獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その32)

2024-07-12 01:46:07 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
■第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第5章 小日本主義

(つづきです)

就任したばかりであった東京市長の阪谷芳男は、就任最初の大事業として明治神宮の建設を声高に掲げた。明治神宮建設の計画は瞬く間に東京中に広まり、是認され、政治家、実業家、学者、官などの賛同を得た。
湛山は計画を知って、そのことがずっと心に引っかかって仕方がなかった。それを中心にした論文が「愚なるかな神宮建設の議」と小見出しをつけたものであった。
「ううん、凄い論法だね。だが、理解しやすい。反対のための反対ではないからだ。石橋君の言わんとするところのほうが正しいと思う。しかし、相当の反発も覚悟しておいたほうがよいだろうな」三浦は、湛山の論文に全く手を入れずに印刷に回した。
〈わずかに東京の一地に一つの神社ぐらいを立てて、それで、先帝陛下と、先帝陛下によって代表せられたる明治年代とを記念することが出来ると思っておるのか。(中略)これを一私人の家に譬えて見れば、あたかも親父が死んだからといって、幾日も幾日も家業を休んで、石塔建立の相談を親類縁者中に持って歩いているようなものだ。その間にせっかく親父が丹精して盛り立てて置いた家業が衰えねば幸である。現に或る一部には、このどさくさまぎれに、宮中府中の混同などいう騒ぎも始めておるではないか〉
湛山は、明治神宮の建設を止めるのが明治天皇の意志に適っていると書いた後で、さらに驚くべき提案を付け加えた。
〈しかしそれでもなお何か纏った一つの形を具えた或る物を残して、先帝陛下を記念したいというならば、僕は一地に固定してしまうようなけち臭い一木石造の神社などというものを建てずと、「明治賞金」を作れと奨めたい。ダイナマイトの発明者アルフレッド・ノーベルがもしその遺産を彼の記念碑や何かに費やしてしまったとしたならばどうであろう。彼は疾くの昔に世人から忘れられてしまったに違いない。しかし、彼はその資産を世界文明のために賞金として遺した。而して彼は眇たる一介の科学者でありながら、永遠に世界の人心に記念せらるべき人となった〉
湛山の発想はこうである。一介の科学者にすぎないノーベルの名前は人間の歴史に燦然と残り、今後も残り続けるであろう。ならば、一国の元首である明治天皇の事業の記念として「明治賞金」を出し、世界中の平和や文明に貢献した人々に与えることは、日本と明治天皇の名前、業績が永遠に刻まれることになるではないか。
湛山は明治天皇がリードして残した事業こそ讃えるべきであり、その延長線上に「明治賞金」の設定がある、と繰り返し主張した。この時代の主張としては異色であり、先見性の高さはどうであろうか。
しかし、三浦はこうした文章によって湛山の立場がなくなっては困ると感じた。湛山が決して明治天皇とその時代を批判したわけではなく、明治天皇の事業を、いびつな形で残そうとする人々に対する批判を書いたことを、少なくともインテリジェントといわれる人間には分かってほしかったのである。
「この文章には君の論文の特質が遺憾なく発揮されている。それが分かるかい?」
「はあ?」
「例えばね、これを一私人の家に譬えてみれば、という条りだよ。あたかも親父が死んだからといって云々……とあるだろう? ああいう表現のことだ。分かりやすい譬えを引くところだよ。これが、君の論文を読む者が難しい内容でもすんなり読めて、理解しやすい特色だと思うんだ」
三浦の読み方は正しかった。湛山はいつもそうして「難しい内容」を「平明に」書いて読者に訴えかけたのであった。
「三浦さん、今後は僕も新報で書いていくことになるんですが、やはり経済を勉強したいと思います。いつまでも経済知らずでいるわけにもいかないと……」
「そうか、経済をやるか?」
「はい。学校では哲学だの文学だので、経済から一番遠い所にいましたから……。独学でどこまで出来るか、自信はないのですが、今からでもやってみるつもりです」
「確か、君は前に天野為之先生の『経済学要綱』を持っていたね」
「はい、会社に入った時に、常識のつもりで……」
「読んでみたかね」
「はい」
それでは、と三浦は湛山にセリグマンの『経済原論』を読むように勧めた。また湛山は田中王堂にも相談した。すると王堂は、トインビーの「18世紀イギリス産業革命史』、ミルの『経済原論』などがいいのではないか、と言うのであった。
「しかし石橋君、これらはまだきっちりした日本語訳が出来てはいない。だから、勉強するとしても原書をあたるしかないんだが……」
「三浦さん、僕も原書で読むつもりでした。学校でそうするように田中王堂師からきつく言われてきましたから。そのほうが本当の理解になると思いますし、他人の言葉でなく、自分の言葉でイギリス経済が理解できるように思います」
湛山は、古書店に行くと早速、三浦に勧められた経済学の原書を見つけた。
この3冊は湛山の経済学の最初の一歩として、とても有用なものになった。

(つづく)


解説
湛山は明治天皇がリードして残した事業こそ讃えるべきであり、その延長線上に「明治賞金」の設定がある、と繰り返し主張した。この時代の主張としては異色であり、先見性の高さはどうであろうか。

湛山は、明治神宮の建設を批判しました。
でも単なる批判に終わらず、「明治天皇がリードして残した事業こそ讃えるべきであり」と考え、ノーベル賞のような「明治賞金」の設定を提案しました。
もし、「明治賞金」を受賞することが世界の英知にとって名誉なことであり、日本という国が尊敬をもってみられるような可能性があったとしたら、ここは大きな歴史の分岐点だったかもしれません。

 

「例えばね、これを一私人の家に譬えてみれば、という条りだよ。あたかも親父が死んだからといって云々……とあるだろう? ああいう表現のことだ。分かりやすい譬えを引くところだよ。これが、君の論文を読む者が難しい内容でもすんなり読めて、理解しやすい特色だと思うんだ」
三浦の読み方は正しかった。湛山はいつもそうして「難しい内容」を「平明に」書いて読者に訴えかけたのであった。

湛山は、知らず知らずのうちに「法華経」や日蓮の文章に影響されて、比喩をふんだんに使った文章を書いていたのかもしれませんね。

 

獅子風蓮



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。