「キンギンナスビ(金銀茄子)」
ナス科 ナス属、草丈50~100cmの1年草。帰化。
茎は枝分かれし、基部は木質化し、鋭い刺が密生、葉は互生し、卵円形で長さ幅とも6~15cm。縁は3~5に浅~中裂し、両面に剛毛が生え、
葉脈上にまばらに刺がある。
花は茎の途中から短い枝を出し、総状に1~5花つける。花冠は白色で、径約2cm、5裂して皿状に開き、果実(液果)は球形で、径2~3cm。
初めは白色で緑色の縞があるが、その後赤く熟する。
分布・生育地ー 帰化(熱帯アメリカ原産)・本州(関東地方南部)~沖縄 路傍、荒地・•花期ー7~9月(南方では1年中?)。
仁右衛門島は、四季の花の絶える事無く、特に「キンギンナスビ」という珍しい植物がある。
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「島主、平野仁右衛門さん」
島主、平野仁右衛門さんは、代々、仁右衛門を名のり、県指定の名勝地・仁右衛門島(3万平方米)に観光をなりわいとして暮らしていると云う。
38代(推定と云う)一つの島に住みつづけ、島には数々の伝説があるが、1703年に、鴨川を襲った大津波で、系図、古文書等がほとんど流失したという。
島には、伊豆・石橋山の戦いに敗れ、逃れてきた源頼朝を一晩匿かくまったといわれる「かくれ穴」や、日蓮上人にまつわる話が伝わっている。
近年、千葉県史研究財団の人が島を調査し、わずかに残っている島の資料から、上人が名を成した後にも、仁右衛門島を訪れた形跡があると云う。
日蓮上人は、地元鴨川市の生まれ、平野家は元来天台宗であったが、後に日蓮宗に改宗したという。
仁右衛門さんの父上は「将来はお前の好きなことをやれ」と言ってくれたという。
当時海軍であった仁右衛門さんは、商売が苦手にがてで、海軍工場の経理の仕事を望んでいたが終戦を迎え、 仁右衛門島を継ぐことになった時。
なるべく近代化しないで、頼朝の頃からの自然を残すことで、自然を守ること。
島は一枚岩で、水はすべて雨水にたより、台風が来れば目と鼻の先の対岸へ渡し船を出すことができないため、平野家の子供たちは学校の皆勤賞がもらえない、、、、。
島主の大切な仕事は、毎日波を観察し、防波壁を越えてくる波も、波の腰を折り、うまく誘導する設計になっていると云う。
火防のために、常緑樹やアロエなどを増やし、燃えやすい茅かやなどを減らし、花好きの奥さんが島中に花を植える。
1704年に建て直した家屋に住み、建物を観光客にも公開していると云う。
三笠宮殿下・皇太子殿下・義宮常陸宮殿下の記念碑
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「弁天道」には、「富安風生句碑・岡本眸句碑・芭蕉塚・源講修歌碑・鈴木直砂女句碑・小林秀穂女句碑・水原秋桜子句碑・小出秋光句碑」
等が点在している。
一人¥1350(往復)
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「富安 風生」1885ー1979年
愛知県出身の俳人、本名は謙次。高浜虚子に師事。
逓信省に勤めながら 俳誌「若葉」を主宰。温和な作風で知られた。
初渚ふみ 齢を愛し けけ
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海暮れて 鴨の聲 ほの可尓白しー芭蕉句碑
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鈴木直砂女句碑
あるときは 船より高き 卯波かな
展望台・見晴らし台・舟の着船場・海水浴場・休憩場・全島釣り場である。
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「日蓮」開祖 1222-82 安房の生まれ、故郷の天津・摩尼山「清澄寺」で出家。鎌倉に出て「立正安国論」を書く。
日蓮と神楽岩ー聖人霊地
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「源頼朝」武家政治の創始者 1147-99
鎌倉幕府の初代将軍、源義朝の嫡男、母は、熱田大宮司藤原季範の娘。平清盛に敗れ、義朝は殺され・頼朝は伊豆に流された。
20余年流入生活。治承4年「以仁王」の令旨を受け挙兵するが、小田原早川石橋山の戦いで「大庭景親」に敗れ、房総に逃れ、ここで武士を集め
鎌倉に入る。次いで「富士川の戦い」で平家方を敗走させ、常陸の「佐竹氏」を討ち関東を固める。
頼朝は、少年時代の平治の乱後、一人で関ケ原をさまよっているところを捕えられたが、清盛の継母「池禅尼」は、我が子の「家盛」の生き写しの
頼朝を見て、清盛に命乞いをしている。
平家を滅ばした頼朝は、「池禅尼」の実子(清盛の異母弟)平頼盛の所領を安堵し、大納言に還任させ、禅尼の恩に報いたと云う。
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1180年、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、安房に流れて来た時、夜襲を避けて、身を潜めたと伝わる「洞窟」がここ、「正一位稲荷大明神」
が祀られている。上方には、維新前黒船渡来時、砲台を築いたところでもあり、弁財天・稲荷神社等江戸時代から祀られていると云う。
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水原秋桜子句碑 巌毎に 怒涛を あけぬ
春の虹立つや 雨雲ひくき 汐の列
冬凪きて 岩壁映ゆる 夕焼雲 など。
江見・太海地区は、観光と花畑の広がる海沿いの街と太海には、城西国際大学や早稲田大学もあり,近年は文教地域でもある。
磯釣りでも知られ、岩肌が険しく、亀岩から大小の岩が飛び石のように連なっている。
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次回は、鴨川市内へ。
ナス科 ナス属、草丈50~100cmの1年草。帰化。
茎は枝分かれし、基部は木質化し、鋭い刺が密生、葉は互生し、卵円形で長さ幅とも6~15cm。縁は3~5に浅~中裂し、両面に剛毛が生え、
葉脈上にまばらに刺がある。
花は茎の途中から短い枝を出し、総状に1~5花つける。花冠は白色で、径約2cm、5裂して皿状に開き、果実(液果)は球形で、径2~3cm。
初めは白色で緑色の縞があるが、その後赤く熟する。
分布・生育地ー 帰化(熱帯アメリカ原産)・本州(関東地方南部)~沖縄 路傍、荒地・•花期ー7~9月(南方では1年中?)。
仁右衛門島は、四季の花の絶える事無く、特に「キンギンナスビ」という珍しい植物がある。
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「島主、平野仁右衛門さん」
島主、平野仁右衛門さんは、代々、仁右衛門を名のり、県指定の名勝地・仁右衛門島(3万平方米)に観光をなりわいとして暮らしていると云う。
38代(推定と云う)一つの島に住みつづけ、島には数々の伝説があるが、1703年に、鴨川を襲った大津波で、系図、古文書等がほとんど流失したという。
島には、伊豆・石橋山の戦いに敗れ、逃れてきた源頼朝を一晩匿かくまったといわれる「かくれ穴」や、日蓮上人にまつわる話が伝わっている。
近年、千葉県史研究財団の人が島を調査し、わずかに残っている島の資料から、上人が名を成した後にも、仁右衛門島を訪れた形跡があると云う。
日蓮上人は、地元鴨川市の生まれ、平野家は元来天台宗であったが、後に日蓮宗に改宗したという。
仁右衛門さんの父上は「将来はお前の好きなことをやれ」と言ってくれたという。
当時海軍であった仁右衛門さんは、商売が苦手にがてで、海軍工場の経理の仕事を望んでいたが終戦を迎え、 仁右衛門島を継ぐことになった時。
なるべく近代化しないで、頼朝の頃からの自然を残すことで、自然を守ること。
島は一枚岩で、水はすべて雨水にたより、台風が来れば目と鼻の先の対岸へ渡し船を出すことができないため、平野家の子供たちは学校の皆勤賞がもらえない、、、、。
島主の大切な仕事は、毎日波を観察し、防波壁を越えてくる波も、波の腰を折り、うまく誘導する設計になっていると云う。
火防のために、常緑樹やアロエなどを増やし、燃えやすい茅かやなどを減らし、花好きの奥さんが島中に花を植える。
1704年に建て直した家屋に住み、建物を観光客にも公開していると云う。
三笠宮殿下・皇太子殿下・義宮常陸宮殿下の記念碑
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「弁天道」には、「富安風生句碑・岡本眸句碑・芭蕉塚・源講修歌碑・鈴木直砂女句碑・小林秀穂女句碑・水原秋桜子句碑・小出秋光句碑」
等が点在している。
一人¥1350(往復)
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「富安 風生」1885ー1979年
愛知県出身の俳人、本名は謙次。高浜虚子に師事。
逓信省に勤めながら 俳誌「若葉」を主宰。温和な作風で知られた。
初渚ふみ 齢を愛し けけ
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海暮れて 鴨の聲 ほの可尓白しー芭蕉句碑
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鈴木直砂女句碑
あるときは 船より高き 卯波かな
展望台・見晴らし台・舟の着船場・海水浴場・休憩場・全島釣り場である。
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「日蓮」開祖 1222-82 安房の生まれ、故郷の天津・摩尼山「清澄寺」で出家。鎌倉に出て「立正安国論」を書く。
日蓮と神楽岩ー聖人霊地
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「源頼朝」武家政治の創始者 1147-99
鎌倉幕府の初代将軍、源義朝の嫡男、母は、熱田大宮司藤原季範の娘。平清盛に敗れ、義朝は殺され・頼朝は伊豆に流された。
20余年流入生活。治承4年「以仁王」の令旨を受け挙兵するが、小田原早川石橋山の戦いで「大庭景親」に敗れ、房総に逃れ、ここで武士を集め
鎌倉に入る。次いで「富士川の戦い」で平家方を敗走させ、常陸の「佐竹氏」を討ち関東を固める。
頼朝は、少年時代の平治の乱後、一人で関ケ原をさまよっているところを捕えられたが、清盛の継母「池禅尼」は、我が子の「家盛」の生き写しの
頼朝を見て、清盛に命乞いをしている。
平家を滅ばした頼朝は、「池禅尼」の実子(清盛の異母弟)平頼盛の所領を安堵し、大納言に還任させ、禅尼の恩に報いたと云う。
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1180年、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、安房に流れて来た時、夜襲を避けて、身を潜めたと伝わる「洞窟」がここ、「正一位稲荷大明神」
が祀られている。上方には、維新前黒船渡来時、砲台を築いたところでもあり、弁財天・稲荷神社等江戸時代から祀られていると云う。
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水原秋桜子句碑 巌毎に 怒涛を あけぬ
春の虹立つや 雨雲ひくき 汐の列
冬凪きて 岩壁映ゆる 夕焼雲 など。
江見・太海地区は、観光と花畑の広がる海沿いの街と太海には、城西国際大学や早稲田大学もあり,近年は文教地域でもある。
磯釣りでも知られ、岩肌が険しく、亀岩から大小の岩が飛び石のように連なっている。
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次回は、鴨川市内へ。
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