大聖人はそれを実践の基本に用いない。
文研研究が進んだ今と違い経典全体が仏の教えとして受け取られていた時代に、大聖人の感性・実践は、ほんとに見事ですね。
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮