syuの日記・気まま旅

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下田・寝姿山と相ノ山

2012-02-15 | 気まま旅

下田出るときや涙で出たが、間の山をば唄で越す,ヤレ、山中通れば鶯が、梅の小枝に晝寝して、花の散るのを夢に見て、
花さけ咲けと啼くわいなアエ」(下田節)

東京は寒かったが南伊豆下田方面は暖かかろうと旅することにした。しかし初日は曇り空でみぞれが降って寒かった。

伊豆急行終着駅「下田駅」、国道414号線「蓮台寺駅」の突き当りが、右136号線、左135号線と別れ、136号線は相ノ山、南伊豆方面。
135号線は、須崎、爪木崎、柿崎、寝姿山(ロープウエイ)白浜方面へ。
国道を横断すると、下田の街、下田城山公園に向かって街並が続く、下田港から大川端通り、池の町通り、三丁目通り、宝福寺のあるマイマイ通りと
碁盤の目のように商店やなまこ壁の民家、寺院などが集中している。

下田の美しい海水浴場は、白浜から中央、大浜、外浦、鍋田、九十浜、多々戸浜、入田浜、吉佐美大浜、田牛浜続いている。

街の中央に「ハリスの足湯」もあり無料で開放している。では、ご案内しよう。

寝姿山


下田駅を出ると、右手に「相ノ山」(253m)、左手にお吉の稲生沢川それに掛る新下田橋、女性の寝姿に見える「寝姿山」200m、
1853年横須賀に現れた黒船、翌年ここ下田港来抗、若人の血が騒いだ、特に松陰は、柿崎の弁天島から夜小舟を漕ぎだした。
ペリー提督に直談判するためであった、当然拒否。が幕末の激動は動き出していく。

                               相の山             下田温泉 
    

南国リゾートの雰囲気が漂う海沿いとは対照的に、市街地は歴史情緒たっぷりの街並み。1854年のペリー来航後、鎖国・日本で最初に開港されたのがここ下田。
通称「ペリーロード」と呼ばれる了仙寺から下田公園までの通り沿いは、“なまこ壁”や伊豆石造りの建物が立ち並ぶ日本開国の地・下田の象徴的な場所だ。
黒船の資料などが多数保管されている了仙寺、幕末の志士・吉田松陰が密航を企てた際に潜んだ弁天島など、幕末動乱の幕開けを今に伝える史跡も多く残る。

新下田橋             観光用の下田城      中は美術館 営業していない
    

下田温泉は、静岡県下田市(旧国伊豆国)市内にある温泉。蓮台寺温泉、河内温泉、白浜温泉、観音温泉、相玉温泉の総称。
伊豆金山の一つである旧河津鉱山(蓮台寺金山)坑内から湧出する温泉もパイプラインによって、下田市内のホテル・旅館・公衆浴場に給湯されている。

     

「下田ロープウエイ」
山頂からは下田市街に下田港、伊豆七島そして美しく雄大な天城連山 を一望できる「 伊豆三景」の一つ と言われている。
往復乗車¥600、伊豆七島 (大島、利島、新島、三宅島、御蔵島、式根島、神津島)

寝姿山自然公園は、山頂駅―恋人の丘ー迷路ー森の小径―展望台ー石割楠ー黒船展望台

ロープウエイから下田港
  

縁結び愛染堂ー地蔵ー五島記念碑ー蓮杖写真記念館ーハーブ園ー黒船見張り所、一回りする。
四季折々の花が楽しめる遊歩道、桜の木も多い。(約30分のコース)


愛染明王堂の境内にはハートの絵馬が一杯並んでいる。
  

嘉永2年4月12日(1849年)英国の測量船マリナ号の入港を機に、江戸幕府が寝姿山の山頂に見張所を設け下田奉行所より数人の役人を派遣し、
日夜を問わず黒船の警戒に当らせた。 見張り小屋の横の台上にある大砲は、米国船に搭載してあった本物

大砲                          駅前の黒船 模型
  

次回は下田散策続き。  

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