江戸との交流によって、文人墨客達が「佐原の街に滞在」。
「伊能忠敬」 1745-1818 50歳で隠居し、天文学者高橋至時の門下となり「測量術」を習得、17年かけて全国測量を行う。
「大日本沿岸輿地全図」編纂する。
「山県大弐」 1725-67 尊王思想の先駆けとなった浪士で、甲府の与力の子として生まれている。27歳で浪人、儒学・兵学を講じて門弟を集め
「柳子新論」を書いて、尊王大義を説いた。幕府謀反の嫌疑を受け捕縛され、処刑された。吉田松陰らに影響を与えた。
「小林一茶」 1773-1827 俳諧師・俳人、信濃国の農民の子、15歳で江戸に出って奉公人に、「我と来て 遊べや 親の無い雀」8歳児の句
父死後、継母らと12年間遺産相続で争う。最後は大火で家を失いその土蔵で死の床に。
「松尾芭蕉」 1644-94 旅の俳諧師・俳人 伊賀国上野城下町で生まれる。23歳で俳諧師の道に、自立し「奥の細道」の旅に出る。
最後の句「旅に病んで 夢は枯野を かけ回る」大阪で客死した。
「渡辺崋山」 1793-1841 江戸後期の武士・画家、三河国田原藩士、後家老、蘭学に親しみ、「谷文晁」に画の才能を引き出される。また、朱子学
を学んでいる。昌平坂学問所にも通い「佐藤一斉」の指導を受けている。
(谷文晁 1763-1840 老中の武士・絵師・狩野派の画法を学ぶ・後半生は衰退期と酷評されている。)
「勝海舟」 1823-99 幕臣 本所生まれ、神戸海軍操練所長し徳川家存続に尽力、江戸無血開城した。
「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」 忠敬没後3年目の画像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/e3/d6e2ef9a3fc25960a54276838076547b.jpg)
行動・功績は、異能の地理学者か地図学者の大先達。
伊能忠敬像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e4/675e6656b956b2471b465a46c9949106.jpg)
7歳で母に死なれた忠敬は、養子だった父は、実家に戻ると、一人残されて苦労したと云う。1762年18歳で佐原の伊能家の婿養子に入る。
街の中心的忠敬橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/e8/bd0d5ff663e6209709e1907415f923ba.jpg)
伊能家は、米問屋・酒造・運送などを営む旧家であったが、「天明の飢饉」・凶作で、自家の米・金を供出し、家運は不幸続きであったと云う。
忠敬の勤勉な努力で実り、盛り返し、栄えたと云う。
小野川・忠敬橋中心にした街並み地図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/12/51d43cb96c80dde812b4978e1a279667.jpg)
忠敬出生地は、県九十九里小関・海岸から3km入った農村、徳富蘇峰筆の碑が立っている。
小野川沿いの柳が年々大きく成長
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/64/147e0707cf087df45f99692c3922817d.jpg)
「一身にして二生を経る」50歳を境に全く異なった分野で活躍を。
二人分の人生を送っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/94/dbad42d7758d70fee29f9f47b3788762.jpg)
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史跡ー旧宅と店舗
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/95/34b4b7b614689c581a41c504bbc062e7.jpg)
昔ながらの宿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/c3/9909546f8b30e1b07a361ae19c0b5159.jpg)
忠敬の天文学的測量についての勉強は、家督を長男に譲り隠居し、江戸に出て「幕府天文方、高橋至時」の弟子になってからのものである。
高橋至時32歳・忠敬51歳である。
旧宅の土間
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/08/4510cb0f3bad1154a32591944ba471dd.jpg)
座敷
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/10/11c80f48cf35d770b213277429af6309.jpg)
車の回転数から距離を算定する「量程車」が用いられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/3e/6fd62f7b59fbea6955ff06c1300de8b5.jpg)
旅行日数、17年間・3700日を超え・距離約4万3000km・自費半分以上補足している。
山の頂上を基点
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忠敬死後3年目にして「大日本沿岸輿地全図」は完成した。
明治以降も活用された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/9c/3b1936c72ab4f33e9b6bdbec1d99df89.jpg)
「伊能忠敬」 1745-1818 50歳で隠居し、天文学者高橋至時の門下となり「測量術」を習得、17年かけて全国測量を行う。
「大日本沿岸輿地全図」編纂する。
「山県大弐」 1725-67 尊王思想の先駆けとなった浪士で、甲府の与力の子として生まれている。27歳で浪人、儒学・兵学を講じて門弟を集め
「柳子新論」を書いて、尊王大義を説いた。幕府謀反の嫌疑を受け捕縛され、処刑された。吉田松陰らに影響を与えた。
「小林一茶」 1773-1827 俳諧師・俳人、信濃国の農民の子、15歳で江戸に出って奉公人に、「我と来て 遊べや 親の無い雀」8歳児の句
父死後、継母らと12年間遺産相続で争う。最後は大火で家を失いその土蔵で死の床に。
「松尾芭蕉」 1644-94 旅の俳諧師・俳人 伊賀国上野城下町で生まれる。23歳で俳諧師の道に、自立し「奥の細道」の旅に出る。
最後の句「旅に病んで 夢は枯野を かけ回る」大阪で客死した。
「渡辺崋山」 1793-1841 江戸後期の武士・画家、三河国田原藩士、後家老、蘭学に親しみ、「谷文晁」に画の才能を引き出される。また、朱子学
を学んでいる。昌平坂学問所にも通い「佐藤一斉」の指導を受けている。
(谷文晁 1763-1840 老中の武士・絵師・狩野派の画法を学ぶ・後半生は衰退期と酷評されている。)
「勝海舟」 1823-99 幕臣 本所生まれ、神戸海軍操練所長し徳川家存続に尽力、江戸無血開城した。
「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」 忠敬没後3年目の画像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/e3/d6e2ef9a3fc25960a54276838076547b.jpg)
行動・功績は、異能の地理学者か地図学者の大先達。
伊能忠敬像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e4/675e6656b956b2471b465a46c9949106.jpg)
7歳で母に死なれた忠敬は、養子だった父は、実家に戻ると、一人残されて苦労したと云う。1762年18歳で佐原の伊能家の婿養子に入る。
街の中心的忠敬橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/e8/bd0d5ff663e6209709e1907415f923ba.jpg)
伊能家は、米問屋・酒造・運送などを営む旧家であったが、「天明の飢饉」・凶作で、自家の米・金を供出し、家運は不幸続きであったと云う。
忠敬の勤勉な努力で実り、盛り返し、栄えたと云う。
小野川・忠敬橋中心にした街並み地図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/12/51d43cb96c80dde812b4978e1a279667.jpg)
忠敬出生地は、県九十九里小関・海岸から3km入った農村、徳富蘇峰筆の碑が立っている。
小野川沿いの柳が年々大きく成長
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/64/147e0707cf087df45f99692c3922817d.jpg)
「一身にして二生を経る」50歳を境に全く異なった分野で活躍を。
二人分の人生を送っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/94/dbad42d7758d70fee29f9f47b3788762.jpg)
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史跡ー旧宅と店舗
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/95/34b4b7b614689c581a41c504bbc062e7.jpg)
昔ながらの宿
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忠敬の天文学的測量についての勉強は、家督を長男に譲り隠居し、江戸に出て「幕府天文方、高橋至時」の弟子になってからのものである。
高橋至時32歳・忠敬51歳である。
旧宅の土間
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/08/4510cb0f3bad1154a32591944ba471dd.jpg)
座敷
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/10/11c80f48cf35d770b213277429af6309.jpg)
車の回転数から距離を算定する「量程車」が用いられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/3e/6fd62f7b59fbea6955ff06c1300de8b5.jpg)
旅行日数、17年間・3700日を超え・距離約4万3000km・自費半分以上補足している。
山の頂上を基点
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ce/9070c552bd6d1f2237770cf6e6af823b.jpg)
忠敬死後3年目にして「大日本沿岸輿地全図」は完成した。
明治以降も活用された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/9c/3b1936c72ab4f33e9b6bdbec1d99df89.jpg)
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