乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。
なお、乙骨さんにはメールで著書を引用している件をご報告したところ、快諾していただきました。
ありがとうございます。
(目次)
□まえがき
□Ⅰ章 怪死のミステリー
□Ⅱ章 疑惑への道のり
□Ⅲ章 対立の構図
□Ⅳ章 たたかいの軌跡
□Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
■あとがき
あとがき
昨年の10月10日に刊行された『文藝春秋』11月号に、「東村山市議怪死のミステリー“自殺”に固執する警察捜査にこれだけの疑問」を発表し、自殺説に立脚する警察捜査への疑問と、朝木さんと「草の根」をめぐる動きをレポートしたところ、事件の真相解明を求める多くの声が私の手元に寄せられた。
朝木さんの死に関心を抱く多くの方々とともに、死の真相を解明するためには、事件の経緯とその背景を整理しておくことが必要不可欠の作業である。月刊誌では紙に制約もあり、背景を詳述することもできなかったことから、いずれ近い時期をみて、事件の経緯と背景を一冊の本にまとめておきたいと思っていた。
そのような折、教育史料出版会の橋田常俊氏から、出版のお勧めをいただいた。当初、本書は、昨年中に脱稿する予定だったが、所用にかまけている間に今日まで延び延びとなってしまった。
そうしたさなかの昨年12月22日、東村山署は、朝木さんの死を、「事件性はない」、すなわち自殺だと断定した。だが、私は死の真相の解明はこれからだと思っている。その意味で、本書は、あくまでも中間報告にすぎない。
坂本堤弁護士一家殺害事件が、事件発生後、6年の歳月を経て解決したように、いずれ、朝木さんの死についても、その事件の全容と真相が解明される日が来るものと固く信じている。本書がその一助となれば執筆者としてこれにすぎる喜びはない。
最愛の肉親を亡くすという辛い状況のなか、快く取材に応じてくれたご遺族の大統さん、直子さん、淳子さん、厳さん、そして朝木さんの政治活動上の同志だった矢野氏に衷心より感謝申し上げたい。皆様のご協力なくして本書が刊行されることはなかった。
また、原稿が遅れ遅れになったにもかかわらず、イヤな顔一つせず、辛抱強く待ってくださった教育史料出版会の橋田さんにもお礼を申し上げたい。さらには、資料や情報を提供してくれたジャーナリズムに携わる多くの先輩や友人にも紙上を借りて感謝申し上げたい。
そして、末尾ながらあらためて朝木さんの霊前に哀悼の意を表したい。
真相解明の日が一日も早く来たらんことを。
合掌
1996年4月17日
乙骨正生
付録
『週刊新潮』平成8年5月2・9日号
「東村山女性市議怪死の担当検事は創価学会員」という記事をネットでひろいました。
おそらく記事をスキャンして読み込んだもので、誤字脱字が目立ちます。
分かる範囲で訂正し、読みやすいように漢数字を算用数字に直しました。
少し古い記事ですが、、
週刊新潮 平成8年5月2・9日号
ワイド特集 真相 「風雪の流布」
東村山女性市議怪死の担当検事は創価学会員
創価学会から猛烈な嫌がらせを受けていた東京都東村山市の“反学会市議”朝木明代さん(50)=当時=が謎の転落死をとげて8ヵ月。早々と捜査終了宣言を出した警察に代って、遺族は地検の捜査に望みを託している。が、転落死事件の担当検事が、なんと当の創価学会信者だったことが判明したのである。
「えっ、検事が創価学会員。嘘でしょう?彼は転落死事件の究明にとても熱心に見えたし、てっきり私たちの味方だと思っていたのに……」
と絶句するのは、故朝木市議と共に創価学会問題を追及していた矢野穂積市議だ。無理もない。矢野氏や遺族は事件以来、この検事を信用して、ずっと転落死事件や嫌がらせ行為に関する情報提供を続けていたのである。
昨年9月1日、朝木市議が東村山駅前のビル6階から転落死した事件は、12月に警視庁が「事件性なし」とする捜査報告書を東京地検に提出した。朝木氏と対立していた創価学会は、それ見たことかとばかりに聖教新聞などで大大的に書き立てたが、矢野氏や遺族はこれで事件が迷宮入りするとは思わなかった。
「警察が捜査を放り出しても、東京地検八王子支部の担当検事が、依然として関心を示していたんです。私は深夜に何者かから暴行を受けたり、創価学会員からトラックで轢かれそうになるなどの被書をうけ、この検事に訴えていました」(矢野市議)
その地検検事とは、信田昌男氏(39)。津地検や横浜地検、そして前橋地検勤務を経て東京地検八王子支部に異動してきた中堅検事だという。信田氏は、咋年来、一連の朝木事件を担当した後、この4月1日に甲府地検へと異動した。その信田氏が、よりによって創価学会員だったというのだ。
信田氏の親戚によれば、
「昌男は学会員の家庭に生れ、今も熱心な信者ですよ。父親は早くに亡くなりましたが、昌男は創価高校、創価大学に進みました……」
信田氏は、昭和56年に司法試験に合格した司法修習36期生。大学時代の関係者によると、
「当時の信田君は、学会活動より、司法試験に合格して池田先生の期待に応えたいという闘志を内に秘めたタイプだった」
という印象が残っている。
昭和56年11月16日付の聖教新聞には、司法試験に合格した信田氏のこんなコメントが掲載されている。
「社会正義を生涯かけて実現できる職業にとの考えが、創立者との出会いを通して深まり、司法界へ雄飛しようと決意した」
もちろん、コメントの中の“創立者”とは、池田大作氏のことである。
そもそも信田検事が、矢野市議らとかかわるようになったのは昨年6月、故朝木市議が万引き容疑をかけられた事件からだ。
「信田検事が万引き事件のあとやって来て、担当する旨、告げられたのです。しかし、驚いたのは咋年7月、私が深夜に暴行を受けた件で弁護士が信田検事に相談にいくと、“これは朝木さんが嫌疑を受けた万引き事件と関係があるんじゃないか”と向うから切り出してきた。警察がなかなか動いてくれず業を煮やしていた時でしたから、話の分る検事さんだと嬉しく思ったものです」(矢野市議)
信田検事は朝木市議転落死事件のあった当日も、早朝から「検死」に立ち会っている。
その約一ヵ月後、矢野氏は信田検事に呼び出されてこんな説明を受けたという。
「私も事件の現湯に行ってみました。あなた(矢野氏)が警察に不信感を抱いているのは良く分ります。私としても朝木さんのような事件が再発しないよう処理したい」
また、別の日に会ったときは「警察はあてにならないから辛いよね」と同情的な言葉もかけてきたという。警察が捜査終了宣言を出した後も、信田検事は「事件は捜査中」と矢野氏らに話しており、甲府地検に異動する直前の3月30日には、矢野氏に対して、
「転落死事件の捜査は継続します」
と、明言している。遺族が期待を抱いたのも当然だったのである。
朝木市議の長女・直子さん(東村山市議)は今、いう。
「なぜ担当検事が創価学会員だったことを検察庁は私たちに教えてくれなかったのでしょう。私たちが創価学会問題を追及し、そのために嫌がらせを受けてきたことを検察庁は承知しているはずです。私たちはそうとも知らず、調ぺに応じ、寄せられた情報も全て提供してきたのですよ」こうした遺族の声に対して東京地検企画調査課では、
「検事の信教が事件と関連する場合は上司が判断し、担当を外す湯合があります。このケースは大丈夫だったということでしょう」
と、まるで他人事だ。
当の信田検事に聞く。
「確かに私は創価高校、創価大学出身ですが、何を信仰しているかは言う必要はないでしょう。しかし、創価大学卒だからといって捜査に影響が出ることはあり得ない。朝木さんの事件に関しても捜査は厳正に行なったつもりです。だから遺族に出身校を教える必要はありません。この事件は警視庁は捜査終了としていますが、地検は継続捜査しています。ちゃんと新任の検事に引き継いできましたよ」
が、ジャーナリストの乙骨正生氏はいう。
「咋年のオウム事件では、警察や防衛庁のなかに信者がいて実際に情報漏洩が問題になりました。こうした前例があるのに、学会関与が焦点となっている事件にわざわざ学会信者の検事をつけるなど、考えられないことです。まして創価大から司法試験合格者を出すことは池田名誉会長にとって“天下取り”の重要戦略。司法試験合格者には徹底した宗教教育が施されているのは、知る人ぞ知る事実です。検察は本気で事件を解明する気があったのでしょうか」
実は、もう一つ驚くぺきことにこの朝木市議転落死事件を担当する東京地検八王子支部の吉村弘支部長も、学会信者だった。責任者も担当検事も両方、創価学会員だったというのである。元学会顧問弁護士の山崎正友氏がいう。
「吉村支部長は、私が創価学会に作った法学委員会の初期のメンバーでした。検事になった者は“自然友の会”というグループに属し、年に一、二回、池田名誉会長と会食の栄誉に与ることができました。彼は、新進党の神崎武法元郵政大臣(元検事)の一期下だったと記憶しています」
検察の学会汚染、恐るぺしである。
【解説】
信田検事について少し調べてみました。
信田昌男
信田 昌男(のぶた まさお)は、日本の検察官、公証人。富山地方検察庁検事正や、最高検察庁検事、津地方検察庁検事正等を歴任した。
来歴・人物
東京都出身。創価大学法学部卒業後、1984年東京地方検察庁検事任官。1985年津地方検察庁検事。さいたま地方検察庁次席検事等を経て、2012年富山地方検察庁検事正。2013年最高検察庁検事。2014年から津地方検察庁検事正を務め、裁判員に向けたわかりやすい立証の必要性を説くなどした。2015年退官、五反田公証役場公証人。
(Wikipediaより)
このWikipediaの記述には違和感を覚えました。
1984年東京地方検察庁検事任官。
1985年津地方検察庁検事。
さいたま地方検察庁次席検事等を経て、
2012年富山地方検察庁検事正。
とありますが、この記述では、東村山女性市議転落死事件の起きた1995年の時点でどこに勤務していたか分かりません。
実際は、東京地方検察庁八王子支部に在籍していたはずなのですが、その記載が抜けています。
信田氏本人あるいは創価学会側の工作によるものでしょうか。
また信田昌男検事については、別の事件に関与して世間を騒がせた記憶があります。
たしか、被疑者に対して乱暴な高圧的な取り調べをしたとかいう……
しかし、ネットで検索してもその事件と信田昌男検事の繋がりが出てきません。
単なる私の思い違いなのか、それとも何らかの圧力でその記載が消されたのか……
いましばらく調査を続けたいと思います。
獅子風蓮
1993年11月29日 金沢検事、懲戒免職処分を受け、逮捕される。(容疑を認める)。
11/30の朝日新聞朝刊一面に、11/29に
『ゼネコン汚職捜査で取り調べ中に、参考人に暴行した金沢仁元検事を逮捕』
と載ったそうです。
信田検事と金沢仁検事を混同していたみたいです。
それにしても、創価大学卒業して検事にまでなったのに、こんな事件を起こすなんて……
獅子風蓮