syuの日記・気まま旅

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千葉県行徳ー江戸川を下る 最終

2016-06-22 | 気まま旅

1873年ー千葉県成立ー1875年ー現在の県域。
1890年の明治23年、利根川と江戸川を結ぶ「利根が運河」開通・昭和2年、野田醤油で大争議おこる・昭和35年京葉道路、船橋まで開通
41年、新東京国際空港・成田空港反対同盟結成・44年地下鉄東西線「西船橋」開通・53年、成田空港開港。
平成元年、幕張メッセオープン「京葉工業地域・幕張新都心構想」千潟(潮千狩り場)・ディズニ―ランド等の大観光拠点・公園整備が。
「行徳・浦安ー千葉県市川市」は、江戸川河口の三角州上の地域。昭和30年、市の編入、江戸時代は、幕府直轄領であった。
幕府の保護を受け「製塩業」で栄えた。利根川・江戸川筋の水運を使いー関東一円に「販売」もされている。
又、江戸川の河港は、「成田詣で」の中継点として賑わったところ。

      旧江戸川を渡り千葉県市川市南西部、地下鉄東西線「行徳」駅
    

南部に「新浜御猟場・鴨場」と呼ばれる皇室のカモ猟場がある。
その近郊に人口千潟・海水沼・淡水池等で面積83Ha-行徳近郊緑地特別保全地区に指定されている。

               野鳥観察舎
  

春になるとウグイス等・夏になるとアオサギ・秋はツバメ・冬は鷹等雀・鳩クラスの野鳥から、コハクチョウ・カワウ・鶴・白鷺など大型野鳥も

           カモ・シギ・チドリ・サギ等が観測できる
    

江戸川三角州に位置、浦安は魚浦の安泰を願い命名された。山本周五郎「青べか物語」の舞台に。又、江戸幕府、直轄地で製塩業が奨励さた。
塩分低下で町も荒廃してった。

「御猟場」は、行徳と浜離宮恩賜庭園(庚申堂鴨)と越谷埼玉鴨場がある。
    

           野鳥病院と野鳥に関する資料館も 
    

        江戸川に沿って溜池・沼等があり、エサも豊富で、野鳥の天国


行徳は、江戸川と利根川水運の河港で、成田参詣の拠点として栄えた町。産業も最大の塩田地帯であった。
が、江戸川の淡水流入で塩田には不向きになり、海苔の養殖が中心に。現在は、住宅都市に。

               行徳妙典から向かい原木高谷方面を
  

「あおさぎ・蒼鷺」-ペリカン目サギ科、アオサギ属ー
全長88~98cm・翼開張150~170cm・体重1.2~1.8kg
生態ー河川・湖・池沼・湿原・千潟・水田・食性は、動物食・魚類・昆虫など。性格は攻撃的で神経質(強大野鳥の餌も奪う)

   夕風や水青鷺のはぎ(脛)をうつー与謝蕪村ーなんと涼しそうに。


行徳は、室町時代から「塩田の地」、その塩田で、野田・銚子の醤油と流山のみりんが栄えた。
          
            立地条件の良い、「京葉工業地帯」が注目
                      
          地下鉄東西線「妙典車両基地」大規模改良工事中
  

「妙典」駅は、(T21駅)で開業平成12年と新しい駅。
が、混雑は、ピーク時間199%。(これは、京浜東北の上野・御徒町、総武線錦糸町・両国と同じ199%)

      東京メトロでは、車両改良・混雑緩和をめざし、大工事中であった。
    

京葉道路と7号線の陸橋から江戸川は二本に別れ、千葉県市川を江戸川・都江戸川区を旧江戸川となる。
千葉沿いの「江戸川の橋」は、まず、行徳橋・新行徳橋・地下鉄東西線(妙典車両基地工事)・東関東自動車道、京葉線
              
  

               新しく妙典橋の工事が                   
  

                  湾岸道路


                  水菅パイプも
    

                  江戸川河口付近
    

青べか物語の中の浦安を浦粕・江戸川を根戸川・行徳を徳行と言い換えている。
孤立の町で、北は田畑・東は海・西は根戸川・そして南は沖の100万坪と呼ばれた荒地が広がっていた。
文豪山本周五郎は、青春時代ー常宿が「吉野家」、船宿・釣具店。
浦の貧しい漁夫や貝をとるや竹籠を作る職人など、その日暮らしの雇われ人の長屋の人達を「ぶつくれん屋」と町民達は呼んだ
だが、貧乏だが素朴で人情に生きる人たち、、、。
昭和初期3~4年頃、山本周五郎を青べか物語・蒸気河岸の先生と呼ばれ、庶民の哀歓をありのまま生活風景を作品した小品集を。
蒸気河岸は、大盛況であったと云う。深川方面から交通手段は、蒸気船が活躍し、浦安ー高橋(江東区)を1時間半で結んでいた。
昭和15年「浦安橋」を境に、以前は、渡し場から舟、(蒸気河岸)昭和19年に全面廃止されている。
蒸気河岸「通運丸」は、明治10年就航して17年後の27年~明治40年移転した。その後は、船から陸に変わった。
市川の地名は、江戸川水運の銚子・野田・流山の物流による「市場」があって「市川」と云う説もある。

                  河口と東京湾
  

個人的に、江戸川を「哲学の川」と。
         一年中野鳥が絶えない「千鳥町」付近ー野鳥の楽園地
    

春には、東京から一番近い潮千狩りが。
昭和25年頃、「しじみー・しじみー」少年が朝早く売りに来ていたが、その少年は、歩いて浦安~JR鶯谷駅の入谷まで。

                    三番瀬海浜で、


関東富士見百景の一つ。
                   三番瀬海浜


            地下鉄東西線「妙典」駅で終わります。



ー江戸川を下るーこれで終わります。次回は、神奈川・足柄方面へ。