「江戸」幕府所在地、明治に入り「東京府」当時中央・千代田・港・新宿・文京・台東6区、地名は、アイヌ語 岬、端・江戸氏に由来・大河(江)の
入口(門)説はいろいろである。
大河の利根川は、江戸湾に注いでいた。日比谷入江・また吾妻鏡の1180年「江戸太郎重長」の名が。近世以前は「武蔵国豊島群江戸郷」と云っている。
1456年大田道灌が江戸城を築城以前は、町は形成されていないと云う。
「江戸」は、1590年 徳川家康関東入国してから。本郷・麹町などに武家屋敷が置かれ、神田・日本橋・京橋に職人、商人の町がつられていった。
1657年 明暦の大火後大きく拡大され、「100万都市」世界最大の都市に。
千代田区大手町」は、区の東部、江戸城の大手門一帯の地域ー江戸時代は、越前福井藩松平氏・出羽鶴岡藩酒井氏の上屋敷であった。
現在は、行政機関地域と大手商社のビジネス都市になった。
戦争で中断した中学修学旅行が復活した昭和26年頃は、食糧難で「米」を各自持参してのお粗末な修学旅行復活。
我が家は、細長い赤いすじのある「外米」を持参。集合場所が、東京駅で夕方であった。
初めと乗る夜行寝台車、身を寄せながら空腹を押さえながら夜を過ごした。朝日が昇る頃に、やっと「名古屋~」。
ホームの水道で顔を洗った記憶が、また、雨続きで疲れ早く帰りたかった。
少ない餞別で京都名物の「八ツ橋」を買って弟の喜ぶ姿を想像しながら帰宅した。
昭和40年・新婚旅行で初めての新幹線に乗るために東京駅へ、「伊豆一周3日間寿コース」、数人の友人に見送られ、1時間で「熱海駅」に。
みかん数個食べたら熱海であった。
東京駅と云うと子供の頃思いだす。
今の八重洲口辺り、雨が降ると水はけが悪い為、水たまり場となり,いろいろなトンボが取れると聞いて町内の子供たちと夕方になると出かけていた。
捕り方は、竹竿の「もち」が使えないのでメスのトンボを糸に吊るし回しているとオスが絡んで捕れ,好きな様に捕れたのを思い出す。
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「岩崎弥太郎」 1834-85 三菱財閥の創始者、土佐生まれ・九十九商会後三菱商会設立・帝国郵便蒸気船会社の競争に勝つ大きく発展
為替業・海上保険業と事業拡大ー日本郵船設立。
明治20年新政府は親兵不要、陸軍用地75000坪民間払い下げたが買い手無し、三菱、岩崎弥之助に頼み込み150万円・8回払い・明治23年頃。
三菱の社内から「無駄な土地を買った」と不評、非難を浴びている。弥之助は、「竹でも飢えてとらでも飼うか」とやけ気味であったと云う。
当時は、草ボウボウの原っぱ、人よんで「三菱ヶ原」と云った。
ホタル・蝙蝠・バッタが、。大正3年総工費280万・総人夫73万人・坪数65000坪・煉瓦760万個・鉄道総裁後藤新平が
世界一の駅を作った。
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「原敬」 1856-1921 初の政党内閣を組織した平民宰相。
南部藩重臣の子・大阪毎日新聞社長・1900年立憲政友会創立に参画し、伊藤博文内閣で逓信大臣に、1,2次西園寺内閣の内務大臣、政友会総裁
政党内閣を組織した。腐敗政治で東京駅南改札口で暗殺。
「犬養毅」 1855-1932 5・15事件で殺害された政治家(東京駅電車ホームで)
満州事変阻止に尽力したため、軍部と右翼に反感を買う。
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「東海道新幹線」
新幹線開業前、東西の大動脈である東海道本線は高度経済成長下で線路容量が逼迫しており、抜本的な輸送力増強を迫られていた。
これに対し日本国有鉄道(国鉄)は、十河信二国鉄総裁と技師長の島秀雄の下、高速運転が可能な標準軌新線を建設することを決定。
1959年(昭和34年)新丹那トンネル熱海口で起工式を行って着工し、東京オリンピック開会直前の1964年(昭和39年)10月1日に開業した。
計画段階では「東海道新線」と呼ばれていたが、開業時には「東海道新幹線」と命名され、「新幹線」という呼称は戦前に東京駅 - 下関駅間で計画された「弾丸列車」の内部呼称に由来するといわれている。
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「日限地蔵尊」
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「日本橋西河岸地蔵寺教会」
行基菩薩が遠州四方城(静岡県引佐郡)に草庵を構えた際に自ら彫刻した御丈2尺8寸の御尊像を祀ったものだという。
1718年、地蔵堂として建立、正徳院と称していた。
地蔵菩薩は、天海僧正の御持仏で、至心に祈願すれば日ならずして御利益を授かるところから、「日限地蔵尊」と呼ばれ、ことに延命祈願に霊験あらたかな事は古来より広く世に知られ多という。
勝縁の地としてここ西河岸に遷座し、今日まで二百数十年を数え、建立の当時は「正徳院」と呼ばれ、天皇直々に拝謁し奏上のできる格式高い寺。
その後、明治維新の廃仏毀釈と大正12年、関東大震災や戦災などによる多くの変遷を経て、今日に。
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「一石橋」 日本橋川に架かる
江戸時代、川を隔てて北が金座をつか伝さどる「後藤邸」・南が幕府御用を受ける呉服所の「後藤縫殿助邸」であった。
共に後藤・ゴトー・五斗で合わせ「一石」で橋の名に。
もう一説は、橋のたもとに米俵をつんで、銭一貫文を米一石を引き換える店があったからとも云う。真意は?
一石橋
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一石橋南西詰に「迷子の知らせ石」が。文京区の湯島天神の境内にも残っている。人混みで迷子が多いため。
八重洲通り(向かいは、八丁堀方面)
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「八重洲の名の起こり」
今から約350年前、大分県佐志に漂流したオランダ船「リーフデー号」の船長「ヤン・ヨーステン」の名前からきたともいわれている。
家康が知遇で召し抱え、貿易に力を注いだという。ヨーステンの住所が今の八重洲であった。
家康は、アダムス・ヨーステンから帆前船を建造している。
八重洲一丁目付近
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東京駅八重洲口
「懐かしい神保町」
神田古書・スズラン通り・人生劇場・・その、神保町の名は、旗本、幕臣「神保長治」の邸地として995坪を賜っている。
他の旗本屋敷とに比べと広い低地である。
明治から吸収し現在の大神保町に発展。一ッ橋付近には学士会館・毎日新聞社・共立女子・小学館・集英社・岩波などが。
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「紀尾井町」
江戸時代の大名屋敷が占めていた地。
和歌山藩・尾張名古屋藩・鳥羽藩・近江藩・・・紀尾井坂(現在プリンスホテル)
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「北の丸公園」
近衛歩兵連隊の跡地・日本武道館・科学技術館・美術館・(靖国神社)
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紀伊国坂
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一ッ橋
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