石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
■第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第7章 政界
(つづきです)
重みを増した石橋蔵相に、自分がその石橋を起用してやったのに、という思いの吉田首相は嫉妬に似た対抗心を抱くようになった。
最初、在野からの大蔵大臣に反発していた大蔵官僚たちは、次第に湛山への信望を強くしていった。なかでも主税局長から大蔵次官に起用された池田勇人や、主税局第一課長であった前尾繁三郎は誰よりも心服した。
「大臣があんなに信念の人で、真の意味の自由主義者で、言葉だけではない実行力の持ち主であるとは知らなかった」
「GHQに対してもあれほど毅然とした態度を取るとはな」
「しかも、面倒なことも部下に押しつけずに、みんな自分でやるというのだから。これまであんな大臣を見たことはないね」
「演説原稿も誰の世話にもならずに、すべて自分で書くというのだから」
22年の全官公庁労働者が共闘委員会を結成した「二・一ゼネスト」の際には、湛山が内閣を代表して労働側との交渉に当たった。ストは直前の1月31日にGHQの指令で回避されたが、その日、内閣が改造されて湛山は経済安定本部総務長官、物価庁長官を兼務することになった。「朝日新聞」は、
〈64歳とは思われないこの老人からほとばしる満々たる闘志と自信は、たしかにバク然たる不安におののく国民に何かしら大きな支柱をあたえることはたしかだ〉
と書いた。
だが、労働攻勢はまだ激しく、自由党は政局の安定をもたらそうと、社会党との連立を試みようとする動きがあった。湛山は吉田が承知のうえと思い込んで連立の協議に臨み、話をまとめたが吉田は、
「石橋君の動きは独断専行で不愉快だ。自分が副首相にでもなった気でいやがる」
と言って、連立を蹴ってしまった。こうして政局は新憲法下での初の総選挙に向かっていった。湛山は、自由党の選挙対策委員長になった。幹事長の大野伴睦とともに選挙の最高責任者であった。資金調達から配分、地方遊説、そのすべての先頭に湛山は立った。
同時に湛山自身も議席を獲得しなければならない。前回の選挙の雪辱の意味もあった。
「今度こそ落選するわけにはいかない」
背水の陣であった。
湛山は前回は失敗して今回こそ郷里・山梨県からの出馬を希望したが、やはり派閥や現職議員の力関係の前に山梨からの立候補は不可能になった。
「やはり東京から立たねばならないのかな……」
解散を前に悩む湛山の前に、朗報が舞い込んだ。佐藤虎次郎という代議士からだった。
「大臣、あなたの見事な手腕と人柄に惚れ込みました。もしよろしかったら、私の地盤を引き受けてもらえませんか。静岡県の二区ですがね」
二区は、沼津、三島、御殿場、伊豆半島などが選挙区であった。湛山には、父親が昔、静岡市の本覚寺にいたという縁はあるが、直接的に静岡二区とのつながりはなかった。
「ただし、大臣。約束してくれませんか。私も頑張りますから当選はするでしょう。でも、それだけではなくて必ず総理大臣を目指してほしいのですよ」
湛山は、佐藤の申し出がありがたくて、その両手を握って頭を下げた。
3月31日衆議院解散。
4月25日投票。
結果は見事にトップ当選であった。佐藤の地盤もさることながら、地元に縁のない湛山の「蔵相人気」でもあった。
この選挙で、石田博英も秋田から立候補して当選した。自由党の公認料は3万円だったが、湛山は石田のために別枠の選挙資金を用意した。石田は代議士になったのを機に、湛山の側近中の側近になっていくのであった。
党人の代表格ともいえる大野伴睦は幹事長という立場もあったからか、党内の親しい仲間たちに、「手間のかかる総裁はいらん。今度は吉田ではなく、石橋総裁でいい」
そう公言した。これに尾鰭がついて広まった。吉田の耳にはすぐに達し、吉田は不快感で顔をしかめた。まだ、党内における吉田の地位は確固たるものになってはいない。それどころか党人嫌いは、全く以前のままであった。湛山は、そんな吉田の地位を脅かす存在になりつつあったのだ。
(つづく)
【解説】
重みを増した石橋蔵相に、自分がその石橋を起用してやったのに、という思いの吉田首相は嫉妬に似た対抗心を抱くようになった。
政界の中の権力闘争は、今も昔もすさまじいものがありますね。
獅子風蓮