syuの日記・気まま旅

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男鹿半島 なまはげ伝説

2013-12-20 | 気まま旅

なまはげ問答
先立ーお晩です。「ナマハゲ」来す。           先立・主人ーおめでとうございます。
主人ー寒びどこ良く来てけだすな。            先立ー山から来るに容易でねがったす。
        ナマハゲーウオー、(玄関で7回シコを踏む)
             泣ぐ子はいねが、怠け者はいねが
             言うごど聞がね子どらいねが、親の面倒みない悪りい嫁いねが、ウオー(家中探し回る)
主人ーナマハゲさん、まんず座って酒っこ飲んでくなんしぇ(ナマハゲ5回シコを踏んで座る)
主人・ナマハゲーおめでとうございます。         主人ーなんと、深け雪の中、容易でねがったすべ。今年も来てけでえがったすな
ナマハゲー親父、今年の作なんとであった。        主人ーお蔭でいい作であったすでば。
ナマハゲーんだか、まだいい作なるよう拝んでいくがらな。子供らみんなまじめに勉強しているが。
主人ーおらいの子どら、まじめで、親の云うごどよく聞ぐいい子だから。
ナマハゲーどら・どら、本当だが、ナマハゲの台帳見てみるが、、、、、何々テレビばり、見で何も勉強さねし、手伝いもさねて書いて
     あるど。親父、子どら言うごと聞がねがったら、手ッコ三つただげ、へば、いつでもやまがら降りてくるがらな、

     どうもうひとげり探してみるが、(ナマハゲ御膳を離れ3回シコを踏む)、、家中探し回る、ウオー・ウオー・ウオー
主人ーナマハゲさん、まんず、この餅こで御免してくなんしぇ。
ナマハゲ―親父、子どらのしづけがりっとして、え(家)の者皆まめでれよ。らいねんまだくるがらなー。(伝承館・パンフレットより)

「真山」中世には修験僧の修業場として山岳信仰の盛んな場所となり、現在でも男鹿半島には「 赤神神社五社堂」や「真山神社」、「万体仏」などの遺構数多く残っている。
戦国時代、安東氏が男鹿半島周辺を支配下とし、全国的にみても大規模な山城を構えている。標高567m


「伝承館」ナマハゲ習俗学習講座が毎日行われている。
ナマハゲ行事は、毎年、大晦日の晩に、半島のほぼ全域で行われ、「ナマハゲ」の語源「ナモミを剥ぐ」がなまったものと云う。
「ナモミ」とは、囲炉裏にかじりついていると手足にできる火型のこと。
それをはぎ取り、怠惰をいましめるのが「ナマハゲ」であると云う。
ナマハゲ類似の習俗は、全国各地にみられるが、男鹿の「ナマハゲ」は、真山・本山に鎮座する神々の化身と信じられている。
災禍を祓い、豊作・豊漁・古事をもたらす来訪神として各家では、丁重に迎えもてなす。
真山の「ナマハゲ」は、古い伝統としきたりを厳粛に受け継いでいる。

伝承館では、ナマハゲ習俗体験ができ、昭和53年に国の重要無形民俗文化財に指定。受講料は、¥700、
ナマハゲの全国大会、資格試験もあると云う。



初めてのナマハゲ体験、土間と座敷と囲炉裏の民家、畳の部屋で待つこと5分、急に襖を思いっきり開き、角の無い「ナマハゲ」が登場
「泣く子は、いねが~」と探し回る。主人が、酒と食事で招く、主人とナマハゲの会話で笑いが出る。
楽しく体験できた。おススメ。

伝承館の隣が「ナマハゲ館」男鹿の風土を体感し、ナマハゲを生み、育み、伝承してきた男鹿特有の風土を紹介していた。


なまはげ勢ぞろい、多様な姿が浮き彫りに、男鹿市内各地で実際に使われていた110体&40枚(計150枚)の多種多様なナマハゲ面が勢ぞろい。

来訪神ナマハゲが一堂に、           迫力ある。
  

ホールでは、真実のナマハゲを伝えてくれる。男鹿に生き続けるなまはげ行事の姿や、しきたり、伝承する人の精神を描き、スクリーンで男鹿の大晦日のナマハゲ習俗を紹介の映画を30分おきに上映していた。

ナマハゲ伝説の地


ナマハゲの面・衣裳などが展示されナマハゲの歴史が。



庭園には、池や紅葉樹が。
なまはげは古くから幼児の教育、集落の助け合いの手段として用いられたと考えられ、民間伝承なので、正確な発祥などははっきりと分かっていません。そんな謎多きなまはげについて「なまはげ館」では「なぜこの地域になまはげ風習が芽生え根付いたのか」映像・パネル・展示紹介

なまはげ館は、入館料¥500、伝承館との共通入館料¥800。


「男鹿温泉郷」
806ー810年 征夷大将軍・坂上田村麻呂の東征の折り発見されたと言う伝承の湯。
中世以降となると、秋田の殿様・佐竹藩主や日本の民俗学の祖・菅江真澄(文化7年)なども入浴した歴史と効能を兼ね備えた温泉、
江戸時代より主に湯治場として栄え、明治から昭和にかけては、子宝の湯としての評判になった。

今は、10軒近いホテル・旅館を中心に多くのお店が並び、男鹿を代表する宿泊地、秋田の奥座敷として親しまれている。


「ホッキョクグマ(クルミ・ミルク)男鹿水族館」戸賀塩浜にある。入場料 1000円

2004年開館した日本海を臨む水族館。
男鹿水族館の愛称「GAO」は、「Globe(地球)」、「Aqua(水)」、「Ocean(大海)」の頭文字を並べたもので、観光バスは、通過のみ。

岩場の浜と海の境に「金ヶ崎温泉露天風呂跡」がある。ここも通過。

このコースがなぎさ、つばきコースもある(男鹿温泉8時半ー入道崎―水族館ー西海岸秋田駅12時)¥2800.両コース¥5300
  

バスは、海岸沿いの県道59号で秋田市を目指していた。男鹿半島の西海岸沿いを走る県道59号は断崖絶壁の中を走る道。
この日は傾きかけた太陽が日本海に映り、とてもきれいだった。写真がイマイチうまく撮れないのはガラス越しの為。

カンカネ洞ー白糸の滝ー大桟橋ー孔雀の窟ーゴジラ岩とバスから見てきた。大棧橋は、自然の大橋。男鹿を代表する奇岩怪石 海上にかかる天然の石橋 西海岸を代表する景勝地となっているという。


水族館(つばきコースは、見学すると云う)
  

「帆掛島」は、南磯を代表する奇岩怪石 その姿はまるで船が帆を揚げているかのよう 。

「ゴジラ岩」は、観光ポスターでお馴染みの陽に向かってギャオー 潮瀬崎と呼ばれる岩礁地帯にゴジラ岩は、構えています。
ゴジラ。海に向かって。

孔雀の窟                  西海岸                       ゴジラ岩
    

「八郎太郎(八郎潟)と十和田湖誕生の伝説」

鹿角郡の草木村(現・秋田県鹿角市十和田大湯草木地区)に八郎太郎という名の若者が暮らしていた。
八郎太郎は、村の娘と旅の男との間の息子で、父親は寒風山で竜に姿を変えて消えたと言われており、母親は難産で死んでいたので祖父母に育てられ、マタギをして生活していた。
しかしある日仲間の掟を破り、仲間の分のイワナまで自分一人で食べてしまったところ、急に喉が渇き始め、33夜も川の水を飲み続け、いつしか33尺の竜へと変化していった。
自分の身に起こった報いを知った八郎太郎は、十和田山頂に湖を作り、そこの主として住むようになった。この湖が十和田湖である。

「三湖伝説は、八郎潟・十和田湖に、田沢湖を指している」

車中から                                  帆掛島
  

「展望タワー セリオン」
全高143m、展望室の高さは100m。6,272枚の強化ガラスで囲まれたガラスタワー。日本海や寒風山をはじめとする男鹿半島の山並みのほか、秋田市街や太平山、鳥海の山々を望む事ができる観光スポットである。
日本海に沈む夕日も一望できる。
夜間はイルミネーションが点灯される。イルミネーションの色は時々変更される。
1・2階は、店舗・ホール、エレベーターで昇って高層階は5階が展望室、4階がスカイラウンジ、3階がギャラリー。

観光バスは、すでに18時を過ぎていた。
    


次回は、角舘武家屋敷町へ。

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