館山海軍航空隊・赤山(地下壕跡)
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房総半島南部の丘陵に。
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平成16年4月1日より、館山海軍航空隊赤山地下壕跡(通称:赤山地下壕)の一部が公開されました。
赤山地下壕は、合計した長さが約1.6kmと、全国的にみても大きな壕で、館山市を代表する戦争遺跡のひとつ。
昭和10年代のはじめに、ひそかに建設がはじまったという証言もありますが、今のところ赤山地下壕に関する資料が、ほとんど確認されていないため、つくられた時期は、はっきりしていない。
このような大きな地下壕が,1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦の前につくられた例はなく、当時の軍部が本格的に防空壕をつくりはじめたのは、1942(昭和17)年より後であることを、他地域の壕から知ることができます。
また、全国各地につくられた大きな地下壕の壕と壕の間の長さは、一般的には10~20m以上であるとされていますが、この赤山地下壕は5~10mと狭いうえ、計画的に掘られたとは考えにくく、そのつくりから見て、終戦がさし迫った1944(昭和19)年より後に建設されたのではないかと考えられています。
アメリカ軍の空襲が激しくなった太平洋戦争の終りの頃、この赤山地下壕が、館山海軍航空隊の防空壕として使われていたことは、壕内にある発電所跡や、終戦間際に、この壕の中で実際に館山海軍航空隊の事務をおこなったという体験や、病院の施設があったなどの証言からうかがい知ることができます
館山航空基地のすぐ近くにあり、懐中電灯、ヘルメットをもち地下壕に入りました。
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「館山海軍航空隊」
館山湾に突き出した海上自衛隊館山基地。
千葉、木更津方面からは内房なぎさラインを南に下り、宮城という交差点で突き当たった海上自衛隊館山基地のなかにかつての本部の建物が残っている。かつては、滑走路などや兵舎もあったと云う。
南側の頼忠山(通称「赤山」)には関連施設として赤山地下壕が現存し、また付近に掩体壕が一基残る。
館山湾の鷹ノ島から当時の海岸線まで、関東大震災によって隆起した浅瀬を空母に似せて方形に埋め立て、館山空は設置され、北西には沖ノ島があるが、これも砂州でつながっており、沖ノ島のなかにも壕などもあると云う。
鷹ノ島は、国土地理院の地図に書かれているように「高ノ島」ともいい、そこには鷹之島弁財天があるが、古く平安時代に祀られたと伝えられ、近隣の漁師や船乗りたちの信仰を集めてきた。
鷹ノ島には、明治42年、農商務省水産講習所館山実習所高の島実験場(農商務省水産講習所・明治30年)に設置。
東京水産大学、現在は商船大と統合し東京海洋大学の実験場が設けられ、海産生物の調査研究が。
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