多摩川流域の土地利用は、明治後期までは水田を主体とした農地利用がなされ、水田に付随して畑地がみられ、八王子・秋留の諸盆地では桑畑が分布
していた。それ以外の丘陵・山地等では樹林が卓越していた。
大正から昭和初期になると、下流部に市街地化が見られるようになったが、一方で、中流の山麓地帯では桑畑がかなりの広がりを見せ、
蚕製糸業の隆盛がうかがえるなど、流域の農業主体であった状況が現れている。
その後、経済の高度成長に伴う東京圏への人口、産業の集中と、多摩川下流域での京浜工業地帯の発展を受け、昭和30年頃になると下流域における
宅地化が急速に進行し、これが土地利用、特に農地の減少に明確に現れるようになった。
昭和40年代に入ってからは、宅地化の速度が一層速まるとともに、農地においても水田から畑地への転用が行われるなど、水田は流域全体で残り少ない状
況となっている。
現在では、多摩ニュータウンの開発により多摩地域の緑地のほとんどが失われ市街地化、多摩川の氾濫原であり、近年まで水田もしくは未利用地であった沿川の低地は、地域社会からの要請により本格的な堤防が築かれ、洪水被害が少なくなるとともに近年の都市化の波を受け、高密度利用地へと変化し、
明治期には、市街地がほとんどみられなかった多摩川沿川の中下流域は、現在ではもっとも都市化が進んだ地域となっており、ひとたび
水害を受けたときの被害は、明治期とは比較にならないほど莫大なものになると云う。
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「暴れ川・多摩川」ー1974年の大水害ー
堤防の復旧後、国は流失した住宅地を補修し、爆発時に生じた二次災害の補償は行ったものの、流失家屋などについては補償の対象とはならなかった。このため被災住民は、多摩川を管理する国に対し、国家賠償を求めて提訴する。
「狛江水害訴訟」は、1976年の昭和51年、から1992年の平成4年、までー16年間にわたって争われ、一審から差戻し控訴審まで計4回判決が出された。
最終的には、管理者が予見可能であったのに対策を講じなかった人災であるとし、国に5億9000万円余りの損害賠償を求める判決が確定した。
災害で家のほかにアルバムを失ったことがショックだったという被災住民の話から脚本家山田太一が、
「岸辺のアルバム」を新聞に連載し、昭和52年、にはテレビドラマ化された。ドラマの最終回は洪水によって家が流される報道映像で終る。
多摩川の破堤はこの1974年多摩川水害以降起こっていない。
現在、当時最初に決壊した堤防の跡には「多摩川決壊の碑」が建てられている。
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「狛江市」は、都中南部で、多摩川を挟んで川崎市と接する市。
市名は、高句麗から渡来した高麗人によって開発されたことに由来すると云う。
武蔵野台地南端に位置し、立川段丘崖が東西に走っている。台地上には、亀塚古墳等の縄文・弥生時代の遺跡が多い所、「狛江百塚」は狛江郷の中心であった。1597年、多摩・荏原両群の灌漑用の「六郷用水」開削されている。
昔から多摩川の洪水被害が多い所で、明治43年の洪水では、流路が大きく変わったと云う。
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多摩川を私鉄小田急線が登戸駅ー狛江駅間に陸橋がある。その先に東名高速道路(川崎IC-世田谷用賀)横切っている。
多摩川と並行して府中街道とJR南武線(立川ー川崎)。
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「タマゾン川」と呼ばれる川ー多摩川外来種汚染
飼育できなくなった熱帯魚やカメなどの外来種を多摩川に放流するために、いつしか多摩川は外来種の宝庫に。
今ではアマゾン川ならぬ「タマゾン川」と呼ばれるように。
観賞用やペットとして飼われていた外国産の生き物が、河川に放され、生態系を脅かしていると云う。
多摩川は、人口密集地の東京・神奈川を流れる都市河川であることから、違法投棄や違法放流が特に多く、いまでは200種類を超える外来種が
棲み付いているという。エンゼルフィッシュやグッピーなどのかわいい熱帯魚から、ピラニアやガーパイクなどの獰猛な熱帯魚、さらには肉食系の
外来種のカメなど・・・。
「まるでアマゾン川のようだ」ということで、誰が名づけたか、今では多摩川のことを「タマゾン川(多摩ゾン川)」と呼ぶ。
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「秋の七草」は、絶滅危惧種と云う。
我が国が古くからなじみ親しんできた秋の七草が東京では絶滅危惧種に指定された。
1-オミナエシ・2-カワラナデシコ・3-ハギ・4-キキョウ・5-フジバカマ・6-ススキ・7-クズ。
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海から25km
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「多摩川と鳥達」
日本列島は東西に長く、海あり湖あり、川あり平地から高い山と変化にとんでいる。
多摩川水域は、これらの条件をすべて持った特有の生態系がある場所で、河口には数少ない干潟が残り、都市部や昔から人の住む町を流れる
多摩川には近くに歴史のある神社・仏閣も存在し、時代の当主が守ってきた山や森には巨木や自然林も多く、都市河川でありながら多様な
条件のある多摩川水系と云う。
鳥たちが安心して子育て、越冬、休養できる多摩川に。
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旅鳥と呼ばれるシギやチドリの仲間は遠く厳冬のカラフトから暖かいオーストラリアやニュージーランドの国まで移動する途中に、多摩川の河口
干潟に立ち寄り、身体を休めたくさんの食べ物を食し、移動する。
移動する距離はなんと2万kmにもおよぶ鳥達も。
また、漂鳥や留鳥も長い距離ではなおが、北海道から本州へ、低地から高地へと季節で子育てしやすい場所へ移動すり鳥達も。
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「六郷川水取り入れ口」
世田谷領と六郷領、狛江市から世田谷区を通り大田区に至る用水路。
延長は23kmで、49の村、約1500haに、主に農業用水として水を供給した。
多摩川の対岸の川崎市を流れる二ヶ領用水・合わせて四ヶ領用水とも呼ばれる。
1597年からの14年かけて用水が開削され、開通後100年を経過したころ荒廃したが、1725年に代官田中丘隅(休愚)の手により改修された。
この改修は、二ヶ領用水と並行して行われた。この改修後、世田谷領でも六郷用水が利用できるようになったと云う。
廃止されたのは1945年である。宅地化が進み、大半は1970年代までに埋め立てられたか雨水用の下水道となっている。
流路の大半が失われたため「幻の六郷用水」と呼ぶ。
世田谷区喜多見では、同じ場所に野川からの取水により次大夫堀が再現されて次大夫堀公園となっている。
大田区内では、中原街道から東の東急多摩川線の多摩川駅~鵜の木駅付近に湧水を使って用水路が再現され、残りは歩道に。
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「多摩川台公園」
公園は多摩川に沿って伸びる丘陵地に約750m・ 面積は、66,661㎡と広大なうえ、自然林の道、古墳、展望台、水生植物園、四季の野草園、あじさい園、山野草のみち、ふたつの広場など見所ある公園。
「亀甲山古墳、宝莱山古墳」をはじめとする多摩川古墳群の散策や、桜ー約300本・あじさいの6月始めに紫陽花祭りを開催すると云う。
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公園から、富士山が正面に。
亀甲山古墳の西側にある広場 で、一角に四阿があって展望台があり、多摩川の眺望がよいと云う。
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この辺り、海から24kmの多摩川
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「昔懐かしや二子玉川遊園地」
戦前、親に連れられ遊んだ遊園地は、今、無くなったと云う。
行政上は、二子玉川という町は存在しない。
多摩川が東京湾にそそぐ河口(羽田)から23km上流の多摩川左岸南の多摩川と北の国分寺崖線というゆるやかな丘陵・河岸段丘に挟まれた
東西に細長い地域を云う。
今は、玉川高島屋・ 二子玉川ライズを始めとする大型商業施設のある「二子玉川駅」を中心に、
銀座、横浜、自由ヶ丘、名古屋、神戸と並んで女性ファッションの発信地として有名な町と云う。
池上線が横切っている。
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「多摩川水道橋」
津久井往還の多摩川を渡る渡し場で古くはここも大山道の一つ。
渡船場は、古地図から推定すると小田急線の鉄橋付近にあったものと思われている。
「多摩川水道橋」の、都側の所には橋碑がありかつてここに「登戸の渡し」が有った事が記されている。
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「多摩川の渡し」
「登戸の渡し」 「宇奈根の渡し」 「二子の渡し」 「等々力の渡し」 「宮内の渡し」 「丸子の渡し」等があったと云う。
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元気に河川敷で遊ぶ子供達
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していた。それ以外の丘陵・山地等では樹林が卓越していた。
大正から昭和初期になると、下流部に市街地化が見られるようになったが、一方で、中流の山麓地帯では桑畑がかなりの広がりを見せ、
蚕製糸業の隆盛がうかがえるなど、流域の農業主体であった状況が現れている。
その後、経済の高度成長に伴う東京圏への人口、産業の集中と、多摩川下流域での京浜工業地帯の発展を受け、昭和30年頃になると下流域における
宅地化が急速に進行し、これが土地利用、特に農地の減少に明確に現れるようになった。
昭和40年代に入ってからは、宅地化の速度が一層速まるとともに、農地においても水田から畑地への転用が行われるなど、水田は流域全体で残り少ない状
況となっている。
現在では、多摩ニュータウンの開発により多摩地域の緑地のほとんどが失われ市街地化、多摩川の氾濫原であり、近年まで水田もしくは未利用地であった沿川の低地は、地域社会からの要請により本格的な堤防が築かれ、洪水被害が少なくなるとともに近年の都市化の波を受け、高密度利用地へと変化し、
明治期には、市街地がほとんどみられなかった多摩川沿川の中下流域は、現在ではもっとも都市化が進んだ地域となっており、ひとたび
水害を受けたときの被害は、明治期とは比較にならないほど莫大なものになると云う。
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「暴れ川・多摩川」ー1974年の大水害ー
堤防の復旧後、国は流失した住宅地を補修し、爆発時に生じた二次災害の補償は行ったものの、流失家屋などについては補償の対象とはならなかった。このため被災住民は、多摩川を管理する国に対し、国家賠償を求めて提訴する。
「狛江水害訴訟」は、1976年の昭和51年、から1992年の平成4年、までー16年間にわたって争われ、一審から差戻し控訴審まで計4回判決が出された。
最終的には、管理者が予見可能であったのに対策を講じなかった人災であるとし、国に5億9000万円余りの損害賠償を求める判決が確定した。
災害で家のほかにアルバムを失ったことがショックだったという被災住民の話から脚本家山田太一が、
「岸辺のアルバム」を新聞に連載し、昭和52年、にはテレビドラマ化された。ドラマの最終回は洪水によって家が流される報道映像で終る。
多摩川の破堤はこの1974年多摩川水害以降起こっていない。
現在、当時最初に決壊した堤防の跡には「多摩川決壊の碑」が建てられている。
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「狛江市」は、都中南部で、多摩川を挟んで川崎市と接する市。
市名は、高句麗から渡来した高麗人によって開発されたことに由来すると云う。
武蔵野台地南端に位置し、立川段丘崖が東西に走っている。台地上には、亀塚古墳等の縄文・弥生時代の遺跡が多い所、「狛江百塚」は狛江郷の中心であった。1597年、多摩・荏原両群の灌漑用の「六郷用水」開削されている。
昔から多摩川の洪水被害が多い所で、明治43年の洪水では、流路が大きく変わったと云う。
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多摩川を私鉄小田急線が登戸駅ー狛江駅間に陸橋がある。その先に東名高速道路(川崎IC-世田谷用賀)横切っている。
多摩川と並行して府中街道とJR南武線(立川ー川崎)。
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「タマゾン川」と呼ばれる川ー多摩川外来種汚染
飼育できなくなった熱帯魚やカメなどの外来種を多摩川に放流するために、いつしか多摩川は外来種の宝庫に。
今ではアマゾン川ならぬ「タマゾン川」と呼ばれるように。
観賞用やペットとして飼われていた外国産の生き物が、河川に放され、生態系を脅かしていると云う。
多摩川は、人口密集地の東京・神奈川を流れる都市河川であることから、違法投棄や違法放流が特に多く、いまでは200種類を超える外来種が
棲み付いているという。エンゼルフィッシュやグッピーなどのかわいい熱帯魚から、ピラニアやガーパイクなどの獰猛な熱帯魚、さらには肉食系の
外来種のカメなど・・・。
「まるでアマゾン川のようだ」ということで、誰が名づけたか、今では多摩川のことを「タマゾン川(多摩ゾン川)」と呼ぶ。
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「秋の七草」は、絶滅危惧種と云う。
我が国が古くからなじみ親しんできた秋の七草が東京では絶滅危惧種に指定された。
1-オミナエシ・2-カワラナデシコ・3-ハギ・4-キキョウ・5-フジバカマ・6-ススキ・7-クズ。
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海から25km
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「多摩川と鳥達」
日本列島は東西に長く、海あり湖あり、川あり平地から高い山と変化にとんでいる。
多摩川水域は、これらの条件をすべて持った特有の生態系がある場所で、河口には数少ない干潟が残り、都市部や昔から人の住む町を流れる
多摩川には近くに歴史のある神社・仏閣も存在し、時代の当主が守ってきた山や森には巨木や自然林も多く、都市河川でありながら多様な
条件のある多摩川水系と云う。
鳥たちが安心して子育て、越冬、休養できる多摩川に。
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旅鳥と呼ばれるシギやチドリの仲間は遠く厳冬のカラフトから暖かいオーストラリアやニュージーランドの国まで移動する途中に、多摩川の河口
干潟に立ち寄り、身体を休めたくさんの食べ物を食し、移動する。
移動する距離はなんと2万kmにもおよぶ鳥達も。
また、漂鳥や留鳥も長い距離ではなおが、北海道から本州へ、低地から高地へと季節で子育てしやすい場所へ移動すり鳥達も。
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「六郷川水取り入れ口」
世田谷領と六郷領、狛江市から世田谷区を通り大田区に至る用水路。
延長は23kmで、49の村、約1500haに、主に農業用水として水を供給した。
多摩川の対岸の川崎市を流れる二ヶ領用水・合わせて四ヶ領用水とも呼ばれる。
1597年からの14年かけて用水が開削され、開通後100年を経過したころ荒廃したが、1725年に代官田中丘隅(休愚)の手により改修された。
この改修は、二ヶ領用水と並行して行われた。この改修後、世田谷領でも六郷用水が利用できるようになったと云う。
廃止されたのは1945年である。宅地化が進み、大半は1970年代までに埋め立てられたか雨水用の下水道となっている。
流路の大半が失われたため「幻の六郷用水」と呼ぶ。
世田谷区喜多見では、同じ場所に野川からの取水により次大夫堀が再現されて次大夫堀公園となっている。
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「多摩川台公園」
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「昔懐かしや二子玉川遊園地」
戦前、親に連れられ遊んだ遊園地は、今、無くなったと云う。
行政上は、二子玉川という町は存在しない。
多摩川が東京湾にそそぐ河口(羽田)から23km上流の多摩川左岸南の多摩川と北の国分寺崖線というゆるやかな丘陵・河岸段丘に挟まれた
東西に細長い地域を云う。
今は、玉川高島屋・ 二子玉川ライズを始めとする大型商業施設のある「二子玉川駅」を中心に、
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「多摩川水道橋」
津久井往還の多摩川を渡る渡し場で古くはここも大山道の一つ。
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「多摩川水道橋」の、都側の所には橋碑がありかつてここに「登戸の渡し」が有った事が記されている。
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「多摩川の渡し」
「登戸の渡し」 「宇奈根の渡し」 「二子の渡し」 「等々力の渡し」 「宮内の渡し」 「丸子の渡し」等があったと云う。
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元気に河川敷で遊ぶ子供達
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