syuの日記・気まま旅

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墨堤・隅田川 2019年(平成31年)3月上旬撮影

2019-04-10 | 季節だより
京成曳舟駅ー東武東向島駅から隅田川に架かる「白髭橋」へと横切るのが明治通り・竪に国道水戸街道と隅田川に沿って墨堤通りに出た。
百花園前を墨堤通りに向かうと、角に「法泉寺・白髭神社」がある。

北斎は、「絵本隅田川両岸一覧」で「白鬚の翟松 今戸の夕烟」を描きました。浅草の今戸の対岸から白鬚神社を描いている。
「総本社・白鬚神社」は、新羅からの渡来人に由来するとの説がある。
総本社・白鬚神社は、天武天皇から比良明神の号を賜ったとも伝えられ、「比良」は、新羅の「しら」に通じて、「鬚」は、食を意味する。
「け」の霊「ひ」、つまり「けひ」に通じ、両々相まって、新羅からの渡来人が住み着いた場所で食の神を祀った場所だったという。
総本社の所在地滋賀県高島市は、古来加羅や新羅の渡来文化や渡来人の足跡が濃厚にみられる土地。
ここ「白髭神社」は、葛西川村の鎮守社として、1682年、「庄屋鹿倉吉兵衛、関口一郎」の両名が幕府の許しを受けて現在地に社地を定めたことに始まると言われている。
鳥居は、1780年、と刻まれた花崗岩製の明神型鳥居。
これは、墨田区内では、1764年製の三囲神社の鳥居に次いで古いものと云う。

              隅田川七福神 寿老神  白髭神社


                      鳥居


                      富士講


「子育地蔵堂」
隅田川の自然堤防沿いに桜の木が植えられたのは、1661〜73年。
徳川将軍家の休憩所であった隅田川御殿(現堤通2丁目、都立東白鬚公園辺り)から白鬚神社の北側辺りまで。
江戸時代中期には八代将軍徳川吉宗が護岸強化と憩いの場づくりのために堤と並木の南端を言問橋の架かる辺り(現向島2丁目、言問通り)まで延ばして人々に地固めをさせた。
以来、堤は多くの江戸市民でにぎわう花見の名所、憩いの場所へとなっていき、道幅は広く、道の両側には、見事な桜の並木が続いていたと云う。
白鬚神社脇から子育地蔵堂へと続く湾曲した道は、今は姿を消し、旧墨堤の名残りが子の地蔵堂。
春は花見、正月は七福神めぐりの人々で、特ににぎわいました。
関東大震災や東京大空襲などの復興事業を契機に墨堤通りは湾曲した道から直線道路へ、土の道から舗装道路へと整備された。





                      子育地蔵堂の石塔


「大倉喜八郎」 1837ー1928  (90歳) 明治・大正期
貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品などの企業を数多く興した日本の実業家、中堅財閥である大倉財閥の設立者。
渋沢栄一らと共に、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立。



                  喜八郎の別邸 現在倉庫に


吉原・玉乃井・鳩の街を題材に

「永井荷風」 1879-1959 東京生まれ、東京外国語学校で学び、歌舞伎座付作業見習い、新聞記者・・父と不興を買いアメリカ・フランスへ
帰国後「アメリカ物語」発表、慶応大学「三田文学」主宰・中途半端欧米を嫌い江戸・東京情緒の美を求めた。
渡航前は広津柳浪に師事し小説を書く「闇の叫び・夢の女ー墨東奇譚・断腸亭日乗(重要資料に)」1952年文化勲章受章。   

「濹東綺譚」
私娼窟・玉の井を舞台に、小説家・ 大江匡と娼婦・お雪との出会いと別れを、季節の移り変わりとともに美しくも哀れ深く描いている。
荷風の日記「断腸亭日乗」には荷風の玉の井通いの様子が書かれており、 主人公の大江は作者の分身と考えられる。
荷風の小説中、最高傑作ともされ、1960年・ 1992年・2010年に映画化された。
「鳩の街」は、ここ、現在の都墨田区向島の赤線地帯。
地理的に「玉の井」と近く、1kmほどの距離で、太平洋戦争末期に、東京大空襲で玉の井を焼け出された業者が何軒か、この地で開業したのが始まりという。




「津村節子」 昭和3年生まれ 福井出身 「玩具」で芥川賞受賞
石と蝶ー「その日、東京は戦時警備令が布かれたとかで、さすがに水月楼は客がなかった。
見世の若い衆が雪の中を様子を見に出かけて行っが、三宅坂から虎の門、赤坂、桜田門の周辺には、武装した兵隊たちが機関銃のバリケードを築きも叛乱軍は首相官邸や国会議事堂や警視庁を占領しているらしい、と興奮して報告した。
「えらいことになったぞ。このぶんじゃ、東京のまん真ん中で、戦争がおっぱじまるかも知れねぇ」
「日本人と日本人が殺し合うなんて、こりゃ戦国時代ですね」
「あたしたちの商売はどうなるんでしょうね」
「まあ、どんな時代になっても、この稼業だけは男がいる限りお客はあるさ」
 しかし、景気づけに大きな笑い声をたてた人々の顔は、一様に暗かった。」・・・ 貧困のために遊女とされた少女が身請けされて、「普通の社会」へ戻っていくとき、 二・二六事件が起こっていた。 一人の少女、遊女の半生を、時代のなか位置付け、日本近代史を描いた作品。






                    現在の「鳩の街商店街」



                   隅田川 桜橋・言問橋付近の地図



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