乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。
なお、乙骨さんにはメールで著書を引用している件をご報告したところ、快諾していただきました。
ありがとうございます。
(目次)
□まえがき
□Ⅰ章 怪死のミステリー
□Ⅱ章 疑惑への道のり
□Ⅲ章 対立の構図
□Ⅳ章 たたかいの軌跡
■Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
□あとがき
◆再捜査情報の背景----深まる検察への疑惑
昨95年12月22日に朝木さんの死には「事件性はない」と断定、その捜査結果を記した報告書を東京地検八王子支部に送った東村山署だが、東京地検八王子支部の事件担当検事は、報告書の内容がずさんであることを理由に再捜査を指示したとの情報が今年3月に入って流れた。
この情報は、3月20日付『東村山市民新聞』第73号が報じたもの。「議員殺害事件 検察庁、警察に捜査やり直しを指示」「あんな『報告書』は通用する方がおかしいのです」との見出しの記事には次のようにある。
「昨年12月22日、東村山警察署は、『朝木議員殺害事件』で東京地検に、『事件性は薄い』とする『報告書』を提出、捜査を打ち切る発表をマスコミに行なった。
ところが、東京地検はこの東村山警察の『報告書』をうけとったが、疑問点があるので、再捜査を指示していたことが判った。
しかも東村山警察は、『自信をもって、書類送検した』と豪語していた昨年6月の『万引き』捏造事件についても、検察庁から再捜査を命じられている。
東村山警察の刑事課長らは、今年3月に、草の根・矢野議員に『捜査に協力してほしい』とすがりつくような態度をとっている。
フタをすることができるような『事件』ではない」
矢野氏によれば、東村山署から矢野氏に再度の事情聴取の要請があったのは、3月5日のことだという。
「建築紛争の件があり、東村山署を訪問、警備課長と話をして、帰ろうとしたところ、鶴見刑事課長と白石課長補佐がドアの外で待ち構えていて、「矢野さん、ちょっと上に来てくれ」という。議会中で多忙だったし、アポイントもなしの突然の申し出だったこともあり、断ると、『なんとかお願いします』と、まるですがりつくような態度。仕方がないのでついていくと、白石課長補佐が、「これから調書を取るので、6月19日の足どりについて話してほしい」と切り出してきた。7月12日の書類送検前には、いくらでも時間があったのに、事情聴取をしようともせず、『矢野はアリバイ工作をしている』などと『潮』に話しているにもかかわらず、突然、話を聞きたいという。そこで、『万引きを苦にして自殺と報告したんだろう、なんでいまごろ話を聞きたいんだ』と質したら、言葉を濁したが、地検から再捜査しろといわれているような口ぶりだった」
この東村山署の事情聴取の申し入れと、ほぼ時を同じくして矢野氏は、東京地検八王子支部の事件担当である信田(のぶた)昌男検事を取材した全国紙記者から、同検事は、東村山署の報告書には疑問点があるので調べさせるというニュアンスの発言をしていた事実を知らされる。
この全国紙の記者は、2月初旬に地検で信田検事と次席の千葉検事に取材を行っているが、その際、「12月22日の東村山署の報告書には、疑問点がある」との話を聞いている。
「東村山署の動きと、担当検事の発言を根拠に、『東村山市民新聞』に『再捜査』との記事を掲載しました。これに対し東村山署は、『東村山市民新聞』が発行された翌21日に、刑事課長が電話をかけてきて、『こんなこと書かれては困る』と抗議。議会最終日の22日には、市役所の出口に刑事課長と新任の課長代理、そして刑事が待ち構えていて、『署にきてほしい』という。なんとか訂正させたいという感じでした」(矢野氏)
地検八王子支部の事件担当の信田検事は、年度替わりの定期異動で甲府地検に異動となったが、その直前の3月30日、突然、矢野氏を呼び、朝木さんの不可解な死をはじめとする一連の事件について、大要、次のように説明している。
①万引き事件や朝木さんが洋品店「スティル」の女性店主を名誉棄損で告訴した事件は、年度末の処理によって、不起訴となる。理由は、被疑者死亡および告訴人死亡のため。
②朝木さんの「殺害事件」と、創価学会による『週刊現代』の元木編集長と朝木さん父子に対する名誉毀損での告訴事案は新任の担当検事に申し送りする。名誉毀損については、まだ警察の捜査段階だが、いずれ送検されてくるだろうから、話を聞かせてもらうようになるだろう。朝木さんの「殺害事件」については、捜査を続けている。
95年10月5日に、矢野氏を事情聴取した際、信田検事は、「こういう事件が再発しては困るので、根を断たなければ」と話している事実がある。
また、12月9日には、事情聴取に応じた直子さんに対し、「犯人に関する情報はないか」と尋ねている。
信田検事を取材した全国紙記者によれば、検事の事件に対する認識は、東村山署とは大きく異なっており、矢野氏や直子さんに近い印象を受けたという。
だが、この信田検事の発言は、額面どおりには受け取れない。むしろ、 直子さんや矢野氏らの動勢や事件に対する認識や情報を把握するための“演技”だった可能性が高い。というのも、信田検事は、創価高校、創価大学出身の筋金入りの学会員。それも池田氏に将来を願望された創価エリート中のエリートだからである。
後述するが、同様に地検八王子支部長の吉村弘氏も、創価学会内にあって池田氏の「天下取り」戦略を進めるために作られた特殊組織・法学委員会の主要メンバー。朝木さんの不可解な死や万引き事件をはじめとする一連の事件を担当する検察シフトは、創価学会員によって占められていたのである。
現在、朝木さんの不可解な転落死については、未確認ながら、朝木さんが4人の不審な人物にビルへ連れ込まれるのを見た、消えたはずの靴は、事件直後に現場のビル6階の空き部屋で発見されていたなどの情報が「草の根」事務所に寄せられている。
また、この事件の背景に暴力団の介在があるとの噂も永田町を中心に流れている。
かつて創価学会は、日蓮正宗の総本山大石寺のある静岡県富士宮市で、昭和50年代初頭に、大規模墓苑富士桜墓苑を開発しようとした。この際、地元の暴力団山口組系後藤組に、反対運動の鎮圧を要請。後藤組はこれに応じて反対運動の中心者を日本刀で叩き切り、反対運動を潰した。同様に創価学会からの依頼を受けて、同会から違反した山崎正友元学会顧問弁護士が、81年に富士宮市の百条委員会で学会と市当局との癒着を証言しようとした際、これを暴力的手段によって阻止している。
後藤組長は、83年3月に、創価学会の池田大作名誉会長と公明党の竹入義勝委員長に約束の履行を求める内容証明郵便を発送したが、そのなかで、富士桜墓苑反対運動潰しや、百条委員会での山崎氏の証言を阻止したのは、創価学会の代理人として、当時の土橋昌訓公明党富士宮支部長(市議)、稲田圭祐市議、高橋繁元公明党代議士が依頼してきたものであり、自分は刑法に触れてもいいとの信念でこれを遂行したことを明らかにしている。
宗教団体と暴力団が関係していること自体、おぞましいかぎり。噂の真偽も含めて、一日も早い事件の真相解明が期待される。
直子さん、矢野氏は近日中にも、被疑者不詳の殺人被疑事件として刑事告訴する予定で、 現在、 準備を進めている。
◆国家中枢に配される学会特殊組織
ところで、前述のように東京地検八王子支部の吉村弘支部長は、創価学会の枢要なメンバーであることで知られている。そして、信田検事もまた、創価学会エリートだった。
創価学会は、池田氏の号令のもと、「天下取り」を目指して、選挙という合法的手段での政権奪取と、優秀な学会員子弟を、官界、法曹界、経済界、マスコミ、教育界などに送り込み、社会の枢要な部署を創価学会員で占める総体革命戦略という二本柱で、 「天下取り」構想を推進してきた。その総体革命戦略の中核に位置していたのが、創価学会学生部のなかに設置された法学委員会だった。これは、全国十数万人の大学生会員のなかから、司法試験、国家公務員上級職試験、外交官試験、そして公認会計士試験を受験する学生を徹底して訓練し、池田氏の「天下取り」のための手駒、有能なスタッフを育成する特殊組織。
現在、学会副会長で創価大学教授、学会顧問弁護団の中心者でもある桐ヶ谷章氏が、1976年(昭和51)春に書いた「法学委員会の新体制について」と題する文書に、その法学委員会の設立趣旨や目的、勢力と概要などがはっきりと記載されているが、その中心的スタッフの一人として、共産党・宮本委員長宅盗聴事件への関与を取りざたされた元検事で、細川内閣で郵政大臣を務めた神崎武法氏らとともに、現職検事として名前が記載されているのが、吉村弘氏なのである。しかも吉村氏は、池田大作氏のすすめで、創価学会の東京大田区の最高幹部で『聖教新聞』の制作局長などを歴任した沼本光央副会長の妹と結婚している人物。
「法学委員会の新体制について」にはこう記されている。
「一、趣旨
法学委員会は現在学生部に所属し、受験生の掌握、指導、合格者の輩出という点に重点を置いて活動している。
しかしながら、合格者も年々累積しまた社会的活動の面でも年齢的な面においても学生部に所属し上記活動のみを行えばよいという段階をすでに通り越している。
また総体革命の中において各分野にどのように切り込んで行くか(青法協等に対抗する組織の構築、官僚機構等に対するくい込み、そのあり方等の検討等)を検討していかなければならない段階に差しかかっている。
更に、学会の諸活動に関する戦略ブレーンの本格的育成も重要な任務となってきている。一方、合格者自身の本格的信心の訓練の育成ということも考えていかなければならない。(中略)
参考のために現有勢力は、
JRA(法学研究会--司法試験グループ)
弁護士 33
検事 18
判事 3
修習生 16
計 70
ERA(経済研究会--公認会計士試験、税理士試験グループ)
公認会計士 6
公認会計士補 27
税理士 12
計 45
ARA(国家公務員研究会--国家公務員上級職グループ)
国家公務員上級職 36
DRA(外交研究会--外交官試験グループ)
上級 9
中級 8
語研 18
計 35
総合計 186
なお、本年度、各研究会とも約十名前後の合格者が見込まれている。
二、機構案
以上のような観点をふまえ、法学委員会とOBを中心とした組織と受験生を中心とした組織にわける。(中略)
OB中心の組織は青年部又は社会本部所属とする。(但し、余り表に出せない面があるので、特殊組織にする必要がある)
その主な役割は、
(1)合格者の掌握信心訓練(指導する側とされる側にわかれるであろう)
(2)総体革命戦略の構築(各分野にどのように切り込んで行くか)
(3)特殊問題に関する戦略ブレーンの育成
(4)情報交換、情報提供
(5)受験生組織のバックアップ
全国に散っている合格者を掌握するために事務局を設置したい。
また、より高次元の立場から法学委員会の方向性を検討していくための組織(仮称法学委員会戦略会議)の設置をおねがいしたい。
三、組織人事案
戦略会議
議長 秋谷副会長
副議長 山崎正友顧問弁護士
委員 原島教学部長
野崎男子部長
原田学生部長
八尋頼雄(弁護士)
OB部
委員長・桐ヶ谷章(弁護士)
事務局長・福島啓充(弁護士)
副委員長・中村俊介(会計士)
石塚義高(建設省)
榎泰邦(外交官)
林徳久(会計士)
亀本和彦(建設省)
遠藤乙彦(外交官)
宮本雅行(弁護士)
参与 神崎武法(検事)
会田宣明(検事)
吉村 弘(検事)
上野富司(検事)
高井康行(検事)
四、今後の展望
合格者の増員、今後5年間で現在の倍、10年間で現在の4倍にすること。
検事は5年後には各都道府県に1人、10年後には2人位宛配置できるようにしていく」
そして、創価学園、創価大学は第Ⅳ章で触れたとおり、池田氏の「天下取り」を推進する手駒を養成するための教育機関であり、創価大学には、法学委員会の分局的存在として国家試験研究室が併設されている。吉村氏と信田氏はいずれもその中心メンバーだったのである。
その信田氏は、81年11月16日付の『聖教新聞』に「創大志望の受験生諸君へ」と題する一文を掲載。そこで池田大作氏の指導に触発されて司法に進んだことをこう記している。
「社会正義を生涯かけて実現できる職業にとの考えが、創立者との出会いを通して深まり、司法界へ雄飛しようと決意した」
また、法学委員会の実質的責任者だった元学会顧問弁護士山崎正友氏は、吉村氏について次のように語る。
「吉村氏は、法学委員会の一期生として、神埼武法氏や福島啓充氏などとともに学会員検事の草分け的存在として活躍した人物。神崎氏や福島氏に比べて常識的で人柄もいちばん良かったが、池田大作氏ともしばしば会食していたし、勤務が在京中心だったのでよく学会本部にも来てもらっていた。言論問題や妙信講事件など学会関連の諸問題について、我々弁護団や執行部は彼ら検事を一種の諮問機関として利用していた。その意味では、立場は検事だが学会本部職員としての扱いだった」
検察官にも信教の自由はある。検察官が創価学会員だったからといって問題にするのはおかしいとの批判もあろう。しかし、それは、公務員が憲法第15条が定める「公務員の本質」・「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」に基づいていればの話である。
周知のことだが、創価学会は、1970年に、言論出版妨害事件で厳しい社会的批判を浴びた。この際、激しく創価学会攻撃を行った共産党・『赤旗』を創価学会は憎悪し、復讐のために共産の機密事項を入手しようと、宮本顕治委員長宅電話盗聴という違法行為を犯したが、そのもみ消し工作に元郵政大臣で現新進党代表の神崎武法氏(元公明)や創価学会副会長の福島啓充弁護士は、現職検察官でありながら関与した事実を指摘されている。
吉村氏同様、法学委員会の主要なメンバーだった元キャリア外交官の遠藤乙彦新進党代議士(元通産政務次官・旧公明)は、90年、東京二区から衆議院に立候補するにあたって、創価学会第二大田中央本部の決起大会で挨拶したが、そこで創価学会員の外交官とはどのようなものであるか、また、公明党の政治家とはどのようなものであるかをこう語っている。
「必ずや、皆様の御期待に応え、皆様の手足となって、先生を守り、学会を守り、民衆を守る政治家として、力の限り戦い抜くことをお誓いいたします。
私も池田門下生の一人として先生より数多くのご指導、ご薫陶を賜ってまいりました。 先生のご薫陶のおかげで、広布に生きる使命を自覚することができ、妙法の外交官となって20年にわたり世界を舞台に存分に戦ってまいりました。私がなによりも感謝申し上げていることは、先生の限りないご激励により広宣流布に生きる人生のすばらしさを教えていただいたことでございます。どこまでも、この師弟不二の原点だけは貫き通して、先生のご構想を実現してゆく弟子となりたい。先生の偉大さを社会に向かって、世界に向かって、断じて証明してゆく弟子となりたいと、深い深い決意を致しております」
遠藤氏が所属した外務省には、「大鳳会」と称する創価学会の秘密組織があり、外遊する池田氏のための便宜や創価学会の海外戦略の一翼を担っている。そうした事実を証明するのが、94年に明らかとなった。創価学会員外交官の秘密文書事件。これは、90年1月3日付けで、当時、イタリアのミラノ総領事館に在勤していた渡辺博氏が、創価学会の依頼により、ヴァチカンの動静を分析する大部の報告書を提出していたもの。渡辺氏が報告書とともに池田氏に宛てて出した書簡にはつぎのように記されている。
「前略 池田先生
大鳳会の渡辺博と申します。
先日は、『吉川英治 人と世界』を送って下さり大変ありがとうございます。あらためて読書の大切さ、そして一人の人間が大きな可能性を秘めていることをしました。これを糧に日々精進していきます。
昨年10月鈴木琢郎副会長から手紙をいただき、その中でヴァチカンについての私なりの実感を教えてほしい旨書いてありました。その返事は神崎(イタリア日蓮正宗創価学会書記長)を通じて鈴木副会長に出しました。
彼らは、50年、100年単位で長期的な世界戦略を立てている模様であり、創価学会の世界広宣流布上の最強かつ益々勢力を増してくる狡猾な敵と思います。
来年春、先生はイタリアを訪問されると聞きました。私はイタリア在勤7年目をむかえ、今年7月に帰朝の予定です。イタリアで先生をお迎えすることはできないかもしれませんが、ミラノ総領事館の広報担当として全力で北イタリアにおける対日認識の拡大に努め、 広布のお役に立ちたいと思います」
桐ケ谷副会長が記した「法学委員会の新体制について」には、法曹資格者、外交官、公認会計士、国家公務員上級職の合格者を「今後5年間で現在の倍、10年間で現在の4倍にする」とし、「検事は5年後には各都道府県に1人、10年後には2人位宛配置できるようにしていく」としている。これが記されてからすでに20年がたつ。今回明らかとなった朝木さん、「草の根」にまつわる事件での検察シフトは、そうした創価学会の思惑が反映されたものなのであろうか。
その吉村氏は、95年春の定期異動で地検八王子支部に赴任している。東村山署の千葉副署長、須田係長も、95年2月の異動。創価学会が朝木さん「草の根」攻撃に本腰を入れる時期と符合しての異動だが、まさか関係はあるまい。しかし、替え玉投票事件や練馬事件などで創価学会は、法務省や警察庁、警視庁幹部としばしば打ち合わせを行っているだけに一抹の疑問は残らざるを得ない。
朝木さんは、創価学会がその持てる金と票の力で議員を議会におくり、行政を壟断する危険性を議会内外で強調していた。朝木さんの事件を担当する地検の支部長が、創価学会員、それも総体革命戦略を司る法学委員会の枢要な幹部であること、また担当検事が池田氏の「天下取り」の手駒を養成する創価学園・創価大学の出身であることに、なにかの因縁を感じるのは、私一人ではあるまい。
事件の帰趨がどうなるのか、それは虎視眈々と「天下取り」を狙う創価学会の危険な野望を、日本の民主主義が阻止しえるかどうかのバロメーターともいえる。その意味で、朝木さんの死は、日本の民主主義を守るための貴重な人柱なのかもしれない。
【解説】
信田検事を取材した全国紙記者によれば、検事の事件に対する認識は、東村山署とは大きく異なっており、矢野氏や直子さんに近い印象を受けたという。
だが、この信田検事の発言は、額面どおりには受け取れない。むしろ、 直子さんや矢野氏らの動勢や事件に対する認識や情報を把握するための“演技”だった可能性が高い。というのも、信田検事は、創価高校、創価大学出身の筋金入りの学会員。それも池田氏に将来を願望された創価エリート中のエリートだからである。
後述するが、同様に地検八王子支部長の吉村弘氏も、創価学会内にあって池田氏の「天下取り」戦略を進めるために作られた特殊組織・法学委員会の主要メンバー。朝木さんの不可解な死や万引き事件をはじめとする一連の事件を担当する検察シフトは、創価学会員によって占められていたのである。
信田検事が、自分の素性を隠して、わざと矢野氏や直子さんの信頼を得るためのお芝居をしていたとすれば、後に信田検事に裏切られという気持ちになったのも無理はありません。
現在、朝木さんの不可解な転落死については、未確認ながら、朝木さんが4人の不審な人物にビルへ連れ込まれるのを見た、消えたはずの靴は、事件直後に現場のビル6階の空き部屋で発見されていたなどの情報が「草の根」事務所に寄せられている。
また、この事件の背景に暴力団の介在があるとの噂も永田町を中心に流れている。
宝島社の「池田大作と暴力団」という本があります。
その中に「盗聴実行犯、17年目の告白! 後藤組組長/藤井都議会公明党顧問『密会テープ』の全貌!!」というスクープ記事が載っています。
これによると山崎正友氏のあと創価学会の裏仕事を一手に引き受けていた藤井富雄氏が、創価学会と池田大作氏に対し怒りを爆発した後藤組組長の後藤忠政氏をなだめようと会談を持ったというのです。1995年の初秋のことだという。
その会談内容を盗聴するように依頼をされたA氏が暴露したわけです。
盗聴の依頼者は、会談場所となる事務所の主だったB氏でした。
__藤井先生よ、あんたんちのために、ウチの若いもんが一体、何人捕まったと思ってんだ?
という後藤氏の発言に対して、藤井氏は大声で釈明を繰り返すのみ。
A氏によると、藤井の話はまったく内容がないものだったという。
しかし、最終的には2人の間で「今後とも学会絡みの案件は後藤組を通す」ということで話がつき、一応は丸く収まった様子。
そして、別れ際に、藤井氏は後藤氏にこう言ったという。
__また、ビュフェの絵を贈ります。
この盗聴テープとは別に「密会ビデオ」が撮られていたという。
A氏に盗聴を依頼したB氏自身が撮影したという。
この「密会ビデオ」が、何者かによって自民党側に届けられ、住専国会での新進党切り崩しの材料になったと言われています。
この「密会ビデオ」の中で、藤井氏が後藤組長に、反学会活動を続けている政治家など5人の名前をあげて「どうにかならないか」という内容の相談を持ちかけたという。
95年の12月ころには永田町の一部で、このビデオの存在が取りざたされるようになり、当時自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井代議士が「命を狙われている」という噂が流れ、亀井付のSPが増員されたという。
だが、当の藤井・後藤会談の盗聴の「実行犯」であるA氏は、そのような会話があったことを否定しています。
事実は闇の中だが、当時の創価学会と後藤組にはズブズブの関係があったことだけは確かのようです。
朝木さんは、創価学会がその持てる金と票の力で議員を議会におくり、行政を壟断する危険性を議会内外で強調していた。朝木さんの事件を担当する地検の支部長が、創価学会員、それも総体革命戦略を司る法学委員会の枢要な幹部であること、また担当検事が池田氏の「天下取り」の手駒を養成する創価学園・創価大学の出身であることに、なにかの因縁を感じるのは、私一人ではあるまい。
との乙骨氏の懸念に、私も同意します。
獅子風蓮