獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その55)

2024-09-01 01:07:57 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
■第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第7章 政界

「『東洋経済新報』があの戦時下でよくも生存し得たのは、一に一般誌ではなく経済誌であったからでしょう。次に自由主義を掲げて軍部に抵抗しながらも、婉曲な、時には屈折した表現で逃げたこと。しかしながら、心強かったのは、財界人の強い支持です。全国各地に組織された経済倶楽部は、新報の強力な応援団でした。戦争開始時の25サークルから終戦時には41に増えていたのです」
湛山は、苦しさを乗り越えた過去を振り返って、親しい人にはそう洩らした。
「石橋さん、本当に日本は大丈夫ですか? 潰れませんか?」
終戦の直後に秋田県横手町の町民有志が開いた講演会で、会場に詰めかけた何人もの聴衆から湛山は同じような質問を受けた。それに対して湛山は、
「大丈夫です。領土の問題で不安はありません。経済の再建さえ出来ればいいのです。つまり外国との貿易さえ再開されれば、日本の経済はかえって海外の領土を失ったことを利益に思うようになるでしょう」
持論を展開しながら、力強く日本の前途に太鼓判を押した。
「いいですか、皆さん。日本再建に一番大事なことは領土とか資源ではありません。人間です。働くこと、ものを考えること。人間中心の復興です。それなら日本にはまだまだ人材は残っています」
湛山の訴えは、聴衆の胸に温かく響いてきた。蝉の声が、うるさいほどに聞こえてくる。湛山は、言葉を止めて、蝉の鳴き声に耳をやった。ああ、人間が戦争だ、敗戦だ、と言っている間にも春が来て、夏が来て、秋が来る。自然の持つこの大きさは何だろうか。ふと湛山は目に見えない大きな存在を感じた。和彦か。和彦がいるんだな。すべては運命だ、と言いたいんだろう。湛山は宙空に微笑んでから、言葉を続けた。
「旧軍需産業から平和産業への転換がこれからの日本の道でしょう……」
こうした湛山の持論は『東洋経済新報』昭和20年(1945)8月25日号社論「更生日本の門出――前途は実に洋々たり」から9月15日号までの「産業再建策の要領」まで7回にわたって発表された。

その間に湛山は、地元紙の「秋田魁新報」8月25日付のインタビュー記事でも語っている。
――連合軍は軍隊のみじゃあなくて、各国の新聞記者もついてくるんです。その前で乱暴や掠奪などの非道をするはずがないでしょう。
――これからは新聞の使命は今まで以上に重くなります。今まで日本の新聞はあまり尊重されてはいませんでした。今度は必然的に地位が高まります。それだけ新聞も慎重を要することになります。
――失業問題ですが、日本は建設しなければならないものをたくさん持っています。鉄道の復線、上下水道敷設、住宅建築など大いに人を必要とします。
――国土は狭くなっても開発すべきを開発し、生産を高めれば産業経済のうえではやっていけるはずです。
日本人のほとんどが連合軍に不安を持ち、未来への希望を失っている時に、ひとり湛山のみが、連合軍の対日方針について語り、日本経済の見通しを述べた。しかも明るく確信をもって心を鼓舞したのであった。

(つづく)


解説

日本人のほとんどが連合軍に不安を持ち、未来への希望を失っている時に、ひとり湛山のみが、連合軍の対日方針について語り、日本経済の見通しを述べた。しかも明るく確信をもって心を鼓舞したのであった。

湛山の慧眼には感服します。

 

獅子風蓮



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