syuの日記・気まま旅

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高幡不動 -行基建立

2019-05-11 | 季節だより
「行基」 668-749 社会事業で多くの人を救った高僧。
奈良時代の百済系渡来氏族の僧侶ー法相宗「道昭」のもとで学ぶ、師の影響大で社会事業に、朝廷に招かれ大仏建立・大僧正になる。
「行基年譜」僧院34・尼院15・橋6・船・池・溝・堀・川・・・。第二の行基は出ていない。

天智7年の668年、河内国大鳥郡蜂田郷家原(現在の堺市あたり)に生まれる。
名は、貞知、父は、王仁の後裔の高志才知、母は蜂田古爾比売といわれ、いずれも渡来系氏族。
母方の家で生まれた行基は、15歳で出家して飛鳥寺で学ぶ。律令制のもとでは、一般人は仏教に関係のある豪族や部族の出身でなければ容易に僧尼になれず、出家者も自由に行動できなかった。行基は、父が五位の国守を出している帰化人の中級豪族で、学問や仏教に通じており、身近に道昭という高僧がいたことも入道に幸いした。
704年、に生家を改造して家原寺を創建。707年、40歳で生駒山の山房にこもる。母と暮らして孝養を尽くすかたわら山林修行を積み、712年、に修行を終えた。45歳を過ぎて布教活動に力を入れ、貧者や病者などの一時救護施設「布施屋」をつくる。しかし、これが原因で717ねん、に僧尼令違反で政府から弾圧されるが、それでも布教をやめなかったと云う。
行基の最大の功績は、「四十九院」という多数の修行道場を拠点に、橋、道路、港、堀川、布施屋はもとより、溜池や用水路、水門などの潅漑施設を整備し、新たな菩薩行、すなわち衆生救済のあり方を示したこと。律令政府の政策に則しつつ、庶民の利益となる施設を建造していったのである。
その活動資金や技術、労働力などは、行基の信者たちによって提供されたと考えられている。
仏教の教義を民衆に理解しやすい平易な言葉で説き、罪福を諭し、現世の要求を聞き入れ解放する積極性を持っていた。
上層農民や豪族には蓄財を否定せず、功徳を積みながら生産に励み、利の欲求を解放して社会に還元する「利益」を教えた。
721年、同じ渡来系の寺史乙丸から右京三条三坊にあった寺史の邸宅を寄進され、菅原寺(後に喜光寺と改名)とした。
749年、喜光寺で入寂ー享年82。
弟子たちの手によって火葬、生駒山中東麓の竹林寺に埋葬された。
行基は、歴史書「続日本紀」に、朝廷に歯向かう悪者であると同時に、庶民には仏の道を説く聖者として唐突に登場する。
主な活動であった庶民生活の基盤整備は、地位の高い人々が独占していた仏教を民衆に開放し、治政の貧困を暴く行動であることから、行基は僧尼令を犯す者という汚名を着せられている。
しかし、731年、朝廷は行基に従う61歳以上の優婆塞、55歳以上の優婆夷の入道を許し、聖武天皇自ら泉橋院(京都府木津川市)に行き、行基に面会している。この出会いによって、東大寺大仏造立の勧進僧の任を受け、それまで「小僧(しょうそう)」とさげすまれていた行基は、一気に大僧正の地位に就く。
この掌を返したような扱いは、世の移り変わりと言えばそれまでだが、天皇の抱く大仏建立という大目標に果敢に立ち向かえる人材は、行基しかいなかったことの証しでもあると云う。


            高幡山明王院金剛寺ー高幡不動ー真言宗智山派ー別格本山古寺


                    火防の不動・関東三大不動 本堂


「真言宗」 空海 774-835  六大縁起・即心成仏を教義の密教教団  弘法大師空海が開宗

                        仁王像


      二分し、豊山派、本山長谷寺・智山派、本山智積院   寺院数1万ヶ寺。

                        仁王門


                        五重塔


                       四季の道


                  巡拝山内88ケ所入口 山内経之供養塔


                  アガバンサス  鏡水句碑他







                  大日堂 天井に狩野法眼作「鳴き龍」がある。


                         丹頂草


「大日堂」-大日如来像 平安・不動明王像 室町・阿弥陀如来像 江戸・飯縄不動像 江戸・天井画鳴り龍 江戸・柱林山水朝陽夕 8枚
八福神像・書画・彫刻 江戸。

                        大日如来像




「上杉憲明」 1306-68 幕府に抗した反骨の武将、関東管領・「父子の忠節と功績は比類がない」直義の為に身命をなげうった。
       山内上杉の祖を築いた。

                       上杉憲顕・納札堂


重文ー丈六不動明王像 平安・仁王門 室町・鳴り龍 江戸・・・多数。

市指定文化財ー「文久の板碑」-鎌倉時代の武蔵国・高麗地方から南平に移住し、日野市に勢力を伸ばした「平姓高麗一族始祖之供養塔」と推定。
                         文永の板碑


ハイキングコース   不動ヶ丘・高幡城址へ。

                         大観音像


次回は、多摩動物園へ