syuの日記・気まま旅

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横浜中華街 旧正月春節祭

2015-03-18 | 気まま旅
「13号線副都心線」
埼玉県和光市の和光市駅から渋谷駅を結ぶ東京地下鉄(東京メトロ)の鉄道路線。
和光市駅 - 小竹向原駅間は有楽町線と線路・駅・施設を共用し、小竹向原駅 - 池袋駅間は同線との複々線区間として並走し、池袋・新宿・渋谷の三大副都心を縦断する路線。
本路線を含めた鉄道5事業者(東武・西武・東京地下鉄・東急・横浜高速鉄道)による相互直通運転が行われ、埼玉県北西部「川越市・飯能市・所沢市」方面から神奈川県横浜市・中華街までの広域鉄道網を形成、便利になった。

新宿3丁目から渋谷経由~横浜みなとみらい(約1時間弱)。



我が国最大の貿易港「横浜港」で、近くは京浜工業都市の中核をなしている。だが、かって海を横切るように突き出た細長い砂浜だった。
海を横切る浜「横浜」と地形説と701年大宝律令で、50戸を「里」とされ、それにも満たない場合は、村落制度の単位が転嫁しと云う説がある。
1192年源頼朝が鎌倉に幕府を開いた頃は、砂洲上の寒村に過ぎなかったと云う。
開発がされ出したのは、執権補佐であった「北条実時」が、金沢に「称名寺」を建立(1260年)し、文庫を開設し、学問を奨励した。
足利学校・金沢文庫が中世の二大文教都市となった。

    

「日本大通り」
かつての久良岐郡横浜村の一部に当たる。
1859年、の横浜港開港の際に外国人居留地となったが、当初は町名が設けられなかったと云う。
1870年(明治3年)に横浜公園と象の鼻波止場を結ぶ街路が完成、この通りは1875年に「日本大通り」と名付けられる。
1879年(明治12年)に外国人居留地に町名が設けられ、当地は通りの名をとって「日本大通」と名付けられた。
1900年(明治33年)に山下町に統合され、山下町字日本大通となったが、
1928年(昭和3年)9月1日に境町全域と山下町・本町の一部から日本大通が新設された。

北東から南西方向にやや長い長方形の町域を持ち、面積は0.096km²。
中央を北東-南西に日本大通り、北西-南東に本町通りが貫き、港郵便局前交差点で交わる。
北東は海岸通りを挟んで海岸通、南東は大桟橋通りを挟んで山下町、南西は横浜公園、北東はみなと大通りを挟んで元浜町・北仲通・本町・南仲通・弁天通・太田町・相生町に接する。
港郵便局前交差点の北はキングの塔の別名を持つ県庁本庁舎、東は横浜港郵便局や横浜開港資料館、県庁分庁舎、南は中区役所や横浜情報文化センター、県住宅供給公社、朝日新聞社横浜総局、西は横浜地方検察庁・横浜地方裁判所・横浜簡易裁判所や日本銀行横浜支店などが位置する。
本町通り地下には「みなとみらい線」が。

    



「大桟橋の歩み」ー日本の表玄関ー
1859年 (安政6) 横浜港開港ー1892年 (明治25) イギリス波止場の延長線上に鉄桟橋架設工事着工ー(横浜港最初の築港工事)
1894年 (明治27) 鉄桟橋(現大さん橋)竣工。メリケン波止場と呼ばれるー幅約19m、長さ約457m
1917年 (大正6) 拡張工事竣工(横浜港第2期築港工事)ー1923年 (大正12) 関東大震災で桟橋部陥没、上屋焼失 ー1925年 (大正14) 震災復旧工事竣工、、、、、、、。

1900~1910年(明治33~43年)頃の横浜港第一期築港工事で完成した鉄桟橋(現大さん橋)・ (横浜みなと博物館所蔵)
  

「赤レンガ倉庫」は、新港地区南東部岸壁美ある倉庫、明治44年の2号棟・2年後の1号棟が残っている。現在は、煉瓦パークとして保存整備られている。

                                     大桟橋埠頭に外国客船が停泊
  

「クルージング」山下公園乗り場ー横浜駅東口直行便。山下公園乗り場ーピア赤レンガ乗り場(約10分)ーぷかり桟橋乗り場(約5分)-横浜駅東口
乗り場(約10分)のコース。

日本大通り                    横浜ベイブリッジ               インドの堂
    

「山下公園」
横浜港に面し、山下埠頭から大桟橋までの約1km・面積約7万4000m2の臨海公園。関東大震災復興事業の一環として被害地の瓦礫や焼土で埋め立て、
1930年開園された。中央の噴水池には、姉妹都市サン・ディエゴから送られた守護神像・童謡「かもめの水兵さん」など記念碑が点在する。

横浜を海から楽しむ「クルーズ船」・ペリーの黒船 来航をメインに横浜の産業と歴史が楽しめるクルーズが人気
    

「人形の家」山下公園東側の人形美術館、約120ヵ国・7000余りの人形を展示されている。童謡「青い目の人形」日米親善交流の人形がある。
赤い靴劇場もある。

   山下公園にあるマリンタワー
    

「中華街」は、中区山下町にある中華店街路、1859年横浜開港当時に徳川幕府が、中国人の移住地をこの地に定めたのが始まり。
現在約250軒の中華料理店が集中するグルメタウンである。

    

中華街メーン・ストリートの南に「関帝廟」がある。
旧正月の春節祭・10月の国慶節が中華街二大イベントとなる。


「関帝廟」
本殿は、中央に関羽を祭り、右側に小説「三国志演義」で養子の関平(史実では実子)、左側に同じく「演義」に登場する配下の武将周倉の二神を
それぞれ祭っている。
関羽は、信義や義侠心に厚い武将として名高くまた「演義」での普浄の逸話などから、民衆によって様々な伝承や信仰が産まれ、信仰を高め、
また後の王朝によって神格化されていった。
その関羽を祭ったほこらが関帝廟の始まりである。
関羽は、(塩湖で知られた解県の出身である為)塩の密売に関わっていたという民間伝承があり、義に厚いとされる事から商売の神として祭られた。
この事に起因して、そろばんの発明をしたという俗説。
世界中に華僑が散らばっていったときに、商売が繁盛する様にとその居住区に関帝廟を立てた。
そのため世界中の中華街などで関帝廟を見ることが出来ると云う。



「旧正月の春節祭」-中華街全域で春節祭が。
1~2月・2週間お祭りのイベントが続く、 初日は、採青と呼ばれる獅子舞があり、毎年大人気で多くの観光客が、新年の祝いの初日ですから、盛大に爆竹がなり、獅子は中華街のいくつかの通りから出て、街全域を練り歩きま­す。
中華街のお店は、店頭の高い場所に赤札、獅子舞がそれぞれのお店の商売繁盛や招福を祝い祈願し、赤­札(ご祝儀)をくわえて取る。
春節祭の2週間の間に、獅子舞、龍舞、雑技、パレードなど様々なイベントの催しがあり、またお店も期間中、­割引きや春節祭のおめでたい食事コース。
獅子舞の他に、龍舞・・・。

    

「10月国慶節祭」
中華街で10月1日、中国の建国記念日を祝う国慶節慶祝行事「国慶節」が。
国慶節も、獅子舞が中華街全域をねり歩く「慶祝獅子舞(採青)」や「慶祝パレード」などの祝賀イベントが盛大に行われる。
主催は横浜華僑総会と云う。
慶祝パレードは、華僑華人が中国獅子舞や中国民族衣装を披露しながら中華街をまわる。
ルートは西門通りを出発後、善隣門~中華街大通り~南門シルクロード~関帝廟通りを経て、ゴールの地久門、今年も同じと思う。

    

    台湾・中華料理 「好記園」| 元町・中華街ー右側がママさんです。
    



次回は、大倉山方面に。

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